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ちょっと変な子だと思われていた幼少期~ソーシャルワーカーの種

今の私のキャラクターでよく言われることは、「忍耐強い」「頑張り屋」「気が利く」「明るい」などなど。
自分で言うなですが笑
この私になるまでの、幼少期の頃、もっともっと素朴だった頃を振り返ってみようと思います。

「マイペースねぇ」と言われ続けた

私は一人っ子。両親、祖母との4人暮らしの家庭で育ちました。
小さい頃は母親にくっついて離れない、内向的な子どもでした。
幼稚園の頃に散々周りから言われたのは、「tsukiちゃんはマイペースねぇ」。
悪く言うと、ものすごくとろい子だったのです。

行動に移すまでにすごく時間がかかるし、行動したとしても運動神経が悪いし内向的だから、急にかけっこするわけでもない。
1人でブランコに乗ってゆらゆらしたり、泥だんごを作ったり。
活発な子に引っ張られるとついていけなくて、1人遊びばかりしている。
ぱっと見暗い子みたいだけど、本人は楽しんでやっている。
今思えば、他者に興味がなかったのですね。
周りの世界は怖い。だからおうちにいたい、家族の近くにいたい。

集団生活に馴染めない

そんな私が小学校に上がると、ますますついていけなくなります。
IQ的な問題ではなく、社会性の欠如でした。
言葉が正しくないかもしれませんが、自閉傾向というか。
家庭では自分に家族が合わせてくれるから問題なくても、時間割の中で動くこと、色んなお友だちと関わることが難しくなってきました。

図工の時間、画用紙を切り貼りしてお弁当を作るのに、私はのり弁が作りたくて黒い画用紙を5mm大くらいにたくさん切って、それを貼り付けていました。
集中していたら休み時間になって、でもものすごい細かくやっていたから終わらなくて、切り上げさせられてしまいました。
クラスメイトの物の貸し借りとか、ちょっとしたからかいとか、そういうのもついていけませんでした。
母は面談で「tsukiちゃんはちょっと…」と言われ、びっくりしたそうです。

初めて褒められた!!

そんな私に転機が訪れます。
小学校1年生の夏、父の転勤に伴い、ものすごーく山間の小学校に転校しました。
同級生は15人。一番少ない学年は5人。
借家にはハチの巣はできるわ、羽アリにかまれるわ、ムカデは出るわ。
そんな場所でした。

そこで小1から小3まで過ごしたのですが、そのときの学校の先生たちは、私をものすごく褒めてくれました。
「tsukiちゃんは声がとっても良く通るね!」「お勉強教えるのが上手ね!」
何十人のクラスで埋もれて、なんならちょっと変な子扱いされて、周りに合わせることも興味もなかった私が、初めて親族以外の大人から褒められました。

相変わらずとろかったけれど、そこからの私はとても明るい子になりました。
いや厳密に言うと、明るくなかったわけじゃなくて、それをうまく出せなかっただけだったのです。
周囲になんの興味もなかった私が、褒められたことが嬉しくて、人に興味を持てるようになったのです。
小さい学校だったので、同級生だけでなくお兄さんお姉さんができました。
年上から見ると私のぼーっとした感じは可愛く映ったらしく笑、「tsukiちゃんは可愛い、可愛い」とよく遊んでもらいました。

初めての水泳大会では、ビート板で泳いでも全然進まなくて、最後まですごーく時間がかかってゴールしました。
田舎の子ってみんなめちゃくちゃ泳げるのです笑🏊
でも悔しくて水泳教室に通って、ちゃんと泳げるようになりました。
転校前はできなかった縄跳びも、人並みにできるようになりました。

変身後の私

小3から元の学校に戻ってきたら、私はむしろちょっと「できる子」みたいになっていました。
高学年になると、クラスの代表に選出されるようなタイプになっていました。
ハキハキと発言したり、手を挙げたり。
勉強も特別つまづくでもなく、ずば抜けて得意な訳ではないけれど、成績表はわりといい点でした。
隣の席の子に勉強を教えたりすることもありました。
それからの私は、中学高校大学と、比較的明るく、人と交わりながら生活することになります。

ソーシャルワーカーの種

山間の小学校の先生たちに出会っていなければ、私はもしかしたらずっと「ちょっと変な子」のレッテルを貼られたままだったかもしれません。
そして今、私は対人援助職をしている。
他者に全く興味のない、1人遊びのプロだった私が、人相手の仕事をしている。
幼少期の自分からは、とても考えられません。

子どもの頃って、環境、出会いがすごーく影響するのだなぁと、今になってしみじみ感じます。
だとすると、その先生たちだけでなく、私に関わる全ての人が私に影響を与えてくれたおかげで今の私がある、とも思えるのです。
そして逆に、私も誰かの人生に多少なりとも影響を与えているのかもしれない。

出会いは不思議。
きっとあのときの、褒められて嬉しかった気持ちは一生消えない。
あれはたぶん、私がソーシャルワーカーになるきっかけの、最初の大元の小さな種。