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日本の衰退と個人の不幸は別問題。

生活コストの安さを活かす。

 ご存知の通り日本は少子高齢化によって、ソ連の崩壊が予測できた人口動態を見ても、衰退の一途を辿ることが予想されており、将来について悲観しがちである。

 特に若者は人口ピラミッドの構造上マイノリティで、高齢者優遇、現役・子育て世代冷遇なシルバー民主主義の現状を変えることは、ひとり一票の多数決である限り不可能な事実も相まって、高齢者をまとめて富士吉田市に移住させて富士山が噴火でもしない限り、将来に希望のカケラも見当たらないのが一介の20代として思うところである。

 しかし、デカルトの名言である「困難は分割せよ」を借りるなら、日本が衰退して全体的に貧しくなることと、自分や周りの家族、友人が不幸な生活を送るかは別問題なのである。

 日本はインフラ整備が一巡したこともあって、生存に必要な衣食住のコストは思いの外高くない。

 衣類を全身ユニクロで揃えても1万円前後だし、古着屋やフリマアプリを活用すればもっと安い。

 食に関しても、日本人は完全栄養食である玄米と味噌さえあれば生きていけるのは私たちの祖先が実証済みで、現代はそれらがたった1日分の賃金でも1ヶ月は悠に生きられる分量を購入することができる。副食物を取り入れても単身者で自炊すれば月に2万円もあれば、江戸時代の殿様より良いものが食べられる。

 住環境も大分県杵築市のような住宅が過剰供給されている地方部なら、家賃は1万円程度である。水道高熱費が1万円だとしても、住居関連費用は月2万円程度まで圧縮できるだろう。

 現代人の生活必需品である携帯電話もオンライン専用プランの登場によって三千円で十分使えるし、アマゾンプライムがあればエンタメには困らない。使い潰すには相当な時間が必要だから、数ある誘惑の中からボーッと生きる暇を捻出する方が難しい。

社畜より幸福かも知れない社会的弱者。

 工夫次第でそこそこ楽しく、健康で文化的な最低限度の生活は月5万円もあれば営める。地方に仕事がないのは一理あるが、月5万円程度ならアルバイトで工面出来るだろう。大分県の最低賃金である822円で割っても月に61時間働けば生きていける。

 公にはフリーターで社会的地位は弱いが、それを利用して年収が100万円に満たなければ殆どの自治体でも所得税、住民税が徴収されないし、健康保険料も申請によって5〜7割減額される。

 国民年金は申請することで全額免除となるが、仮に1円も年金保険料を納めなくても現行制度が続く限り、折半の国庫負担分だけ勝手に計上される仕組みだから、合法的に支払いを免れておきながら、満額支払った場合の月6.5万円の半額である月3.25万円を掛け金ゼロで受給することができる。

 合法的に納めずに浮いた国民年金保険料の上限である16,900円を同じ40年間、全世界株や米国株の優良インデックスファンドで積立投資した場合、リターンが年率6%、20.315%の複利毎課税で計算すると2,380万円まで膨れ上がる。

 これを運用しながら4%ずつ取り崩すと25年後に資産が残っている可能性が高い上で年間95.2万円のインカムとなり、半額の国民年金と合わせると月11万円の自分年金が完成する。

 国民年金を満額積み立てた月6.5万円よりも割が良いだけでなく、8万円近くが金融資産の取り崩しだから、賦課方式の年金と違い将来の減額に怯える必要がない。

 もし仮に世界恐慌レベルの暴落が発生して資産が底を突きそうになったら、世界一周航空券などでパーっと使い切って生活保護を申請してしまえば良い。日本はセーフティーネットが充実しているため、使えるものを使えば餓死することはない。

 月5万円のアルバイトで生計を立てる地方スローライフの年収が60万円。都市部の有名企業で毎月200時間以上忙しなく働いた際の年収が420万円だとしよう。

 GDP的には後者が重宝されるだろう。しかし、後者の方が前者の7倍幸せかと言えばそんなことはない。むしろ後者は心身を病んで無駄に医療費を支払ったりと結果的に幸福度が低くなるようなリスクがあちこちに潜んでいる。

 つまり、年収と幸福度の関係は対数関数的なものであり、0→100万円と300→400万円では同じ100万円の増加であっても前者の方が幸福効果が高く、東アジア人は年収660万円辺りで幸福度が頭打ちになると結論付けている論文もある。

 安全に生活するためのコストが安い日本においては、多くを望まなければ低所得者として扱われる年収200万円以下や、100万円以下の社会的弱者であっても、社畜より幸せに暮らすことは可能だと考えている。

FIREムーブメント。

 だからこそ、学校教育や周囲の良識あるまともな大人から当たり前のように植え付けられる、労働者としての人生に幸せが存在するのかと言う根底から考えを改め直して、比較的少ない資産と質素倹約な暮らしによって早期リタイアをすることがムーブメントになっているのではないだろうか。

 だからこそ、高度経済成長期からバブル期までの、日本社会の絶頂期を経験した世代の感覚で現代の若者を叱咤激励したところで、何も考えなくても言われた通りに働くだけで相応に報われた、世代特有の既得権益は棚上げしておいて、やれ残業しないだ、休んでばかりだ、夢がないだ、草食化だ、若者の〇〇離れだ、晩婚化だと揶揄したところで、現代の若者の苦悩を理解する気がない残念な人、程度にしか思っておらず、そんな老害は心の底から軽蔑している。

 自分とその周囲の人たちが今の環境でいかに幸せに生きるか考えていれば、日本社会全体は衰退する一方かも知れないが、いつまでも社会的に真っ当だとされている労働者のままでは、一億総貧困社会の波に飲まれるのがオチである。

 如何にして自分たち若者がシルバー民主主義で、重い税金や社会保険料をノーガードで虐げられる一方の労働者と言う立場から距離を置いて、主体的な人生を歩めている感覚を取り戻すのかが、幸せに生きるために必要な要素かも知れない。


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