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世間体、必要ですか?

正規雇用の既得権を求めた先は…。

 先日、理論上経済的に独立する資産規模(FI)に到達した。昨今のインフレから、株式市場が実体経済に見合わず好調なのが専らの要因と思われ、なにかの拍子に目標額を下回ってもおかしくない状況ではあるものの、今年度いっぱいは給与所得があることから、残り8ヶ月分の積み立てがあれば、大暴落でも発生しない限り、目標額以上で安定するものと思われる。

 時間の切り売りで生計を立てる労働者側から、複利を味方に付けて時間の切り売りから開放された資本家側のポジションを確立したことにより、経済的には独立したものの、私は別に良い成績を取って、良い大学を出て、良い企業に就職して、経済的な独立を達成した訳ではない。

 周囲から地頭が良いと評されるものの、学校の授業には興味を示さず、学習塾すら通ったことがない程度に勉強嫌いだったため、学校成績はいつも並で工業高校を卒業後は鉄道会社に就職した。

 沿線地域でネームバリューはあるものの、残業しないと手取りは13万円の薄給ぶりで、転職の際は嫌がらせを受けるなど、良い会社だと思ったことは一度としてなかった。

 そんな成績、大学、会社がどれも良いとは言えない環境下でも、経済的に独立できてしまった手前、3良を目指すことが、あたかも成功者への近道であるかのような、大衆の思い込みは幻想に過ぎないだろう。

 確かにネームバリューのある日系企業のサラリーマンは、社会的信用や収入がそれなりに担保されており、安定している。収入も私よりよっぽど高いく、蓄財に有利なのは間違いない。しかし、それも不安定な現代社会においては、確約された永続的な権利ではなく、疫病禍の鉄道会社然り、いつ転落しても何ら不思議ではない。

 そういった危機的状況下で守られるのは、決まってヒエラルキーの上位層である。泥舟の上位層に居続けるためには、上司に都合の良いイエスマンに徹するだけの人間関係。自分の時間を削る宴会や週末ゴルフ。社内政治を利用した駆け引き。これらを人一倍熟さなければならない。果たして正規雇用の上層部が、それらのコストに見合うリターンなのか、一度きりの人生故によく考えたほうが良い。

大企業や公務員なら安定なのか。

 それに、時代の変化に対応できない大企業は没落する昨今である。日本航空はリーマンショックの煽りで経営破綻したし、東京電力は福島第一原発が津波により緊急電源が使えなくなる問題を把握していたにも関わらず、それを放置して福島を住めない土地にした。シャープは経営危機から鴻海傘下となったり、東芝の不正会計やかんぽ生命の不正契約問題など、日系企業の腐敗が目立つ。

 安定の公務員もバブル期に給料が上がらなかった反面、不況時に下がらないのが利点だった筈なのに、疫病以降、民間企業の給与水準低下を理由にボーナスの減額を行っている。

 財政破綻した夕張市に関しては給与の3割減や、退職金の大幅カット、早期退職者の募集で残るも地獄、辞めるも地獄状態だったのではないだろうか。少子高齢化で似たような状況に陥る地方自治体は今後増加することだろう。

 公務員が厄介なのは、雇用保険に加入しておらず、地方公務員法第38条、国家公務員法第104条によって副業が禁止されている点だ。失業しない前提だから、退職しても一定期間の収入補償がなく、仮に留まって減給に耐えようにも、副業そのものが法律で禁じられている。

 罰則は明文化されていないものの、法に反する時点で、民間企業の就業規則違反とはわけが違う。厚生労働省がパラレルインカムを推奨するために副業を解禁したにも関わらず、自分達の組織では法改正も行わず、相変わらず副業を禁じているのだから、皮肉が効いている。

 大企業や公務員に就くと、年長な親族ほど生涯安泰だと祝福してくれることだろう。しかし、10年先すら予測不能な時代に、旧態依然とした日系企業や公務員が、今のままのポジションで居続けることが出来るのか、誰にも分からない。

世間体を取り繕うのが幸せ?

 ひとつ確実に言えるとすれば、今の時代は変化に対応できる人や組織が生き残ることである。

 私がかつて愛用していた元祖スマートフォンのBlackBerryは、パソコンを小型化したような携帯で、ディスプレイ、マウスポインター、物理キーボードを備えており、欧米のビジネスパーソンに支持されていた。

 しかし、appleが対抗馬としてiPhoneを出した際、経営陣はBlackBerryの優位性が脅かされるとは思っておらず、現状維持を貫いた結果、かつて50%あった市場シェアは4年で3%にまで低下し、結果として携帯市場から撤退している。

 重要な意思決定ほど先送りするような、大企業や公務員が今後、同じ轍を踏むように思えて仕方がない。

 そもそも、親や身内が大企業や公務員を勧める真理は、世間体を除けば、お金に困って欲しくないからではないだろうか。

 お金に困らない生活を実現するのであれば、起業家や投資家の方がリターンは青天井の筈なのに、なぜ生涯賃金が2億円そこらの労働者として、人生の時間の大半を雇用主に捧げることを美徳とする、プロテスタント的思想が蔓延っているのか不思議で仕方がない。

 身内が大企業や公務員勤めというブランドを纏うことで、承認欲求を満たしたかったり、世間体を取り繕いたいだけではないだろうか。そこに大企業や公務員として勤める当事者の幸せを考える余地はあるだろうか。

 人生は一度きりだ。自分だけのオフロードを歩んだ結果、困難に直面したとしても、仕方がない、自業自得と割り切れるだろう。しかし、他人に敷かれたレールの上を走り、困難に直面した時に同じように思えるだろうか。私なら被害者ヅラをするだろう。

 あなたがこれから社会に出るのであれば、周囲の大人たちは、あなたが大企業や公務員勤めというブランドを纏うことで、自身の承認欲求を満たそうとしている、自分の人生を既に諦めている他力本願な人間だと内心で思えば良い。

 そんな人達の言うことを聞いて、幸せな人生を歩めるほど世の中は甘くない。人生の舵を握っているのは他の誰でもなく、あなた自身だ。自分の頭で考えて、自分で舵取りを行い、お金に困らない人生を模索してみて欲しい。

 その過程で得た結論が会社員、公務員ならそれで良いが、多くの方は妥協した人生を歩んでいる。平日朝、ターミナル駅の改札を無心で通過する、死んだ魚の眼をしたサラリーマンを、「今日の仕事は、楽しみですか。」と内心思い、ニヤニヤしながら改札に居る駅員の立場で、長年この光景を見て来た私としては、生活や世間体のために労働者で居続けることほど滑稽な人生はない。

 お金に困らない人生を歩む方法は、労働者以外でいくらでもある。二度と訪れないこの一瞬、一瞬を自分らしく生きるためにも、世間体は取り払ってしまおう。得することはあっても、損することはないはずだ。


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