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リソースは正しい所に投入する。

投資家の朝は早い。

 最近、平日休みの日は早期退職によって専業投資家となった時のために、予行演習を行うことが日常となりつつある。そこで感じるのは、人それぞれやり方は違えど、前場が始まる前に情報を仕入れるのは、相場に張り付く上で必須で、入念に収集する人ほど朝が早い点である。

 私はテレビは保有していないが、テレ東BIZにてモーサテの同時配信が始まる5時45分に間に合わせる形で起床し、7時5分まで視聴しながら朝ごはんを食べ、視聴を終えると当日の相場動向を自分の頭で考えるために、天気が良ければ1時間程度かけて散歩に出る。

 スティーブ・ジョブズさんではないが、歩きながら考えた方が、室内にこもる時よりも良いアイディアは閃きやすいように感じるためである。そうして散歩をしながら今日の相場予想や立ち振る舞いをイメージしながら家路に着き、楽天証券の日経テレコンで日経新聞の気になる記事を読みながら、前場が始まる9時を待つ。

 前場は11時30分に終わり、12時30分の後場までの1時間で昼食や昼寝を行う。1時間の休憩を終えると、15時まで相場に張り付いている。

 とはいえ、元々中長期投資でファンダメンタルズ分析に重きを置いていたこともあり、今は短期売買のポジションを持たず、中長期で保有する銘柄をいつ買うか、タイミングを見計らうために、チャートを眺めてテクニカル分析を学んでいるのが基本で、頻繁に売買することはない。

 それでも少しでも市場での投資機会を逃さないために5時台に起床して、15時まで相場に張り付いたり、そのための事前情報を仕入れているのだから、結構な労力である。

 その後は日課となりつつあるnoteを下書きしているうちに冬場は防災無線が鳴り響き、気付けば日没寸前となっており、一連のルーティンはもはや趣味というより労働に近い。

 平日休みにこんなことをしている鉄道員など、日本中探しても指で数えられるほどしか居ないだろう。どちらが本業なのか悩ましいが、熱量基準なら間違いなく投資が本業、ぽっぽ屋はボーナスまで出る副業的位置付けとなるのだろう。

好きでないと勤まらないが、好きだけでは勤まらない。

 しかし、これほどの労力を掛けて投資をしたところで、リターンが得られる保証などどこにもない。それどころか、元本を毀損するリスクすらある。投資の世界に絶対はないからだ。

 それでも、どれほど裏切られた気分になるような結果を迎えたとしても、懲りずに情熱を注げるのは、投資やお金そのものが好きだからだろう。嫌いだったら今まで続いていない。

 自分が好きで夢中になれることなら、他人が苦だと感じるものでも難なく熟せてしまったりするもので、それが「好きを仕事に」の職業観が蔓延る一因となっているのだろう。

 そうして、花形とされる人気職業ほど、若い人材が殺到して需要よりも供給が常に上回る状態のため、人件費がどれだけ安くても人材が集まってしまい、やりがい搾取に繋がってしまう。好きでないと勤まらないが、好きだけでは勤まらないため、「好きを仕事に」が理想であるかは懐疑的である。

 確かに、同じ8時間働くのであれば、嫌いなことを永遠やるよりも、好きなことが出来た方が良い。しかし、本当に好きなことほど妥協することが出来ない訳で、好きなことをやるために、乗り越えなければならないハードルや雑務の多さにうんざりして、却って嫌いになってしまう可能性もある。

 私は旅行が好きで、色んな所に連れて行ってくれる交通機関は決して嫌いではなかった筈だが、いざ鉄道従事員となるとルーチンワークかつ失敗が許されず、余計なことが一切できない環境となると、ロボットに置き換えられた方がマシだと思うレベルで嫌気がさしたため、好きなものの範疇で職業選択した結果、却って嫌いになってしまうのは、人生で残された時間を考えると、それなりに勿体ないように感じてしまう。

期待値の高い環境を選ぶ。

 それに、賃金労働者で好きなことを仕事にしたところで、資本主義社会の構造上、雇用主や資本家に労働力を搾取されるだけなのは間違いない。会社は慈善事業ではないところが大多数だから、人件費以上の利益を生み出すことが当たり前とされており、「給与の3倍稼いで一人前」なんて言葉もあるくらいだ。

 確かに何をするにしても経費は必要だ。しかし、自分の看板だけで同じ額が稼げるなら、間に会社を挟まない方が構造がシンプルになる分、中間マージンを取られずに済む。

 その看板がないから組織に属しているのは理由としてはご尤もだが、いくら働いたところで中間マージンを取られ続ける以上、会社や出資者である資本家以上に豊かになることがない構造なのは明らかである。

 だからこそ、「好きを仕事に」が理想であるかは懐疑的だが、これはあくまで賃金労働者に限った話であり、自営業者、会社経営者、投資家は事情が異なる。

 自営業者なら商売相手が選べる分、中間マージンが取られづらいし、会社経営者は中間マージンを取る側に回れる。投資家も強いていえば税金が取られるが、所得税の累進課税制度と住民税を合わせて最大で55%が税金で持っていかれる賃金労働者と比較すれば、およそ2割の分離課税は相当恵まれており、これが1億円の壁と言われる所以である。

 賃金労働者を量産する学校教育の世界に染まると、その後の人生も賃金労働者としての考え方が染み付いてしまい、人生で体力のある貴重な時期の大半を、精々2億円程度で切り売りする枠組みの中でしか選ばなくなり、最期に自分の人生を生きてこなかったことを後悔する。

 企業が利益を出すために、従業員は中間マージンを取られ、貢献した利益の搾りかすみたいな賃金から、更に行政機関の為に税金や社会保険料を天引きされ、若い世代ほど生涯で受ける便益より3,000万円以上もみかじめ料を納めるなんて試算もある。

 これでは物価は上昇するのに対して、可処分所得は減少する一方で、徐々にジリ貧になる未来なのは明白だろう。こんな敗者ばかり生み出すゲームに参加させる以外の選択肢は、学校教育では基本的に提示されない。賃金労働者とそれ以外とで、住んでいる世界が違うから、今の環境が当たり前だと思ってしまう。

 世の中の仕組みや構造を把握した上で、極力自身が損をしない、期待値の高い環境を選択することは今からでも出来ることである。人生の最期に笑って過ごすためにも、今の生き方が本心から満足できるものなのか、今一度広い視野で見直してみると、賃金労働者以外の選択肢が浮上するかも知れない。


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