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お金持ちほどゴミが少ないシンリ。


ゴミにまで気を回せる余裕がある。

 過日、郵便ポストに管理会社から、集積所にゴミ出すなら分別しとけやゴラァ的なお怒り文がペライチで投函されていた。家賃の安いアパートあるあるで、ゴミの分別すらまともにできないレベルで、モラルのない住人が同じ建物内に居ることは確かである。

 そんなお察しな物件に居住コストが安いからと、割り切って住んでいる私は、回収頻度の高い可燃ごみすら、最も小さいサイズの指定ゴミ袋がパンパンになるまで半月程度要する程度に少ない。

 特に夏場は虫が湧いてもメリットはないので、最低でも週イチペースで出すものの、半分も入っていない状態で出すことが多く、ゴミが少ないのはSDGsの時代に合っていて良いことだが、袋が勿体ないと思う自分もいる。

 そんなゴミの量は、貧しさと比例しているというユニークな仮説を立て、自己の生活に活かしながら、ゴミの分別や削減活動を行っているのが清掃芸人ことマシンガンズ滝沢氏だ。

 ゴミの捨て方に人間性が出るという、収集作業員ならではのユニークな視点や、エコが求められる時代背景、コロナ禍でエッセンシャルワーカーに敬意を持つ機会が増えたことが、注目を集める一因だろう。

 私もかつてエッセンシャルワーカーとして勤めていたことから、回収する側の身になって、白色トレイはスーパーで回収したり、紙は古紙回収に出す。衣類は販売元が回収してくれるものを選ぶなど、資源になるものはゴミとして出さず、極力減らせるよう分別は気を遣っているつもりでいる。

 記事の最後にある、ゴミにまで気を回せる余裕があるとも捉えられるが、流石にお金はかけられないあたりに、大富豪とは格が違うのだと思い知らされる。

モノ消費は記号の交換。

 とはいえ、ゴミの出し方に気を遣う以前に、そもそもゴミになるような買い物をしないのが一番なのは間違いない。それが自然にできている人ほど、無駄な金銭消費をしないため、結果としてお金持ちになると考えれば、ゴミの量は貧しさと比例している仮説は理にかなっている。

 では、無駄に消費しないためにはどうすれば良いか。霞を食ってる仙人になることをイメージしがちだが、個人的には禁欲的になると、どこかで反動が生じるため、その必要はなく、人がどのようなメカニズムで消費を行うのかを知れば、無駄に気付く切り口くらいにはなると考える。

 参考になるのが、フランスの哲学者ボードリヤールが提唱した「差異的消費」の概念だろう。「消費は記号の交換」であると再定義した上で、消費の目的を、「機能的便益の獲得」、「情緒的便益の獲得」、「自己実現的便益の獲得」の3つに大別されるとしている。

 平たく記せば、目的は違えど、私は他人とは違う存在だという「差異」を生み出すために「記号」を求め、人は「消費」しているのである。

 陳腐な例えだが、ブランド品という「記号」があることで、その記号を持っていない他者との「差異」から、自分の社会的なポジションを認識するのが人間という生き物であり、マウンティングはその典型だろう。つまり、これらの欲求は社会的なものと言える。

 このブランド品の部分が、情緒的便益。今風にいえばエモ消費もこれか、自己実現的便益に位置するのだろう。単純に性能が良くなるから消費する場合が機能的便益に当たるが、モノが飽和している日本社会では、大抵の物は性能が頭打ちになっており、機能性以外をウリにしているのが現状だろう。

余計なものを買わない心理的余裕。

 煎じ詰めると、真のお金持ちほどマウンティングに対する煽り耐性のようなものが強く、それ故に無駄な消費をしないものと思われる。

 例えば、自家用車を選ぶ際に、機能的には4つのタイヤとハンドルが付いていれば、移動する用途において、どれを選んでも大差ない。高級車だろうが、軽自動車だろうが、新車だろうが、中古車だろうが、どれを選んでも自由である。

 しかし、サラリーマンかつ通勤用みたいな同質性の高い環境だと、車種がプリウスのような大衆車や手頃な軽自動車に偏る。そこで背伸びをしてレクサスに乗る人が出てくると、ステータス感で一人勝ちできる。

 収入は大差ない筈なのに、レクサスに乗れるだけの経済力のある俺。的なマウンティングをされるとやっかむ人が出てくる。そうなると、ベンツで見返してやる的なマウント合戦が勃発する。

 そんな時にお金持ちは、仮にレクサスやベンツでマウンティングされても軽く受け流せる。

 別に大枚を叩いたところで、掛けたコスト以上に移動が快適になる訳でもないのだから、今乗ってる中古車で十分。その気になればランボルギーニ買えるし的な、お金があることによる心理的余裕から、記号に踊らされることがなくなる。

 簡単に行ける観光スポットほど、いつまでも行かないのと同じで、お金持ちからすれば、簡単に買えるものほど、今すぐ買いたいとは思わない。むしろ膨大な選択肢の中から、どれかひとつを選ぶのが面倒なのが本音だろう。週末にショッピングを楽しむ大衆とは正反対だ。

 そうして社会的な記号ではなく、自分が価値を感じるものにだけ、お金を惜しみなく使う。思い入れのあるものだと、大事に扱い、時にメンテナンスや修理をするから長持ちする。反対に、余計なものは一切買わなくなり、必然的にゴミの総量が減る。故にお金持ちほどゴミが少なくなる。いかがだろうか。

 滝沢氏のように、ゴミを極力出さないために、行動を最適化することで、自然に無駄な消費をしない習慣が身につき、お金持ちのような心理から家計が好循環となる可能性があるなら、騙されたと思ってやってみる価値はあるように思う。


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