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所持金は少なくて良い派。


キャッシュレスだからこそ成せるワザ。

 ある日の平日、スーパーへ夕飯の買い出しに向かったところ、出入口付近で謎の行列が出来ていたため、何事かと思ったら地方銀行ATMが長蛇の列になっていただけだった。

 目的は言わずもがな、夏ボーナスの引き出しだろう。ATM手数料が掛からない時間帯と、夕飯の買い出しの時間帯が重なったことで出来た列と思われる。

 何も混んでいる時に並ばなくても…人混みと待ち時間が何より嫌いな私は、ネット銀行とコンビニATMの組み合わせでしか現金を引き出さないため、そんなことを思いながら、そう言えば財布の現金が少ないんだっけ。と所持金を把握したら510円だった。

 4月に地方移住して、完全キャッシュレスから多少は現金利用が増えた私だが、4〜7月の4ヶ月間で一度だけコンビニATMで9,000円を引き出して以来、現金を引き出していない。

 決まって9,000円なのは、財布が小さすぎて1万円札だとキレイに2つ折りに出来ない事情と、単純に少額決済だと使い勝手が悪いからである。

 都内在住時が年に1回だったことを踏まえると、現金利用の頻度は増えてはいるものの、それでも年に3〜4回程度、額面にして2.7万円〜3.6万円である。

 概算で年イチの引き出しにしても良さそうだが、資金効率を鑑みると財布に現金を寝かせておくのが勿体ないと感じてしまうのと、無駄に高い防犯意識からひったくりやカツアゲは起こり得る前提で、その日に必要なもの以外は持ち歩いていない。

 千円札すら入っていなかったり、入っていても数枚と、盗みを働くリスクとリターンが釣り合わないだけでなく、大したお金は持ってなさそうな身なりに思われるよう、絶妙なラインを狙って外出することが多いため、幸いにも人生で他者から金品を盗られた経験はない。

 これが可能なのはキャッシュレス決済で、他人にはいくら入っているか、口を滑らせなければ知る由もない預金残高などの数字を、決済システムを経由して直接減算できるからに他ならない。

納税すら現金である必要がない貨幣経済。

 当たり前ではあるが、1万円札そのものの原価は20円ちょっとである。紙切れなのだから当然と言えば当然である。しかもその1万円札の価値の裏付けとなる何かがある訳でもなく、国の信用という、ある種の共同幻想によって成り立っている。

 なぜ金などの希少金属と引き換え可能な兌換紙幣でもなければ、実用的な米などでもない、現在の不換紙幣が通貨として広く流通するようになったかと言えば、納税するのに必要だったからである。

 しかし、その納税もデジタル決済の普及に伴い、政府がデジタル円を発行する前段階にも関わらず、既に現金以外で支払おうと思えば、電子マネーやQR決済で支払える状態となっている。

 以前であれば、税務署や役場の税務課、金融機関の窓口で現金で支払うか、口座振替の手続きを済ませるかの二択だったが、書類上の手続きをする必要のない、デジタル決済が手段として加わった時代に、現金が必要なシチュエーションは限定的となるだろう。

 必然的に、現金を好き好んで利用する層は、デジタルディバイドの定義における弱者と、資金の流れを捕捉されることを嫌う裏金や、マネーロンダリングとしての用途で、それらが現金利用のマジョリティとなる可能性が考えられる。

 偽札が蔓延り、グレシャムの法則を体現したことで、デジタル決済に移行した隣国ではないが、現金払い=訳ありの様なステレオタイプが一般化することは、政治資金の不透明さを洗い出す観点からも、悪くない選択肢に思える。

 一人ひとりがキャッシュレス決済に移行することで、そんな貨幣の流れに情報が付加された、将来あるべき貨幣経済の姿が醸成されるのであれば、個人的にアンチ現金主義、キャッシュレス化はメリットの方が大きいと考える。

実態がない方が、お金に惑わされない?

 最近の子どもはキャッシュレス決済が主流だから、「お釣り」の概念を知らない。なんてニュース記事が少し前に話題となった。確かに現金で決済しなければ釣り銭、釣り札を貰う機会がないため、知らなくても不思議ではない。

 そもそも「お釣り」の名称そのものが、貴金属を通貨にしていた時代の名残で、天秤にかけて重量を釣り合わせる様子が、語源と言われていることからも、「巻き戻し」が巻き戻さなくなって通じなくなった様に、時代の変化によって名前からそれが何かを類推できない状態も知らない、分からないの一因になっているとも捉えられる。

 個人的にこれは良いことだと考える。2番目の見出しの冒頭で、現在のお金は共同幻想によって成り立っていると記したが、これはデジタル化によって、お金が単なる定量情報以上でも以下でもない存在と、フラットに捉えられる環境に近付けるためには重要だからである。

 例えば給与は勤勉に働いて得たお金だから尊く、ギャンブルによって得たお金は泡銭だと決めつけると、心理的に区別してしまい、分別管理してしまう傾向にある。

 同じお金なのに泡銭は雑に浪費して、給与は慎ましく消費、もしくは貯蓄すると、同じ現金でも個人が勝手に色をつけて、同じ人間が、同じお金にも関わらず、矛盾もしくは非合理的な行動を取ってしまう。心理学で言うところのカラーバス効果である。

 しかしデジタル決済しか知らない世代が、普段遊んでいるゲーム内の所持金の延長線上の感覚で、法定通貨である日本円を捉えたら、こんなバイアスはないかも知れない。

 給与だろうが泡銭だろうが、同じ情報として銀行口座の数字が加算されるだけで色が付かない。支払いも店員やセルフレジに、カードを通したり、スマホやQRコードをかざす形で好きなものを買い、締め日の翌月になると銀行口座の数字が減算される。

 世の中、お金に翻弄されて人生を自分らしく生きていない人が、あまりにも多いと感じるが、お釣りを知らないキャッシュレスネイティブ世代の方が、変にお金を意識しない分、健全ではないだろうか。実態がないことは必ずしも悪とは限らない。


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