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クソどうでも良い仕事で低賃金って最悪だ。


社会の上澄みに居る人と、大衆の温度差。

 年金納付が現行の20歳から60歳までの40年間から、65歳までの45年間に延長する案に対する、アベプラの議論での森永先生のキャッチーな発言が真理を突いていると思いながら、日本社会の上澄み部分に居る人ほど、労働そのものに価値を見出す、幻想にも似たプロパガンダに流されやすい怖さを感じた。

 私は森永先生の意見に賛同する。9割近くが老後も働きたいなどと言う統計があるが、経済的な要因から来るものであり、その定性データを切り離して、定量データだけ出している時点で、恣意的なものだと疑われても致し方ない。

 パンピーの肌感覚として、年金だけでは生計が成り立たず、追加で金を得る手段が働く以外にないからそう答えているだけで、ベーシックインカムのような手段で金銭面での問題が解決すれば、9割近くが働きたいとは思わないだろう。

 森永先生の社会的属性は、学歴至上主義の日本社会において、いわゆる成功者と表現するのにふさわしく、会社組織の看板を借りずとも、自分の能力一本で食べていける意味では、アベプラ出演者のマジョリティである、社会の上澄みに位置する上流階級の強者側ではある。

 しかし、あくまでも大衆目線で反論に徹して、周囲から袋叩きに遭う姿は、庶民に対する人気取りと捉えられるかも知れないが、議論の場で我々の代弁者として機能していた意味で、有り難みを感じずにはいられなかった。

まるで「ねずみ講」のような社会構造。

 あまり義務教育では触れないが、沼にハマるとヤバいものとして、ギャンブル、アルコールをはじめ、性風俗産業、消費者金融、反社などが挙げられるが、そのうちのひとつにマルチ商法がある。

 いわゆる「無限連鎖講」と言われる「ネットワークビジネス」だが、子会員がねずみ算式に増えていくことから、「ねずみ講」と呼ばれたり、「マルチ商法」とも呼ばれている。

 これらは名称こそ違えど全部同じで、先に組織に加入した親会員が、後から加入した子会員から金銭を受け取る配当システムで、子会員は孫会員から…と指数関数的に末端会員が増加していく。

 構造上、確実に儲かるのはピラミッドの頂点に居る1人だけで、残り全員はババを引くか、人望を売って他人から金を巻き上げるかの二択を迫られるため、頂点の1人を除いて誰も幸せにならないシステムと言える。

 よく具体例としてア○ウェイが挙げられるが、個人的には日本社会の年功序列賃金や年金制度といった社会システムそのものが、無限連鎖(ねずみ)講のそれではないかと思ってしまう。

 日本的経営の年功序列賃金を端的に記すと、若い時は安く使われ、経年を重ねると成果はなくとも高給取りになる。

 つまり、成果を上げた者ではなく、組織に長く居続けた者に、より多くの賃金を分配するシステムで、加齢に伴い労働生産性が低下する前提なら、先に組織に加入した年配社員が、後から加入した若手社員から金銭を受け取る配当システムとも捉えられる。

 年金制度も同様で、先に加入した高齢者が、後から加入した現役世代から金銭を受け取る配当システムと捉えられる。

 戦後復興期からバブル崩壊までの間、日本経済は成長していたし、人口も増えてピラミッド状だった。ICT技術も黎明期で社会の変化はゆっくり。今の状態が永続することを信じて人生設計ができたため、若年の損を晩年で回収するシステムが機能不全を起こすことはなかった。

 しかし、失われた30年が経ち、経済全体が縮小。人口も減少し、ピラミッドは逆三角形。AI技術などの発達で目まぐるしく変化し、5年先すら見通せない時代で、若年に損して晩年に回収できるシステムなんて信じられる筈がない。

 若年層ほどジョブ型雇用やベーシックインカムを支持するのも、今、この場で成果に見合った報酬が得たい心理や、今、どれほどの重税を負担したところで、自分たちが老後を迎える頃は、今の受益者側よりも冷遇される不公平感の現れと言えるだろう。

自由な働き方は非大卒の犠牲で成り立つ。

 そもそも国民年金「保険」の立ち位置なら、森永先生が言っていたように、選択制にすれば良いだけの話だが、アベプラの議論でそれに対する答えが返って来ることはなく、フルタイムで勤める人は該当しない免除制度に触れた程度だ。因みに全額免除は単身だと前年の所得が67万円以下でなければ受けられない。

 日本は国民皆保険制度となっているため、税金とは別枠で年金保険料が徴収されているが、年金は所得300万円以上で未納を放置すると、差し押さえされることがあり、事実上、支払いを拒否できない時点で何ら税金と変わらない。その点、健保は国民健康保険「税」と名乗るだけ潔い。

 そんな事実上の税金に他ならない年金を、5年長く納める案に賛成している層は、少なくとも社会で上位半数側の考えで、クソどうでも良い仕事を、金のために低賃金で担っている下位半数側の労働観と違うのは想像に難くない。

 平成30年間のブラック労働の余韻が大きい。ホワイト過ぎるくらい会社が変わっている佐々木氏の主張は、大卒、大手企業、ホワイトカラー側のロジックで、そもそも学歴で足切りされる非大卒が就けるようなブルーカラーでは、未だにブラック労働が蔓延っている。

 そのため同じ20代でも、働くのはラクで楽しいものと思えるような環境に身を置く前者と、私のように薄給激務で20代半ばで潰れる後者に二極化しており、ホワイト過ぎるくらい会社が変わっている主張は、生存者バイアスに他ならない。

 ゼネラリストではなくスキルを積み重ね、スペシャリストとして自分の腕と頭で生きる意見に関しても、そもそも非大卒が就ける職種は単純作業ばかりで、スキルが溜まる機会すら与えられない。

 結局のところ、森永先生を袋叩きにしていた方々は、高学歴で労働市場において優位性のある上位層が、上から目線でものを言っているに過ぎない。

 下位半数の非大卒が農業、工場、建築、物流と言った、生活を直接支える過酷な現場仕事を、低賃金や非正規、周辺的正社員と言った不利な雇用条件で担う、ある種の犠牲の上で、大卒側が安定した環境で自由な働き方を選択できる社会が成り立っている。

 この不都合な事実を直視せず、森永先生の「クソどうでも良い仕事で低賃金って最悪だ」という下位半数のロジックも理解できないまま、社会の重要なポジションに就く。

 そんな上流層が実態を精査せず高齢者や女性が活躍できる社会を推進した結果、日本社会を現場で支える非大卒男性が、政策や経営上の意思決定から真っ先に疎外され、失業や低賃金の不利益を被っている。

 しかし、弱者男性たる言葉が出るまで、そもそも問題としてすら可視化されなかったのが現状で、人は往々にして今の状態が永続すると思いがちだが、病気などで誰でも弱者となる可能性はある。

 煎じ詰めると、強者側のロジックで弱者を自己責任論で切り捨てる社会を助長することは、無敵の人を生み出しかねない。そんな冷たい社会で子どもを産み育てたいと思うだろうか。昨今の少子化はそうした根深さが内包しているように思う。


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