ハングリーであれ、愚かであれ。
安定を求め、却って不安定になるリスク。
題目は故スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学で行った、伝説のスピーチの締め括りで言われた「Stay Hungry. Stay Foolish.」の日本語訳である。
解釈は人それぞれあって良いが、個人的にこのハングリーは、物質的なものと言うよりも、精神的な意味合いが大きいと思われる。しかし、日本人のマジョリティ層の人生設計はどうだろうか。
安定することを良しとする風潮で、知名度があって、世間体も悪くない、有名企業の正規雇用や、公務員になるために良い大学を出るべき。良い大学に行くには良い成績を取るべきなどの、べき論が蔓延っている様に思えて仕方がない。
価値観は人それぞれだから、良い大学を出て、良いとされる組織に就いて、定年までつつがなく勤める、年功序列、終身雇用が前提のライフプランが決して悪だとは思わないが、昨今の目まぐるしく変化する世界情勢の中で、前提条件そのものが持続可能かは、いささか懐疑的である。
この失われた30年で、世間一般が良しとする様な生き方をして、満足する人生を歩めているだろうか。5年後、10年後に幸せになる未来が想像できるだろうか。
ご存知の通り、これまで日系企業がやってきた、なあなあ、まあまあの馴れ合い的風潮や、事なかれ主義で問題を先送りすることで組織は腐敗し、2010年に航空会社の経営破綻。2015年にエレキメーカーの不正会計や経営危機が話題となるなど、機能不全を起こしている感は否めず、低空飛行でも安定はしているのかもしれないが、何かの拍子に急降下する事態が発生すれば、たちまち墜落しかねない。
就職というより就社。スペシャリストではなくゼネラリストを養成する。そんな日本企業の人材育成は、一社で勤め続ける分には問題にならないが、いざ業績悪化で人員整理の対象になり、社外に放り出されれば、キャリア形成が不十分故に再就職難になりかねない。
トヨタですら終身雇用を維持するのは難しいと言っている。公務員だって夕張市のように財政破綻してもおかしくない。安定を求めた結果、返って不安定になるリスクは誰にでも潜んでいる。
社会の枠組みにはまっている状態は、何も考える必要がないから楽かもしれない。周囲でも同じ生き方をしている人がほとんどだ。バブル期と異なり、羽振りが良い訳ではないが、この枠組みから外れたら元には戻れない。
そこそこ安定しているのだから、それで良いと思いながら、死んだ魚の目をして満員電車に揺られて出勤しているのかもしれないが、それで良いのだろうか。私は諦められなかった。
やるからには、全力で愚か者を貫く。
誰が好きで平日の朝に揃いも揃って、満員電車に揺られて通勤、通学しなければならないのか。みんなで一斉に昼食を求めて行列に並ばなければならないのか。なぜ定時で始まるくせに、定時で終わろうとしないのか。束の間の休日に娯楽施設へ行こうものなら、道路は渋滞。割高な料金を取られ、労力に見合うだけのリフレッシュができる様には思えない。
同じ時間働けば、勉強すれば、拘束時間も休憩のタイミングもいつだって良いだろう。職場も学校も、遺伝子的に夜型の人が、朝型の人に合わせて生活するのは不公平だろう。覚醒していないから生産性は低いままだし、何より体に悪そうなのは、デカルトが早死にしたとされる経緯からも窺える。
同じ日数働くなら、平日に休んで、土日に働くなり、勉強したって良いはずだ。IT技術が発達する前は、画一的な方法しか出来なかったのかも知れないが、技術的に難しくない時代に、従前のやり方を続ける意義はない。分散したほうが交通機関や各施設も混み合わずに済むだろう。
端から見れば小さな不満なのだろう。どれほど文句を垂らしても「そう言うものだ」の一言で片付けられるのが関の山である。これでは思考停止している。何のために考える頭脳があるのか。ボーッと生きてんじゃねぇよ。
私はこの何もかもが不自由な、社会システムの枠組みに嵌ることを受け入れず、何者にも束縛されない自由な生き方を模索し続けた結果、賃金労働者としては鉄道員という、変則勤務で9時17時の土日休みのサラリーマンではない道を選んだ。そして今度は賃金労働者の枠組みからもリタイアする。
世間ではそれを「わがまま」と言うのかも知れないが、社会の構造や仕組みのおかしさを、おかしいと思いながらも割り切って生きられるだけの器用さを、残念ながら持ち合わせていない。
同じ社会システムの歯車として埋没するにしても、安定を求める人たちが、まず進まないであろう道を試した結果、やはり青二才だったと納得してから歯車に戻るのと、おかしいとは思いつつも、現状維持バイアスで抜け出せずに歯車であり続けるのとでは納得感が違う。
日本社会は一度、枠組みから外れたら元に戻れない。つまり、これまでのキャリアを捨てることを意味するが、日本社会の縮小と共に、シュリンクしていく斜陽産業のキャリアに価値はない。
どうせ愚かなら、いっそのこと開き直って突き抜けたほうが潔い。だからこそ、世間一般では潰しの効かない高卒鉄道員が、誰も賛同しない個人投資家として生計を立てる道に転向し、資本主義と社会保障制度の仕組みを上手いこと利用する画策である。
そうして、世間的には落ちこぼれ扱いでも、賃金労働者より豊かに暮らしている、どことなくイタリア感漂う生き方を、今春から模索する段取りをしている最中である。
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