見出し画像

リカレント教育には、社会の受容が必須。

高校を出た直後に行く大学の存在意義。

 10月20日の日経新聞で、リカレント教育への関心が高まっている反面、課題も多いと言った内容の記事を、学び直しをしている当事者として読んでいた。

 そもそも、最近になってやれリカレント教育だ、リスキリングだ、生涯学習だと注目されるようになった要因として、AIやロボットの実用化によって、事務作業やルーチンワークの大半は、将来的に機械に取って代わられる可能性が高く、その反面、IT人材が不足していることから、社会のニーズに合った再教育を行い、人口減少社会で労働力の量は減少するものの、質を底上げすることで労働生産性を向上させたい意図が見え隠れしている。

 しかし、そんな政府の意図とは裏腹に、学び直しをすることで人的資本が向上できる余地のある人ほど、非正規雇用や中小企業勤めの傾向があり、学び直すためのお金も時間もなく、リカレント教育が受け難い環境にあると指摘されている。

 これは一理ある意見で、高給なホワイトカラーな職種に就けるような人は、金銭面でも時間的にも余裕がある傾向にあり、もともと転職市場で評価が高い人ほど、学び直しへのハードルが低く、反対に労働集約型でルーチンワークしか出来ず、スキルの溜まらない職種に就く人ほど、薄給激務故に学び直しへのハードルが高く、学生時代の学力差が、経済格差に直結し、それが社会に出ても縮まることなく、むしろ拡大し続けているのが現実である。

 それに日本はバブル崩壊以降、企業が採用に慎重になったことで高学歴社会と化した。失われた30年で、高卒で商社勤務の係長、35歳で年収600万円超の野原ひろしは、もはや高卒サラリーマンの標準スペックでは無くなっているのは明白である。

 高度経済成長期なら高卒で就けた職種ですら、大卒でなければ募集要項の条件を満たせず、書類選考すら通らない時代なのだから、貸与型奨学金を利用してでも大学に進学するのが当たり前となっている。

 しかし、大学の学費は決して安価ではなく、奨学金利用者は平均288万円の借金を背負って社会に出て、そのうち9%は延滞している現実がある。大学を出たところで、高給な職種に就ける保証などどこにもなく、仮に労働集約型の職に就けば安く使われる。

 年功序列も終身雇用もアテにならず、若い時の安月給が20年、30年後に回収できるかも定かでない中で、奨学金の返済が10年スパンで重くのしかかり、結果として20代単身者の貯蓄額は中央値で8万円であることが、金融広報中央委員会の調査で明らかになる体たらくである。

 30歳を過ぎて、ようやく奨学金を返済し終えた矢先に、今の仕事が時代のニーズに合っていないから、引き続き稼ぎたいのであれば、自己負担でリカレント教育をどうぞ。などと国に言われたら、何のために高校を卒業した直後に大学を出たのか分からず、騙された気分になること間違いない。

学び直しが想定外な日本型雇用システム。

 それに、採用する企業側からしても、時代のニーズに合った学び直しを行ったは良いものの、実績のない人材を積極的に採りたいかと問われれば、答えはノーだろう。その証拠に「アンダークラス化する若者たち」では、日本の雇用システムにおいて、リカレント教育を受けた者は「想定外」と記されている。

”就労してから大学に入り直すなどの選択肢は、家計の学費負担の大きさから困難であるし、そもそも日本の高等教育は、それぞれの偏差値に見合った「格」の企業につなぐ社会資本関係の「場」として価値があった。そこでライフコースの中途で、高等教育で知識や技能を習得し直し、労働市場に再度参入すると言うのは、基本的に「想定外」なのである。”

アンダークラス化する若者たち|宮本 みち子・佐藤 洋作・宮本 太郎

 そもそも、日本の転職市場でポテンシャルを見込んで採用する年齢の上限は、新卒一括採用の弊害で事実上、第二新卒枠までで、一般的には大卒となってから3年程度の20代前半までとなり、20代後半からは実績が重要視される。

 ここに矛盾が発生する。社会に出てある程度の時が経ち、将来的に人手が余る斜陽産業から、猫の手も借りたい成長産業にシフトするためにリカレント教育を受けたところで、30代以降の可能性が高く、異業種で実務経験がなければ現行の雇用システムでは想定外なのだから、転職市場で評価されることはない。仮に20代前半で再教育を終えた人が実在しても、それがリカレント教育だと思われるかは怪しいところである。

 それに、リカレント教育で想定されるのは、一度社会に出たものの、育児や介護などでキャリアに空白期間があり、その間に再就労する準備としての側面であったり、一度社会に出て自分に何が足りないか、何に興味があるのかを知り、それを学ぶための場として大学に行く側面が強い。

 私は後者の立場で、工業高校を卒業後に一度社会に出てから、人生設計の鍵となる資産運用に活かせそうな、経済学や商学、心理学を体系的に学ぶために大学で学ぶことを選んだ。

 それにより、高卒から短大卒ではあるものの、非大卒から大卒の仲間入りを果たし、日商簿記2級まで取得。もう2年掛けて学士と2級FP技能士を取得するために編入して、学業を継続している。

 短大卒と簿記資格を取得したとはいえ、転職市場でそれが評価されて、経理や事務職を選り好みできるどころか、大半は未経験者歓迎の求人であっても、書類選考で落とされるのが実情である。

 需給面でも将来的にも人手が余る職種であることが、多分に影響しているのは間違いないが、そもそも論で、新卒当時の最終学歴であった高校時代は、工業学科で第二種電気工事士や溶接の資格を取得し、鉄道会社に入社するという、学業と職業である程度の一貫性があった。

 そこから、突如通信の大学で学び直し、しかも工業学科とは畑違いな学部で、簿記まで取っているのだから、側から見たら一貫性のカケラもなく、意味不明で真っ当な企業の人事担当者ほど、変な奴を採用して責任など取りたくないのだから、応募書類を見た時点で避けられるのが現実で、相当物好きな中小企業のワンマン社長でもなければ、面白そうだから話くらい聞いてみようなどと思わない。

 一介の鉄道員として、将来的に人口減少と通信技術の発達の影響をモロに受ける斜陽産業である覚悟はしていたが、疫病によって想定以上の早さで経営モデルの脆さが露呈し、自動運転などの合理化に躍起になるなど、世代的にどう考えても定年まで逃げ切れるとは思えず、危機感に突き動かされて、短期大学士や簿記資格を取得するに至った。

 しかし、蓋を開けてみれば、転職市場で想定外な存在故に評価軸が存在せず、全くもって相手にされないのが実情である。鉄道会社で正規雇用、キャリアに空白がないにも関わらず、あまりの書類選考通過率の悪さから、某R社の転職エージェントからは、非正規雇用の求人を紹介される始末で、しれっと退会したのは言うまでもない。

 人材を流動化させるためには、リカレント教育に力を入れるよりも前に、氷河期世代のような運悪く不景気でキャリア形成の最初に躓いて、望まない非正規雇用の無限ループから脱出できずにいる方や、病気や家庭の事情などの理由で、キャリアにブランクが発生してしまい、社会システムの枠組みから外れてしまった若者世代に目を向け、自己責任論で片付けない社会保障システムの構築や、日本型雇用システムをぶっ壊し、レールから外れてしまった方々を、排除することなく受容できる社会を創ることが先決ではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?