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自分で自分にかけた呪いを解く:ポリヴェーガル理論入門の書評

 どうも、red_dashです。新年度も ADHD らしく見落としに直面して愕然とすることもありましたが、なんとか博士としてのポスドク業を続けております。

 さて最近、自分の心の内に囁かれる言葉が苦しいと気づきました。
「どうせできやしないんだろう?」
「実績もない癖に何を言っていやがる」
「おまえ障害者だろう?」
 なるほど、これは”呪い”だ。自分で自分を呪ってしまっている。取り急ぎ、”解呪”する必要があるな。そう考えながら過ごしていたところ、ポージェス氏の『ポリヴェーガル理論入門』という本に行き当たり、すこし気分が軽くなったので紹介します。

現代に呪いなんてあるのか?

 はい、科学者の癖に呪いなんて非科学的なものをお前は信じるんかい、という指摘はごもっともです。別に私も現代において呪術師による呪術が機能するとは考えておりません。
 ここでいう呪いとは、本人に負の影響を与えるような知覚を行う認知の状態で、かつ本人のみでは容易には抜け出さないものを指すと考えてください。言い換えれば、本人も気づかないうちに、あるいは気づいていてもなかなか直せないままに、本人にとって不利な物事の受け取り方をしたり、悪い方向へ進む選択をしてしまうような状態、と捉えてください。
 私たちには意識があって、自分にとって不都合な選択は避ける傾向があります。にもかかわらず容易に抜け出しにくい認知の状態とは、どのようなものでしょうか。

ニューロセプションとは

 ステファン・W・ポージェス氏の『ポリヴェーガル理論入門』では、意識せずに行う知覚をニューロセプションとして紹介しています。ポージェス氏は自律神経系を主に研究してきた人物です。自律神経系はおおまかに交感神経系と副交感神経系に分けられます※。前者が主に興奮した状態で活動し、後者がリラックスした状態で活動することで、私たちの知覚や行動選択を状況に応じて変化させると言われてきました。自律神経系の調節は、知覚を通じて主に無意識に行われます。つまり、ニューロセプションによって私たちの認知は無意識のうちに制御されるため、意識的には制御しにくい良い状態、あるいは悪い状態が生じうるわけです。

 本書では、無意識の認知制御によって困難が生じている例をいくつか紹介しています。例えば、トラウマの経験者や自閉症者では低周波の音に対する感度が高くなっていることや、低周波を人為的に取り除いた音を繰り返し聞かせるプログラムを通じて自閉症傾向が抑制され得ることを報告しています。著者はこうした制御はかならずしも”悪い”ものではなく、ヒトが進化の過程で獲得した無意識の制御であるとの趣旨を述べています。

 本書で私にとって極めて興味深かった点は、この無意識の制御とそれに伴う変化を肯定的にとらえようとする著者の捉え方、そしてその効果についての報告です。臨床家(臨床的に治療を実践している者)との交流の中で、著者はトラウマ・サヴァイバー(トラウマ経験者)はトラウマを経験した際の自身の行動を否定的にとらえる傾向があったとの趣旨を述べています。例えば、公の場で話している際に失神した経験を持つある人は、自分は自信がないから失神してしまったと考えたようです。しかし、著者はニューロセプションの観点から見れば、この事象は欠陥迷走神経性失神による急激な血圧の低下によるもので、酸素を含んだ血流が脳に十分に供給されないために生じたものであって、自尊心とは関係がないと述べています。つまり、脳への酸素供給が低下した状態に身体が自動的に対応したのでしょう。
 このように、時に命を脅かすような極めて危険な状況で、身体は、状況を見極め、事態と交渉し、成功裏に生き延びるための選択を実行し得るです。もちろん、こういった身体の選択に伴う生理学的な変化からは抜け出すことが難しいため、その後の行動選択に制約をもたらします。これを踏まえれば、例えば先述の失神に伴って問題は生じたにせよ、身体は心身を守るための”良い”反応であったともいえるでしょう。このように、過去の困難に伴う自分の反応に肯定的な意味を見出すことが、トラウマの治療に効果を持つ傾向があったとの趣旨を著者は述べています。

ニューロセプションを踏まえて、自分の呪いを振り返る

 これを踏まえて、私は自分で自分に毒づいていた呪いについて考え直しました。私は障害者で、一般的には容易に切り抜けられ得る局面で困難を感じる場合がありました。私は他の人と比べて異なる身体と脳を持っており、したがって通常とは異なる予測しにくい反応を示す傾向があるでしょう。その中には、一般に必ずしも望ましくない反応も含まれていたでしょう。一方で、私の心身と無意識はその制約の中で選択し得るより良い道を模索していたのでしょう。
 もちろん、過去の選択を肯定的に捉えなおすからといって、そのままでよいとは限りません。意識的により良い道を模索できるならば、それに越したことはありません。それでも、過去の心身は制約の中で精一杯やっていたことを否定しなくてもよいだろう、と今は考えています。

 それでは、素敵な一日をお過ごしください。
 red_dash

※ポージェス氏は自律神経系を交感神経系と副交感神経系の2種として分類するのではなく、交感神経系・有髄の迷走神経系(主に闘争/逃走反応の制御)・無髄の迷走神経系(主に不動化の機能)の3種に分類すること、そして3者の協調によって社会的な行動が実現され得るとの理論を提唱しています。しかし、ここでは自律神経系の分類について深く触れることは避けました。

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