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凡人、アートにふれる

本日、小雨、アート日和。
友達が参加しているグループ展へ、長野県安曇野Banana Moonへ、
「弱ったなぁ」の作品展を観にいきました。

安曇野は自然の中にある画廊。
自然のマイナスイオンを吸い込むと気持ちが穏やかに。
(鼻の悪い人はあまり意味ないです)
小降りの雨が丁度良い。

いざ、Banana Moonへ

漆黒の建物は安曇野の自然を壊さない落ち着いた外観。
(かっこいいなー)
凡人は緊張しながら、中へ入る。

「こんにちは、成〇君の絵を観に来ました」「あ、こんにちは、成〇さんのお友達?」と、普通の感じで応対も感じがよかった。私は元々、絵などの芸術作品には疎いが、友達が絵描きだったこともあり、作品から何か奥深さを感じることが好きになった。違う世界観にふれることは刺激的だ。異なる物を見ると良い刺激をうける。(人間の脳は異なる適刺に惹かれる、もしくは拒否反応といったマイナス反応を示すことも。だから異性にも惹かれる。)そんな非日常を感じさせてくれる空間だ。

私も絵にチャレンジしたことがあるが、思い描いた絵はそんじゃそこらじゃ描けない。何かを思い描けはするが、それを作品にするスキルが無い。絵心皆無。しかも、それを仕事にするとなると、一握りかもしれない。

作家さんの作品への想いに「仕事ではなく、自由の表現ができたことが楽しく描けた」というようなことをおっしゃていた。
このモチベーションは何より大切だと思う。仕事の絵は制約と期限が設けられているから、作家さんの本来の自由が奪われがちなのかもしれない。

芸術家ほど自由という言葉が似合う人達はいないのだろう。
ただ、頭の中は苦悩も自由に飛び回るのかもしれない。
自由は楽しくて、難しい。

それはさておき、二階もあったので上ってみた。

この安心感のある絵は「週刊新潮」。
成◯君のお父さんが「週刊新潮」の表紙絵の仕事を依頼されているため、その絵も数枚飾られていた。
一番左の絵は畑の海なのか。

本当に絵は努力と才能だと思った。
(てか、どの仕事も努力と才能だと思う…。)

しかし、絵を観るとイマジネーションが広がる。
「自由の表現」「鮮やかな感覚」「異なる世界」
やはり、非日常の刺激は気持ちが良かった。

自分にないモノにふれることは、、、イイ!
(凡人、非凡になるために)
                                                                  

補足…昔、箱根の美術館で外国人作家の絵に囲まれていたときは、気持ちが悪くなった。
視覚から情報ってやっぱり良くも悪くも強烈です。

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