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一次創作界隈における「屈強メンタル勢」と「豆腐メンタル勢」の差。

最近はおぼろ豆腐メンタルとかも聞くな?
日本人、造語大好きやな。


どうも、みなとです(突然)


noteって本当にいろんな機能があるんですね。

まだ把握できていない機能が多々あるので、
早く使いこなしたいところ。

(-⊡ω⊡)ふふふ


さて。


普段Twitterにて創作アカウントを運用していて感じることや、自分がどんなモチベで創作をやってるかなどなどでも。


まずSNSをやってみて強く感じたのは、
やっぱりこれです。

/屈強メンタル勢
/豆腐メンタル勢

この存在。

すっっげぇ差が見える。

一次創作をやってる人間は
マジでこのどちらか両極端だと感じる。


簡単に表現するなら、
ブレない人ブレまくる人の差。


まずは自分の場合の話になるが。

↓↓↓↓↓↓

昔の私は思いっきり後者でした。

あぁ、今はどうかな〜……
「ブレにくい人」かもしれない(半端か)

強くはないが、弱くもない。
ただ単純にマイペースにやっている感じ。笑


私は元々「mixi」からついったに移行していった形だったので、知り合いしかいない日常雑多アカウントを作って、日記を書くように適当に何かを呟いているといった状態でした。

それからまぁ、だんだん何となく趣味関係のものをアップする機会も増え、次第に「描いた絵を載せたいかも〜」のような気分になってきた。

「ここだと絵を描く趣味以外の友人知人も多いから、せっかくなら絵を描いてる人だけで繋がれる専用アカウントを作ろうかな」

という訳で、所謂「創作アカウント」を作った。
のが始まり。


しかし。


…………作ったのはいいが、

「え、なんかめっちゃ恥ずかしいかも!?」

で、外向け発信するのに
妙な躊躇いを感じてました。

アカウントを作ったのは2014年の末頃。
年明けの2015年初頭はこんなこと言ってました。


………ええ、ちょっと待って。

「負けてらんねぇわ」

って、何?

対象はどこだ、自分vs世界か?
何言ってんだ当時の自分。
競うもんじゃあ無いだろうバカかw


まぁそんなこともあって、
私はSNSを始めておきながら

・キャラの名前が呟けない(恥ずかしくて)
・やりたいやりたいばかりで、やってない。
・繋がりたいタグをやる勇気がない(←結構致命的)

こんな感じでした。


”いろんな人の創作を見てみたい”
その中で、
”自分の創作も良かったら知って欲しい”

そんな思いを抱いていたのに。


自分が「見た人を必ず惹きつけるほど魅力のある創作ができる」っていう技術や才能があれば、つながりたーいとかしなくても自然と人は目を留めてくれるんでしょうけど、まぁ、そんなことがある訳もなく(;-ω-)a゙

今思えばあの時期によく挫けなかったなと。

そして、勿体ないことしてたなと。


単純に「自信の無さ」から来る、
妙な躊躇いと不安だったのかな。

今思えばね。


確かに、自分の描いているものに自信を持つ
っていうのは相当難しいことですよね。

これは別に創作だけの話じゃなく。
人間関係でもそうだろうし、仕事でもな。

「自分の言動に確固たる自信を持つこと」

これが簡単にできたら苦労しねぇわ。


いやしかしながらな。

………………趣味だろ?


仕事で金もらって、責任持って何かを成すのであれば、賃金分の貢献はしなきゃならないだろうから、それなりの勉強したりで自信持って臨まなきゃいけないんだろうけどよ。


………………………趣味だろ?(2回目)


ここを履き違えている人間が
一次創作界隈には妙に多いと感じるんだよ。


「私の創作なんて別に需要がないし」
「私、絵が下手だし」
「私の書く話なんて面白くないし」
「どうせアップしても誰も見てくれない」



……………………え?


豆腐メンタル勢はこういう思考で、
そのままひゅーんと落ちていきますよね。

勿体ないよマジで。

アカウント作って「さあ創作配信をSNS使ってやりますか」って決めた人、当初のそのエネルギーはもう切れたんです?

なんで始めたのー?


ちなみにこれは持論であるが。

自信がないっていうのはつまり、
”他人に何か言われた時に耐えられる器がねぇ”
ってことのように感じる。

例えば、

「そんなの描いて楽しいの〜?」とか、
「絵が下手なのによくやりますよね」とか、
「なんだその設定おもしろくねぇな」とか、

こういうことを言われたらどうしよう……

という、漠然とした不安。


顔が見えない分、実際にこういう言葉を
浴びる機会もあるそうですね?

人間怖ぇな。


でも、

だからどうしたよ?



さっきの台詞にツッコミを入れていきますか。


「私の創作なんて別に需要がないし」
→需要って、まずは”自分”にあるのでは?
 自分が描きたいと思ったから始めたのでは?
 もし”他人に需要を求める”のなら、
 それ相応のアピールをかまさないと。
 話はそれからだろ。

「私、絵が下手だし」
→下手だという自覚があるなら練習だな。
「あの人は絵が上手くて羨ましい」
 とか言ってる暇があるなら、練習しろ。笑
 その「あの人」は努力してるんだよ、絶対。

「私の書く話なんて面白くないし」
→まず書いてみろって。
 ”形にすること”自体を楽しんだら?
 面白いか面白くないかを感じるのは読み手。
 気になるなら積極的に感想をもらいにいけ。
 必ず一人は何か言ってくれる。
 書く前から諦めんな?

「どうせアップしても誰も見てくれない」
→見てくれたなって実感するのは何が決め手?
 いいねの数? コメントの有無??
 本当に「まだ見ぬ誰か」に見て欲しいなら、
 真剣にマーケティングを勉強しろ。
 どの時間帯にユーザーが多くて、とか、
 どんな絵だと今のトレンドで、とか。
 でも、それで良いのか?


「むしろ豆腐メンタルだからできないんだよう」



だったらそもそもオープンな場で発信しよう
っていう発想自体がズレてる気がする。

発言の矛盾に気付け。

誰も見てないしな、とか、自分なんてー、とか、つべこべ言ってないで「これが私の作品なんだよ」って、やれば良いんじゃない?

あくまで、「他者ありきで創作をする場合」ね。


その反対に、

私が見てきた「屈強メンタル勢」が
どんな風に発信しているかというと、

・好きな時に自分のペースで絵をアップしている
ブレずに自分の創作について語っている
”自分はこうである”、という軸がある


共通しているのは、

「他人(の評価)に振り回されない」

ところか。

純粋に楽しんでるんだよ、創作を。
それで良いし、それが良いんだよきっと。

なので、

もし、”誰かに見てもらってる前提”で創作をやろうと考えているなら、できない云々言ってないでまずはそれ相応の方法を見つけるべきだ。

自分が好きなように発信すればいいじゃない?

趣味は、楽しむものだよね?

Webの使い方って、有限ではないよな。
その可能性や楽しみ方は無限にあると思いますよ?



まぁそんな訳で。

「創作を誰かに知って欲しい」
「見てもらって感想が欲しい」


という思いを持っているとしたなら、
出来ない不安不安と嘆く前にやることやろう。

やってみて「SNS向いてないわー!」ってことならさっさとやめて、クローズド環境で楽しむ方がそれこそメンタル的にも断然良いと思います。


無理に自信を持て、ってことではない。

周りと比較して自分を下げることはするな。

その物語やキャラクターが泣いてるぞ?


なんか強そうに諸々と話しているみなとさんですが。

私が今、何か確固たる自信持って創作やってんのか?って聞かれたら、全くそうでもない。むしろ、まだ結構ビビってるので。苦笑

それに、今でもそんなに
「私の創作を見てね!」
という感じではない。

外に向けて流してはいるものの、「私も何か描いてるので良かったら見ていってくださいね〜」程度だ。

どちらかと言えば、

「あなたの創作を見せてくれますか?」
「私も創作やってるんです」
「お互いに高め合えたら良いですね」

こんな感じ。

私の場合はやっと「創作アカウントらしく」呟いたり絵を載せたりできるようになったのが、アカウントを作ってから約3年後。

時間かかったなー。苦笑

本当に今から振り返ると、最初から積極的に「同士」と繋がっておけばもっと世界が広がったろうになあ、と思います。


まずは少しずつな、自分のペース
やっていきゃいいんだよ。

あの人は発信が早いから……
と、周りと比べるようなことをしてしまうと、必ずブレる。
目的を見失う、絶対に。

何だってそうだよ。

あと、卑下するのはただただ意味をなさない。
楽しもうぜ、全力で。

心配しなくても、見てくれる人は必ずいる。
世界は広いですよーー、マジで。


……と、思いながら
日々TLを眺めています。笑


他人がどうSNSを運用してようが別にいいんですが、ネガティブに陥ってすとーんと落ちてしまう人間が一次創作界隈には多い気がするので、見ていると、「勿体ないなあ」、と感じちゃうんです。

せっかく生まれたその創作、
そんな理由でやめちゃうんですか?

勿体ない。

好きにやっていこうぜ?

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