「妬む」よりも「羨む」。
素直に羨む日本人は少数派。
以前にも日本人は羨むよりも妬みがちだと記した。私も嫉妬深い性分であるから例外ではない。だからこそ嫉妬していると感じた時は、どうしたら今の自分にない「何か」を手に入れられるか、表面上だけでも羨ましそうにして、相手から情報を引き出すのである。
そうしてひとりになった時に内心、ナニクソ!と思いながら、相手を見返すために引き出した情報+@の負荷を自分に課して、教えて貰った相手よりも大きな成果を挙げることで、コンプレックスを解消してきた性格の悪い人間である。
そもそも何故人は妬むのかと言えば、能力的に大差ない相手が、自分にはない「何か」を有している時に、自分が劣っていると言う感覚に陥るからであり、その防衛本能として嫉妬心が生じるものと思われる。
だから、恋愛感情なんて性欲から湧き出るものでしかなく、男性側は結婚したところでリスクと制約が増えるだけと、恋愛結婚に対して冷め切っていて興味を示さない私としては、同僚が結婚を報告した時に素直におめでとうと、考えるよりも先に言葉が出ていた。
しかし、ちっぽけなプライドが取り柄なある同僚は先を越されたとばかりに妬んで祝福の言葉をかけず、なぜ素直におめでとうが言えないのだろうと、蹴り飛ばしたくなる衝動に駆られたが、嫉妬心とは興味のない者から見れば、それくらい滑稽なものなのである。
できない理由を並べて妬むのは愚か。
公務員や生活保護に対するヘイトも同様である。「自分はもっと苦労しているのにあいつらは…」と隠れた前置きの元で批難しているのが実情だろうが、嫉妬するくらいなら、いっそのこと自分が公務員になってみれば良い。生活保護を受給してみれば良い。
こう言い返すと、大半の方はでも〜、だって〜と否定的な反応を示す。本音として、ラクな事務仕事だけやって定時で帰りたいから、行政の事務職が良い。などと選り好みした結果、いつまでも倍率の高い試験に落ち続けて、いずれ年齢制限という名のデットラインが到来する。
それでも、民間経験者採用枠なら30〜50代でも公務員を目指せるし、地方のインフラを支えるゴミ収集などの、未だ外注化されていない自治体の現業職員は職種によっては不人気故に、年齢制限が35歳までと緩くて入り易かったりするが、これも立派な地方公務員である。
若くて体力に自身があるなら、自衛隊も人手が足りていないため比較的入りやすい。該当する国家資格を有していれば、52〜54歳まで予備自衛官補として応募できる。自衛官も立派な国家公務員である。
現に就業者の17人に1人は公務員なんて統計もある。選ばなければ公務員になる機会はいくらでもあるのに、妬むだけで公務員にならないのは自分だし、そこまでして公務員になる必要がないと思うなら、隣の芝生が青いと妬んで批難するのは滑稽である。
生活保護も同様で、こっちはブラック企業で苦労しているのに、何で貰える金額はナマポと大差ないんだと妬むだけで、いつまでも会社を辞めず、ブラック企業に搾取され続けている人生を選んでいるのは誰でもなく自分である。
人生の舵取りを行っているのは自分。今の自分は過去に選択した結果でしかない。そんな自分で選んだ人生に対して不満や愚痴をこぼすのは愚かである。嫌なら辞めてしまえば良い。
そうは言っても〜とできない理由を並べているうちは、本気で変える気も度胸も持ち合わせていないのである。だから愚痴をこぼす。それ位しか出来ることがないからだ。「愚痴」とは愚かなる知性の病と書く。つまりはバカ丸出し。哀れな存在である。
突き抜けると、却って羨まれる。
公務員やナマポはことある毎にバッシングを受ける一方で、孫正義さんや前澤友作さんのような一流の起業家や経営者を批難したり、イチロー選手や大谷翔平選手を妬む人は少数である。これは私が推察する妬みの条件でもある、自分とは能力的に大差ないと言う前提が機能していないためである。
裏を返すと、ダラダラと決められた作業だけをしている公務員や、何もせずボーッと生きているだけのステレオタイプを持ちがちなナマポに対して、嫉妬の感情が湧き出ると言うことは、そのダラダラと決められた作業だけをしている奴や、何もせずボーッと生きている無能と自分が能力的に大差ないと認めているようなものである。
だから、妬んで他人を引き摺り降ろしているうちは、幸せになれない。イギリスの元首相であるサッチャー氏の言葉を借りれば、金持ちを貧乏にしても、貧乏人が金持ちになるわけではないからだ。
しかし、ある特定の分野で突き抜けると、それがどれほどニッチであっても、比較しようにも比べようがなくなる。最下層を彷徨いている人間が、雲の上に居る人間を引き摺り降ろすには、自分も相応に昇らなければ、しっぽを掴むことすら儘ならないのだから、現実的ではなく即座に無駄骨だと直感するためか、詳細は不明だが却って羨まれるのである。
私の具体例。
生まれ持ったクセの強い倫理観や、普遍性を嫌う反社会的な思想は、強烈なクリティカルシンキングと反骨精神を持ち合わせている影響もあって、周囲の大人達が矯正出来ないまま社会に出る運びとなった。
故に我を通すと一般社会には全く適合しないものの、大手企業に人的資本ならぬ人的負債(クセの強さから社内風土を乱すため)を引き取らせる、面接と言う名の取引に2度も成功する程度に、一緒に働いても良いと騙せる程度の演技力と地頭は有しているため、その姿を知っている人からはペテン師と揶揄される。
しかし、その長いものには決して巻かれない天性と、ペテン師の才能から管理職が煙たがるような、クセの強いベテラン社員を味方に付ける強かさから、管理職に尽く嫌われていた私を、労働組合は買ってくれたし、ある人から組合役員の道を示される程度に重宝されていた。
そんな普遍性を嫌う性格や、何でも疑うクリティカルシンキングが、投資の世界で種銭を確保するために、生活コストを切り詰めたり、罠銘柄を避けるのに大いに役立つことになるとは想像もしなかった。
そこに財務諸表を読み解く会計センスが加わってからは、同じような所得レンジの人達が到達するには相当な時間を要するとされている、文字通り桁違いの金融資産を保有するようになったのは事実で、金融庁の統計データを見た上で自身が外れ値に位置していることを客観視している。
もちろん、これまでの実利全てが個人の実力によってもたらされたとは思っていないが、同級生と財テクの話題となった際に、隠しても仕方ないと潔く保有資産額をカミングアウトした際は、驚愕されたものの妬まずに羨んで貰えたことから、今でも交友関係が続いているし、むしろ財テクの話題が欠かせなくなった。
私が期待資産額よりも多い額を蓄財するに至った具体的手法を相手が聞いた上で、生活コストの切り詰め方や、リスクの取り方が真似できない、一般寄りの思想だからこそ、一風変わった存在である投資家やLeanFIRE界隈ではあるあるな、取るに足らないネタが面白いと感じて貰える。金太郎飴のような量産型よりも、根本的になにかが違う希少種の方が重宝される時代なのである。
そのため、素直に羨むココロを持ち合わせた少数派となることが、同調圧力や嫉妬心から、突き抜ける者の邪魔をする、日本の悪しき村社会をブッ壊して、これからの日本社会を創り出す大きな一歩となるかも知れない。
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