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現状が不満なら環境を変化させる。

同じ環境に居続けるのは毒。

 学生や新社会人など、新年度を機に新生活が始まった方も居ることと思われるが、一度社会に出ると、異動が頻繁に行われている職場でもない限り、自ら環境を変化させようと思わないと、定年退職に至るまで劇的な変化が訪れることはない。

 もちろん、昇進とか昇格することはあるし、それに伴って職務の内容が変化することはあるが、バスケットボールのピボットみたいに片足を軸に、もう片方の足を動かしているに過ぎず、劇的な変化とは言い難い。

 そして、片足を動かした状態に慣れてしまうと、やがて飽きへと繋がり、退屈な日々を繰り返す可能性が高い。

 もし、少子化問題に歯止めをかける気概のある、立派な形であれば、子どもの養育をすれば、子ども側の環境が数年おきに変化して、それが20年前後続く。

 だから、仮に30歳で子どもが産まれたら、50歳前後まで何かしらのイベントが発生し、現状だとそこから10年程度で定年退職を迎え、引退生活にシフトするため、それなりに環境が変化する。

 しかし、私のように人口ピラミッドが逆三角形かつ、少ない現役世代で多数の高齢者を支える社会システムの日本社会では、ただでさえ自分が厳しい状況なのに、自分たちよりも後に生まれる世代のことを考えたら、子どもを持ちたいとは思えないのが自然な流れである。

 子ども側が明確な意思を持って産まれる訳ではなく、親のエゴで生まれる以上、没落する泥舟で、高学歴や英語教育などの助け舟が出せるだけの経済力を有さない限り、親として不甲斐なさを感じる可能性が高く、それを踏まえたら独身貴族やDINKsを貫こうと思う方がそれなりに居るだろう。

 それが現在の少子化に拍車を掛けているのは言うまでもないが、生涯子なしを選んだ賃金労働者は、基本的には自ら環境を変化させない限り、現在の延長線上のような環境が40年近く続く可能性が高い。飽き性な私はそれに耐えられる自信がなく、心身の健康を鑑みたら毒そのものである。

全てを変える時、必要になる勇気と覚悟。

 振り返れば、社会に出てからこれまでの間、4年以上環境が持続した試しがない。端的に言えば飽き性である。

 社会に出て最初の環境を標準で考えても、3年もせずに飽きて転職先を探している矢先に、人事異動でハズレを引き当て、それを機に転職活動は本気度が増し、逃げるかのように半年後に転職。

 転職先でも最初こそ新鮮だったが、同業他社という事情もあり、1年も経てば一通りの作業は経験して、前職から現職へのコンバーターも殆ど完成してしまうことから、ルーチンを繰り返すだけの取るに足らない日々と化した。

 その矢先にコロナ禍となり、取るに足らない日常が更につまらないものとなり、刺激を求めるかの如く通信制の大学に在籍して、社会人学生としてブラッシュアップをするも、オーバーワークだったのか病に倒れ入院、手術。

 ただでさえ燃え尽き症候群やクォーターライフ・クライシスさながらの「生きる意味が感じられない」状態だったところに、人生100年時代の1/4中継地点を通過する前に身体の健康を損なった。

 本格的に「長過ぎる余命に対して、既に日常生活に制約が生じている、この呪われた身体で生きていても仕方がない」と考え始めたため、全てを変えるべく早期退職と地方移住を決意して、実行に至った。

 必要なのは全てを捨ててでも、新しい環境に飛び込む勇気と、これから起こること全てに対して自分で責任を持つ覚悟だけである。

人生は積み減らし。

 現在、自分のことを知っている人が、誰ひとりとして居ない場所に生活拠点を移し、この執筆をしている。鉄道員だった過去も、オーバーワークで大病を患った過去も、都会で暮らしていた過去も、SNSアカウントが特定されたり、自分から口に出しさえしなければ、誰にも分からない。

 自分のキャラ設定から何もかも全部、ゼロからやり直せる。強いて言えばローカルルールに違和感を覚えることがあるかも知れないが、「郷に入れば郷に従え」の精神で慣れてしまえば良い。

 夏目漱石さんの草枕の冒頭を借りれば、何度引っ越したところで、自分にとって住みやすい場所など、どこにもないことを悟るだけなのだから、自分自信が住みにくいなりに割り切って、生活する術を体得してしまった方がはやい。他者の環境を変えようとするのは無駄骨でしかない。

 それ以上に、これまでの自分を知っている人に、街中でまず出会うことがないから、見栄とか世間体を気にする必要がなくなる。

 内臓をひとつ失った代償で日常生活に支障が出ていることも、比較対象がないのだから、最初から「そう言う人」で通せば、胃もたれ間違いなしの暗くて重い過去をいちいち説明する必要がない。

 自分がそう思える環境に身を置いてみると、過去がどんなに辛くても、不思議と「生きるのも悪くない」と感じて、外の景色は見違えるように明るく見え、花鳥風月に明け暮れる日々に感動を覚える。

 何となく生きづらさを感じているのであれば、自分では決して気付けない「重荷」を、知らず知らずのうちに背負っているのだろう。

 岡本太郎さんの「人生積み減らし」にあるように、何とも表現し難い閉塞感に苛まれているようであれば、今持っている全部を捨てて、環境をフルリセットしてみると、私のように生きやすくなるかも知れない。


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