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たとえ明日、世界が滅びても今日、僕はリンゴの木を植える。

2年前に植えた苗木の現在。

 タイトルはドイツの宗教改革者であり、私がことある毎にこき下ろすプロテスタントを成立させたルターの名言である。労働を美徳とするプロテスタント的思想は、社会不適合者かつ怠惰な私には相容れないものがあるが、この名言は結構好きである。

 どれほど我々が生きる日本社会が低迷していて、何よりもシルバー民主主義がクソで、将来性のカケラもなく、閉塞感ばかり募るとしても、未来への希望を捨てずに、今できることを直向きに実行していく時に、この言葉が思い浮かぶ。

 先日、GAFAの一角である某企業のCEOは、決算説明で新規事業への投資に対して、「数十年後に振り返れば、重要な仕事だったと分かるはずだ」と説明したが、投資家には受け入れられず、決算説明会中の時間外取引だけで、日本円にして10兆円規模の時価総額が吹き飛んだのは記憶に新しい。

 それほど長期的に見てプラスになるであろう取り組みというのは、往々にして目先の利益や損得勘定とは相反する性質から、他人からは理解され辛い傾向にある。しかし、目先の利益ばかりを追い求めていれば、それで一喜一憂してしまい、自分自身が成長することが出来なくなってしまうかも知れない。

 私は先日、短期大学から学位を授与したことで、晴れて非大卒から、短期大学士とはいえ大卒の仲間入りを果たした。リカレント教育やリスキリングが注目されそうな気配が漂っている昨今ではあるが、社会人と並行して自学自習の通信制教育で、通学部と同じ2年間で卒業単位を修得して、卒業するのが決して楽な道でないことは確かである。

 殆どの人はそんなことはやりたがらず、たとえ非大卒で社会から不遇な扱いを受けていても、社会人と大学生を並行することを諦めてしまい、現状を甘んじて受け入れてしまう。果たしてそこに成長はあるのだろうか。

知的好奇心が強いと、判断を間違え辛い。

 振り返ること今から2年前、世の中は疫病による自粛ムードが漂っており、この先どうなるかは検討もつかなかった。そんな中、通信制の大学で働きながら学士を取得しようと考えたのは、休日の在宅時間の増加や、職場の煩わしい付き合いが自粛でゼロになったこと。

 疫病の歴史を振り返り、香港風邪と状況が酷似していることから、この事態が収束するのは最低でも2年要すると判断したことを鑑みて、若年男性なのに非大卒という学歴の弱みを補うのは今しかないと直感したからである。

 結果として、2年前の不確かな状況で思い切って判断したからこそ、周囲がリカレント教育やリスキリングと言い出し始めたタイミングでは、既に先を越している状態となっている。

 これは我ながら、知的好奇心の強さから、たとえ今までの人生で経験したことのないような状況であっても、累積した知識の中から応用できそうな材料をいくつか引き出してみて、多角的かつ合理的に判断する能力が、他人よりも高いものと推察している。

 だからこそ、他人との接触を極力避けなければならない時期に、愚策とも言える外食産業や旅行業の支援が行われて、疫病を抑え込みたいのか、広げて医療逼迫したいのか。

 経済政策とごちゃ混ぜにした結果、政策意図がよく分からなくなってしまったカオスな状況下でも、2年後に学士を手に入れることを目標に淡々と学習しており、血税を少しでも取り戻そうと愚策に乗ろうと一切思わなかった点は、今思えば正しい判断とは言い切れないまでも、少なくとも間違っていなかったと振り返る。

 知的好奇心が強いと、専門家が読み違えるような不確かな状況下であっても、後から振り返って見た時の判断を間違え辛いのである。

最初に点を沢山作ると、後に線で繋がる。

 スティーブ・ジョブズさんがスタンフォード大学の卒業式で、伝説のスピーチを行った際の名言「Connecting the dots」は有名である。動画が公開されているため、興味のある方は調べて観てみることを勧めるが、この場で要点を抑えると、将来を予測して知識や経験という点を繋げて線にすることはできないが、今やっていることが、将来には線で繋がると信じて取り組むことが重要だという趣旨の言葉である。

 実体験として、自身がリード大学時代に受講したカリグラフィの授業は、当時は何の役に立つかも定かではなかったが、後にApple社の主軸製品となるMacintoshが、多様なフォントを揃えるようになったことに繋がっている。

 誰もがこんなサクセスストーリーに仕上がるのは現実的ではないが、とはいえ役に立たないからやらないよりは、何の役に立つか分からないが、まずはやってみる姿勢で居る方が、短期的には小さな差で意義を感じられないかも知れないが、後者はトライアンドエラーを繰り返して可能性が広がる分、長期的には目に見えるほど差が開く可能性がある。

 だからこそ、どんな状況でも今日、リンゴの木を植えるのである。多くは果実まで育たないかも知れないが、その経験も含めて行動し続けることが自身の成長に繋がり、後々大きな意味を持つのである。

 投資の世界でも、若くて少額なうちに、致命傷にならない失敗を何度も経験して、その度に学ぶことで失敗するパターンを知り、そのパターンに抵触しない手法を編み出すことで、負けない投資が実践できるようになり、晩年に大きな資産を築くことに繋がると思っている。

 そうして調子に乗っては4年制大学に編入し、2年後に学士が取れるのか、失敗談として後に笑い話となるのかは分からないが、まずは苗木を植えてみて、水をやることが、今この場で出来ることであり、そうして20代のうちにひとつずつ点を増やしている最中である。


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