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死を覚悟したら本心が現れた。

 私は幸か不幸か20代の折り返し地点で胆石発作で倒れ、手術で内臓を摘出するという、ある種、大きな病気を経験したことで、死を意識して、今後の人生がどうありたいかを改めて考える運びとなった。

 詳細は別記事に譲るとして、ひと気のない森へ一人で出歩いている時、突然発作が起きた。その際、声が出せない上に周囲に人もおらず、自分の状況を伝えられない状況では、緊急通報(※NET119の存在をこの後に知った)ができるわけもなく、森の中ひとりで15分以上のたうちまわり、このまま死ぬのではないかと恐怖感に襲われた。この時、走馬灯なんて過去の思い出を呼び起こす余裕などない。

僕にはやりたいことがまだある!このまま死んだら全てが無駄になる!今死にたくない!

 死を美化しないナディアの名シーンそのままの、普段なら表出しないドロドロした醜い感情が強く現れた。今、死にたくないと死を拒んだのは、不労所得で生きていけるだけの経済的自由を獲得する目標が道半ばで、それだけを希望に生きていたからだ

 トリニティスタディの4%ルールを参考にすると、株式と債券が半々のポートフォリオで、年間生活費の25倍の金融資産を持てば、統計上、投資元本はほとんど目減りせずに、資産の運用益部分だけを取り崩して生活できることが明らかになっており、言うならば人生上がりの状態だ。

 発作で倒れた時の私は、時価総額で年間生活費用の23倍程の、20代で上位0.8%に相当する金融資産を保有している状態だった。別に遺産相続があったわけでもなく、奨学金という名の借金を借りたくなかったから、社会に出た時の最終学歴は高卒。コロナ前の業績が悪くない頃でも年収400万円程の一般的な鉄道員だ。

 収入は高々知れていて、純資産はゼロスタート。運用利回りは相場によるから完全に運要素。つまり、資産形成の方程式の4要素でコントロール可能なのは支出だけ

(収入-支出)+(純資産×運用利回り)

 同世代が車や保険、遊びで散財する一方で、私は社会に出てから今まで質素倹約に努めて投資の種銭を確保して、ようやく金融資産が生活費用の23倍となり、上がりが見えてきた矢先の発作

このまま死んだら、生涯節約で終わってしまう。

 効率よく蓄財するための正規雇用なんて小さいプライドを捨てて、札幌に移住しておけば良かった。この身体で北の大地の雄大な自然を思う存分味わいたかった。たくさんの綺麗な雪景色をこの目で見たかった。海鮮、寿司、ジンギスカン、スープカレー、味噌ラーメン、飽きるまで食べたかった…。そんなことを思いながら発作で立っていられなくなり、のたうちまわった。

 当日は急患で病院送りとなり、気胸の疑いからCTを取るも異常が見られず帰宅。具合は悪いままで、翌日に再度来院し、血液検査をしたことで、シラフにも関わらず肝機能障害が発覚し即時入院。

 のちに胆石発作ではないかと知り、発作が原因で直接死に至ることは殆どないらしいものの、放置して胆管炎に発展すると40%〜70%の確率で死に至るらしい。早期発見であれば、手術しないで経過観察をする選択肢があるが、私の場合は胆嚢が石で埋め尽くされている末期で、摘出する以外の選択肢は残されていなかった。

強制的に今後の人生について考える機会を与えられた。

 普段、何事もなく普通に生きていれば、自分の本心を無意識に押し殺して生活しているものだとつくづく思う。それでもいつかは、死を意識して本心に気付くわけだが、大体は死ぬ間際で、その頃には、やり直すだけの時間も体力もない現実を知り、後悔するわけである。

 その点、私は突然の発作で苦しみ、死を覚悟したことで本心を知り、一旦はやり残したことを後悔したものの、内臓の摘出手術により、一応は回復して現世に留まることができた。

 今は病み上がりで本調子ではないものの、体力が元に戻れば、やり直すだけの時間も、同世代比で圧倒的な金融資産も有している状態で、わざわざ幸せを感じない人生を送る必要なんてない。

 入院や手術で身体が自由に動かせない状態となったことで、後悔しない人生を送るためのきっかけを、20代の折り返し地点で得られた点で運が良かったとすら感じた。

 以前に「入院することになっても(中略)運が良いと思うことだろう。」と書いたが、まさにその通りとなった。

疫病により既存の価値観が変容し、新しい時代が始まりつつある。

 今現在、世界中が転換期を迎えている中で、ニューノーマルに対応していくのか、既存の価値観を守っていくのかは人それぞれだが、もし、現状に満足していないのであれば、この環境を利用して、周りのことを気にせずに、自分が思い描く道に変更できる千載一遇のチャンスと捉えるのはいかがだろうか。

 私がこれまで先送りしていた、大卒資格の取得を通信で行うことに踏み切ったのも、行動様式の変化という後押しがあったからだ。

 人生は一度きり。周りを気にしたり、失敗するのではないかと言った恐怖心から、行動を躊躇えば、最期に後悔するのは他の誰でもなく自分だと、発作を通じて痛感した。

 最後に私が好きな一文を紹介し、皆様が本当に大切にしている「何か」を掘り起こす一助となれば幸いである。

”人生を左右する分かれ道を選ぶとき、一番頼りになるのは、いつかは死ぬ身だと知っていることだと私は思います。ほとんどのことが周囲の期待、プライド、ばつの悪い思いや失敗の恐怖などそういうものが全て、死に直面するとどこかに行ってしまい、本当に大事なことだけが残るからです。自分はいつか死ぬと言う意識があれば、何かを失うと心配する落とし穴にはまらずに済むのです。人とは脆弱なものです。自分の心に従わない理由などありません。”

スティーブ・ジョブズ II|ウォルター・アイザックソン(著) 井口耕二(翻訳) 


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