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「産めない」じゃなくて「産まない」を選択するかもしれない私たち

この記事は子供がいる人を否定するつもりは全くありません。私の現在の私自身の人生への考えをまとめたものであり、この考え方と違う人を否定しているつもりもありません。とてもデリケートな内容なので慎重に書いたのですが、問題があったらご指摘ください。

私が妊娠、出産、育児について記事を書くのは何度目か。

私は夫と出会って6年目、一緒に住んで4年目、結婚して1年が経った。夫とはずっと良好な関係を築いている。お互いの人生を謳歌しながら、その横にパートナーとしてお互いがいる、という感じである。

夫と暮らす中で、結婚してからさらに、「子供」について考えることが多くなった。私たちは子供が欲しいのだろうか。子供のいる人生を選びたいのか、そのことについて私の(私たちの)考えをまとめておく。

私たちはきちんとした検査をしたわけではないので確証はないが、私が24歳、夫は27歳と子育てには問題のない年齢であると言える。たぶん「産もうと思ったら産める」のだろう。貯金もないわけではないし、仕事もお互いしている。世間一般的にはたぶんそろそろ妊娠出産を考え出すころなのだろうか。

私の子供についての過去の記事を読んでもらえば明白だと思うが、私は妊娠出産に消極的なのかもしれない。ただ私が知らないだけで世間のお母さんたちは妊娠する前にこのように数年間悩むのが当たり前なのかもしれない。私が知らないだけで。

私は子供を産むことがこわい。

この世に誕生するスタートボタンを私たちの任意で押せることが。他人の人生をスタートさせた上に確実にその全責任を負うことが。

私自身がこの世に誕生する前に、「この国の、この政治の、この社会情勢の、この夫婦の、この兄弟の、この親戚の、この学区の、この容姿の、この能力だが、了承するか?」という企画会議に参加した覚えはないし、了承した覚えもない。

私がもし子供を産むことを選択したとして、その子に聞くことはできない。

この世に誕生したいですか?こんな国でこんな情勢で、できるだけあなたの自由に、不自由がないように準備はするし、私たち夫婦にできる範囲の精一杯の努力をするので、あなたと生活することを許可してくれますか?、と聞くことはできない。

私たちが勝手に命を人生をこの世に誕生させるほかない。

私はもし、産まれる前に選ぶことができたら「産まないでくれ!」と頼んだのにと何度も思った。ただ、それができなかったし、誕生してしまったもんだから、勝手に終わらせるのもなんだし、せめて楽しく生きようと今を生きている。酷い躁鬱を患っていた時は特にそう思っていた。誰か殺してくれと。

今は夫と出会い、夫も私と似た考えで、よく話し、生活を楽しんでいる。

私は「産まれてきてよかったとは思えないし、この世界もそんなに好きになれないけど、終了ボタンはないし、とりあえず楽しく生きよう」くらいの気持ちで生きている。そもそも私が素晴らしいと思っていない世界に世界で一番大切になるであろう人を誕生させることはしたくない。

もし、私がこの世界に悲観的でなければ、喜んで夫との子を産んだのだろう。きっと夫の子供はとんでもないくらいに愛おしく、毎日呼吸ができているのか確認するくらい心配するだろうし、小さな成長に少しの寂しさと大きな喜びを感じるのだろう。その生活は私たちの人生を宝石のように輝かせ、どんな苦労があっても最後には笑って「産まれてきてくれてありがとう」と言うのだろう。

子がそれを望むかどうかは置いといて。

私は本人の許可なく人生を始めてしまうのがこわいのだろう。後で生まれて良かったと「言わせる」ために、私たちは生きなければならない。

子は血をわけただけの他人なので「産まれて良かった」も「産まれなければ良かった」も子の意見であり、私には関係ない…とは言えない。

スタートボタンを押し、初期の人生をサポートする責任がある。

とてもじゃないけど、その責任を負う自信がないし、やはりこの世が素晴らしいとは思えない。

じゃあ、世界を良くしてしまって、納得がいったら産めばいいのだろうか?

私は選挙権を持ってから毎回欠かさず選挙に行っているし、署名運動や募金など自分にできる範囲で「良くしたい」と思ったことに活動してきた。

が、一向に良くなる気配はない。

さらに、このコロナ禍でますます政治への不信感が増すばかりである。

じゃあ、国外か?

この国以外で安心できる国でなら子供のいる人生を歩んでみたいか?

…どうだろう

私はいまの夫との生活が気に入っているし、もし、どうしても子供がいる人生じゃないといやだ!と思ったとき、その時でもこの国の政治に納得がいかなかったらそうするかもしれない。

ただ、たぶん、私は、夫と二人で暮らすことを選ぶ気がする。


「子がいる人生は豊かだ」

子がいる人生も、いない人生もそれぞれ豊かで素晴らしいことは確実だ。

ただ私は私の人生くらい自分で豊かにしたい。

「子が成長させてくれる」

誰かの命と人生を使って自分を成長させたいとは思わない。


きっと私はそういう考えが拭えきれないし、ずっと考えてしまうだろう。


夫と就寝するとき、夫は私を腕枕して、背中を優しく撫でながら、小さな声で歌う。私はその言語を知らないので、どういう歌かは知らない。夫は私が寝るまで私の髪をすき、顔や頭にやさしくキスをする。私は気付いたら寝ていて、いろいろな夢を見る。

これ以上に幸せなことがあるだろうか。

自身以外の命を生み出したいなんて傲慢なのではないだろうか。

求めすぎているのではないだろうか。

産んでしまってから後悔なんてできない。

私はたぶん「産まない」のだろう。


私の周りで子がいない夫婦がいないので私にとってすべてが不明瞭なのだろう。ただ、子がいても家族はそれぞれ違う形だと思うので、夫と私の二人の形を二人だけの関係をこれからも努力を惜しまずしっかり作っていきたい。



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