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未来は分からない。

半値戻しは全戻しならず。

 先日、8月に半値戻しを達成したS&P500指数が6月の底値を割った。過去50年間の統計上、一旦半値まで戻ると、再び底割れしたことがなかったことから、半値戻しは全戻しと楽観ムードが漂っていたように感じた。

 しかし、統計データは過去のものであって、未来が必ず統計データで想定された通りの動きをするという保証はどこにもない。

 投資を行う上で想定外ほど致命的で、パニック売りを誘発するものはない。相場の波に飲まれて退場し、複利の恩恵が受けられなくなる可能性が高まるだけである。例え馬鹿馬鹿しい、アホくさいと思っても、あらゆるケースを想定しておき、想定外の事態にならないようにするように心掛け、思考を巡らせてケース別の対処法を練ることは、誰でも無料で出来る備えである。

 人口動態に基づく未来予測に始まり、南海トラフ地震や富士山の噴火が発生した時を想定し、保有銘柄で壊滅的被害を被る可能性が高い銘柄はあるか。もし、保有しているなら継続保有で問題ないのか、いつまでに手放すべきか。万が一被弾したら企業を信じて継続保有するのか、損切りするのか。まだ保有していないのなら、地盤の災害リスクを織り込んだ上で、それに見合うだけのリターンが得られるのか。

 屁理屈にも思えるが、これらを想定した上で総合的に判断するだけでも、想定外の事態に直面してパニックになる可能性は低減するだろう。

 今回のS&P500でも、周囲が浮ついている中で、仮に二番底となった際に6月頃の時価総額となる可能性は想定していたから、悲観しなかったし、為替が年初の水準まで円高方向に振れる可能性も視野に入れていた。

 その上で、短期的に利確するつもりでは運用しておらず、中長期目線で保有しているから、下落幅を想定した上で、継続保有で問題ないと判断しているし、仮に2020年のような暴落が再び発生すれば、2回に分けて買い注文が入れられる程度の、ポートフォリオ全体のうち5%前後を、運用効率が多少悪くなっても、暴落時の保険としてキャッシュポジションで保有するように努めている。

最悪を想定して、先手を打つ。

 未来がどうなるかを知っているのは、未来人と詐欺師だけだと信じたい。投資の神様ウォーレン・バフェット氏ですら、未来の株価は分からないから、帳簿を見て割安か否かを判断している位である。一介の個人投資家が読めたら苦労しない。

 とはいえ、最悪の事態を想定して、不穏な空気が漂っているなら、思考が現実化する前に自発的にピリオドを打ちに行くことは出来るし、後から振り返れば自衛手段となっているかも知れない。

 最近では、東証再編で必要株主数が減少したことや、公平な株主還元を求める声が強い影響から、株主優待制度の見直しが盛んに行われている。株主優待の代名詞とも言える、オリックスが優待廃止を発表したことも拍車をかけているように感じる。

 これを機に、自社の商品と関連性のない株主優待制度を設けている銘柄は、コストを掛けて優待を存続させても、売上増に繋がらないことが殆どだろうから、コストに見合わず株価に大きな影響がなければ廃止したいのが本音だろう。

 私はQUOカード優待銘柄で、業績もパッとしないものは、優待廃止でキャピタルロスのダブルパンチを喰らう前に、惜しみながらも売却して、高配当銘柄の原資にしている。どうしても優待が欲しければ、オークションサイトなどでお金を払えば大抵のものは手に入るが、身銭を切ってまで欲しい優待などそうそうない。優待は生活に潤いを持たせてくれるが、無いなら無いなりに受け入れられるものである。

柔軟に変化できるのが最強。

 疫病と戦争。21世紀にもなって歴史の教科書に載るような、既に人類が克服したであろう脅威に直面することになるとは、5年前の2018年時点では想像もしなかった。

 そうして疫病禍となって既に3年目に突入しているが、なぜ疫病が終息しないかといえば、変化し続けているからである。人類にとっては生命を脅かす厄介な存在かも知れないが、その生き様は非常に参考になる。

 変化が激しく、5年先すら予測不能な時代だからこそ、ひとつのことに固執して変化を拒むよりも、その場その場で柔軟に変化できる姿勢が重要になってくるように思えてならない。

 私が今年度いっぱいで早期退職に踏み切るのも、労働者では決して実現できないフットワークの軽さが、これからの時代を生き抜くために重要な武器になると考えているからである。

 良い成績、良い大学、良い企業。就職というより就社して、定年まで勤めれば退職金と厚生年金で悠々自適に暮らせる。こんなものは前時代的な安定の代名詞である。

 バブル崩壊後の景気悪化や、非正規雇用の拡大に伴い、企業は既得権益に守られた立場の正規雇用者を採用するのに慎重になった。それにより、高学歴社会が到来し、この道を進めるのは一部の高学歴エリートのみに許されたオプションと化している。

 そのレールに乗るために、奨学金という名の借金を背負って大学に出る人が急増したが、果たして奨学金に見合っただけの安定を手に入れられた人はどれだけ居るのだろうか。

 私は自身の学力、大卒の費用対効果、マイナスの複利の恐ろしさを勘案した上で、高卒でブルーカラーの職種に就いたが、大卒でも同じ仕事に就いている人が大勢居る。過去を詮索するつもりはないが、結果論として、現職に就くだけなら大卒資格は不要だったと言える。

 おまけに高卒でも就けるような現業職である。待遇が決して良い訳でもなく、不要だった大卒資格を取得するために、平均288万円の借金を背負っているのだから、最低でも3年間はどんなブラック企業であっても、相当な度胸を有しているか、心身が悲鳴をあげる域にでも達しない限り、翌月からの生活と返済に困るため辞めるに辞められない。

 安定を求めたはずが、却って不安定になっているのだから、構造上の欠陥だろう。特に根拠はないものの、若年層の自殺率の増加は、このような状況が影響しているように思えて仕方がない。

 その点、私は高卒で学生時代に第二種電気工事士の資格を取り、実家暮らしの無借金で鉄道会社に入社したから身軽だった。手取り13万円でも生活に困窮しなかったし、あまりの薄給ブラック振りにうんざりすれば、辞めても電気工事会社で食いつなげる自信があった。仮に電気工事会社の方が更にブラックだったとしても、3年間だけ我慢して従事すれば独立できるから、その間に起業の勉強をして一人相撲でもすれば良いと思っていた。

 弱冠で背負っているものが何もなかったから、無理に労働者としてしがみ付く必要はなく、その余裕が兼業投資家として実利に繋がり、金融資産所得だけで食べていけるだけの資産規模になったのだと思う。

 資産がなければ斜陽産業の泥舟に、労働者としてしがみ付くしかなかったのだろうけど、投資家であれば投資先を柔軟に変更すれば良いのだから、労働者よりリスクが限定的ではないだろうか。最期に良い人生だったと思えるように、疫病を機に見つめ直す時期なのかも知れない。


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