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資源を大切に。

 こんな表題だ。どうせSDGsだろう。そう感じた方もいるかも知れないが、ここでの「資源」はエネルギー資源というよりも、経営資源である、ヒト、モノ、カネに関して記そうと思っているが、状況によってはSGDsと重なる部分があるかも知れない。

ヒト。

 人を大切にするなんて当たり前だと思うかも知れないが、現代はシルバー民主主義故に、社会は将来を担う若者を大切に扱っているという感覚は、当事者として微塵にも感じない。

 シルバー人材センターなんかは典型例だろう。公益社団法人だから、役人が管轄しており、恐らく天下り先などのポストになっているから、直接的ではないにしても、完済済みの住宅と、年金によって、安定した生活が担保されていることが多い高齢者に対して、税金が使われている。

 しかし、若者にシルバー人材センター規模の税金を投入してまで、望まない形の非正規雇用にしか就けていない人や、失業者、引きこもりに対して支援を行う光景は見たことがない。

 バブル崩壊後、企業は正社員をクビにすることが困難であることから、正規雇用に慎重になり、非正規雇用が爆発的に増加。その煽りで学歴社会と化し、貸与型奨学金で大学に出て、平均288万円の借金を背負った状態で社会に出るのが当たり前な時代となった。

 それでも、労働集約型の正規雇用では初任給が安く、完済する30代まで生活がカツカツなのが実態で、金融広報中央委員会の統計では、20代単身者の貯蓄額の中央値が8万円となる体たらくである。

 人口統計上、日本に20代はざっくり1,000万人居るが、そのうちの500万人は銀行口座に8万円以下しかなく、生活残業に追われる貧乏暇なしが過半数と思われるし、失業や病気など、何かの拍子にキャッシュフローが滞れば、いつ生活が破綻してもおかしくない程度に不安定な状況の人が多く、晩婚化に拍車が掛かるのも頷ける。

 正規雇用に就いても、今を生きるのに精一杯で、将来のことなど考えられる状況にない人が相当数存在する中で、更に不安定な非正規雇用で社会を支えている若者も決して少なくない。

 現役世代の若年層の大多数は、持ち家でもなければ、年金もなく、生活基盤が不安定にも関わらず、社会は自己責任論で冷たく、行政機関によるセーフティーネットはないに等しく、NPO団体が細々と活動している程度である。

 デーブ・スペクター氏のTwitterに、以前こんな投稿がされていた。

 社会が若者をいじめた後はどんなに優しくしてあげても元に戻らない。氷河期世代がトップバッターだが、団塊世代が居なくなり、団塊ジュニア世代でもあり、社会に対して恨みを持っている人の割合が高いこの世代が、人口統計のマジョリティとなった時に、どんな社会となるのかはご想像にお任せする。

モノ。

 物を大切にするなんて、子供時代に大人から散々言われた気がするが、言う側の大人も結構な割合で大切に出来ていないと、人様の家にお邪魔すると思うことがある。

 もったいない病から、モノと言うモノをこれでもかと溜め込む人は、ひとつひとつを管理することが、物理的な限界からできなくなることで、衣類がカビていた。同じものの使いかけがいくつも出てきて、どれも使えず捨てるしかない状態となっていた。などの望まぬ形で捨てる羽目になるケースが多く、私はこちらの方がよっぽどもったいないと感じてしまう。

 モノを保有している=大切にしている。とはならないのが持論である。モノにとって最良な状態とは、手入れをしながら最大限、道具としての利点を引き出して貰えている時ではないだろうか。

 だから私は、半年毎に持ち物を総点検して、2回連続(1年)で出番がなかったものはフリマアプリに出品するなり、中古買取に出すなり、値段が付かなければ無料で引き取り手を探したり、処分するなりして手放すように努めている。

 思い出の品に関しては、日常で出番が来ることはまずないが、買い直せる性質のモノでないため、慎重なくらいがちょうどいいと思う。とはいえ、写真で撮るなどすれば、思い返すきっかけとしては十分であり、賞味期限的なものはあると考えている。

 時間経過とともに、捨てる抵抗感よりも保有する煩わしさが上回った時が期限切れで、もう取っておかなくても良いと思ったものから順次手放しては、徐々にコンパクトにまとめている最中である。

カネ。

 お金に関して私が意識しているのは、学生の頃は時間があってお金がない。社会に出るとお金はあるが時間がない。老後を迎えるとお金も時間もあるが、体力がなく、賃金労働者の人生では、お金、時間、体力の3つが揃っている時期が殆どない点である。

 巷ではFIRE卒業なんてパワーワードが出てきたが、経済的独立であるFIと、早期退職のREは分けて考えるべきである。

 発信者がFIに失敗して復職したことを卒業と記したのか、FIは維持したまま、社会的な何かを求めて好きな仕事に就いたことを卒業と記したのか、定かではなく、上記の解釈がごちゃ混ぜになっているから、コメント欄が荒れるのではないだろうか。

 私は先述の人生哲学から、例えFIが失敗に終わったとしても、REを取り消すことはしないだろう。お金は無くても耐乏生活には慣れているが、時間に追われる生活ほどストレスフルなものはないことを、鉄道員として嫌と言うほど味わって来たため、何者にも束縛されない自由な時間を死守することが最優先事項である。

 そして、20代ながら職業柄の不摂生が引き金となって大病を患い、同世代比で体力にハンデが生じて、これを一生背負って生きていかなければならないことを踏まえると、歳を重ねてからお金持ちになっても仕方がないと考えてしまう。

 確かに賃金労働者の道を外れることは、同調圧力の強い日本社会において、多数派から忌み嫌われる存在であり、一旦枠組みから外れれば、村八分同然だから元の世界には戻れない。とはいえ賃金労働者として、人生で体力のある時期の時間の1/3を、生涯賃金2億円ほどで切り売りをする価値観が、社会不適合者故にどうにも受け入れられないのである。

 2割が税金や社会保険料で徴収され、可処分所得は1.6億円。一応大衆のイメージである夫婦子供2人家庭をベースにすると、住宅関連費用4,000万円、養育費4,000万円、保険1,000万円、老後資金2,000万円と平均値を差し引くと、現役の頃に自由に使えるお金は5,000万円しか残らない。

 それならば、一昔前の上記を全部こなして一人前の価値観を疑い、子供、住宅を持たないDINKsや、多くを求めずに自由を実現するLeanFIREが注目されるのも自然な流れである。

 私は生涯賃金の全体像を踏まえた上で、20代のうちに老後資金を確保したら、それを個人投資家として運用して、生涯収支が税引後に5,000万円程あれば、単身者なら賃金労働者とQOLにさほど違いが出ず、お金、時間、体力が揃う時期に自由を謳歌できるのではないかと考えた。

 投資家は生涯現役だから、生涯収支5,000万円なら30歳で早期退職しても、平均寿命の82歳まで52年間あり、年間換算で96万円程度。老後資金の2,000万円があれば、年率4.8%以上で運用し続けることができれば逃げ切れる計算で、多少リスクは伴うがインカム+キャピタルで4.8%なら、現実的な数字に収まっていて希望はあり、来春から人柱的に実行して、実証実験に移りたいと考えている。

 人生は一度きりなのだから、自分以外に生殺与奪権を握らせない意味でも、選択肢を増やしてくれるお金は重要な資源なのである。


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