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心が折れそうだ、、、

 はい、こんにちは☀️

 辛すぎる。頭がうまく回らず何も考えられない。世界から自分の存在を否定されたような感覚に陥っている。なぜこんな目に遭わなくてはいけないのか。

 もう小学生の時代からずっとそうだ。家でも教室でも校庭でも公園でも車の中でも電車の中でも駐車場でもキャンパスでもお店の中でもガストでもココスでもローソンでもセイコーマートでもでりしゃすでもトミーでもまいばすけっとでもオーケーストアでも成城石井でもニトリでも駅のホームでも塾でも自習室でもレンタカーでも教習所でも小田急線でもロマンスカーでもつばめでものぞみでもひかりでもこだまでもカヌーでもフェリーでも、


 常にこれに頭を埋め尽くされる。雑念を払拭せよ、と坊主は言うがこの横槍は実害を伴う。気にしないように心がけたってさらさらと流出してノートや机を汚染してゆく。この春の呪いを耐え切ったところで秋にもまた同様の災禍に苛まれるのだ。

 運動会シーズンなんてホント酷かった。小学校時代の体操着のポケットの容量はあまりに貧弱だったからだ。腰にポケットがついていない。尻ポケットが一つ付いていただけなのだ。


入んねえんだよティッシュが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ポケットティッシュが一梱包しか入れられない。一梱包で鼻をかめる回数は10回のみだ。一枚で2度かもうとすれば20回許されるが、一度使った後のティッシュをキープする必要がある。しかし一度鼻を噛んだ後のティッシュをキープできる箇所なんかどこにもない私に許される置き場は貧弱なケツポケット一箇所のみだからだ。しかもそこには新品のティッシュが占拠している。どう考えたって新品の方が優先だ。一緒にするとまだ使えるティッシュが汚れてしまう。

 そして何より最悪なのが体育座りというクソ座法だ。尻ポケットにティッシュ入ってんのに何回も座れ!!!って指示すんなや!!!!!破けてまうやろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 当時は新品を一梱包と、空になった袋を同時にたったひとつのポケットに入れていた覚えがある。使用済みのものを空の袋に入れて、まだ綺麗なティッシュと尻が汚れないように対策を取っていた気がする。運動会のクソみたいな集団行動の練習をしながら同時に高度な頭脳戦が繰り広げられていたのだ。というかそっちがメインだ。運動会の思い出はこの記憶しかない。大抵運動会の練習は3、4じかんめといったスタイルで2コマ連続して確保されている。2時間校庭に出っ放しなのだ。それゆえ10枚を50分×2の授業中どう配分するのかがこの攻防のキーなのだ。5枚ずつ使うのがベターではあるが、残り少ない枚数で後半の授業に入るのは心理的な負担が大きい。それゆえ6枚以上を残した状態で3時間目を終えなくてはならない。そして授業間の休憩で水道の水でいかにアレを洗い流せるかがキーなのだ。まあどうせ風が強くてまたすぐアレが舞うんだけどねクソがクソがクソが。


 そして何よりもクソなのは。何をしていても思考がこれとの攻防に割かれるところだ。何も集中できやしない。常に脳の容量の15%くらいは持っていかれるのだ。不利すぎる。よく身近な人にこの話をするが大抵「それは〇〇(本名)の甘えだろ、もっと辛い人もいるんだから努力がたらないだけ」とか言われるが

ふざけんじゃねえブッ  ぞ!!!! ブッ   てやる!!!!

 自己のパフォーマンスが活かせるかの話をしてたのに、なんでいもしない架空の他人との比較をされなあかんねん。この辛さだけは誰にも舐められたくないわ。本当に。確かにわかるよ。別に金銭的に貧しいわけでもないし致命的な障害を抱えているわけでもないし、家庭環境も悪くなかった。もっと辛い人もいる。相対的にはしょぼい悩みだろうけど辛いのは本当なのよ。うわああああん(T ^ T)

おしまい

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