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三月の憂鬱、三月の水

やっぱり三月はどうも好きになれない。

日が長くなって、桃の花がさいて、コートが軽くなって、体はほっとして安らいでいるはずなのに。
三月はあまりにも辛くて憂鬱な思い出が多すぎる。

今日は3.11だ。私が生まれてはじめて「自然災害」という言葉のおそろしさを知った出来事。憂鬱という感情をはじめて知った出来事。
阪神淡路大震災の時はまだ生まれていなかった。

11年前、私はまだ小学校6年生だった。
2週間後には卒業を控え、春からは望んだ中学校への進学も決まって、それはそれは晴れやかな気持ちで迎える小学生最後の1か月間だった。

あの日、帰りの会の前に担任の先生が「東北で大変なことが起きてる。地震だって。」と言いながら教室に入ってきたのを覚えている。

小学生だし、もちろんネットも見れない。先生が何をいっているのかわからなかった。家に帰ってみると、リビングにはみたこともない緊張感でこちらに語りかけてくるニュースキャスターが映っている。
街が黒い津波に飲まれていく様子が映し出された。母は唖然として「どうするんこれ......」と言っていたのを覚えている。

きっと小学生の頭では処理が追いつかないほどの出来事だったんだと思う。
大変なことが起きているとはわかっているのだけど、何が起きているのかよく理解することができなかったのだ。
思考停止をしたまま、遊ぶ予定だった友達との約束のために何も考えずに公園に向かっていた。

実感もことの重大性も深刻性もわからない幼い私たちは、「東北で大変なことが起きているらしいね〜と」公園でシール帳を眺めながら話していた。
まだ何にも知らずにいれた私たちは、何も気にすることなくそのまま公園で遊び尽くし、家に帰って行った。

小学生で、スマホはおろか、まだネットもPCも持っていなかった時代。
情報源はテレビしかなかった。家に帰ると、昨日まであれだけカラフルだったテレビが、狂ったように同じような映像と同じような大人たちと同じACのCMしか映さなくなっていた。
ことの被害の深刻さはまだ理解が追いつかず、周りやテレビの中の大人の絶望や緊張感が先に伝わり、理解をして、それが自分の中で憂鬱の影となって深く沈んでいった。訳もわからず一気に世界が暗くなっていく気がした。

本当に怖い、恐ろしい、祈りたい、と思えるようになったのは、それから数年が経って、リアルな体験談を見れるまでに大人になってからだった。
もし今この瞬間にとんでもなく大きな地震がきて、インフラがストップして火事に巻き込まれたら。
けっして他人事ではない。今この1秒は安全だったとして、次の2秒目は何がおこるかわからない。明日、1週間後、1か月後なんてもってのほかだ。死んでしまっている可能性だってある。日常がいかに脆くて繊細なものなのかを、大人になって初めて思い知らされた。

今私は東京に住んでいて、あと数年間はこちらにいるつもりだが、あの震災以来、私は絶対に東京は長くいたくないと思った。
あの震災が、人間の合理性だけを追求した都会がいかに脆くて脆弱かを教えてくれたと思うからだ。電気がないと家に帰れない、水が蛇口から流れないと喉の渇きを潤せない、スーパーに食べ物がないと食べるものがない、近所に知り合いがひとりもいない世界はあまりにも弱いと思った。
とにかく、なるべく早く東京で用を済ませたら、残りは全て地元の広島に帰って畑を持つつもりでいる。持続可能な生活をするためだ。

話を戻す。
三月は憂鬱が多い。
前日の3.10には東京大空襲
2年前の3月には新型コロナウイルスの発見とパンデミック時代の幕開け
そして今年は戦争。

中学校に入ってからは、3月といえば大好きな部活の先輩たちとのお別れのシーズンだった。卒業式で高三の先輩を見送り、泣き、3末の引退コンサートで高二の先輩を見送り、アホみたいに泣いて、終始涙しかない3月。
大学に合格した3月より、浪人が決まった絶望の方が生々しく体の感覚として刻まれている。

日差しが暖かくなって、なんとなく気だるく眠たくなって、街にピンクが増えてくると体が三月の憂鬱をちゃんと思い出してしまう。手放しに春を喜べることはできない。
テレビから見る悲惨な光景、幼いながらに全て感じ取った大人たちの気の沈み、毎年先輩たちが思い出と一緒に部を去っていくさみしさ、未知のウイルスで死んでしまうかもしれない恐怖や不安、狂った他国の大統領がしかけた戦争。外は明るいのに、光は白いのに、気持ちだけは何年経ってもグレーに霞む。


三月の憂鬱といえば、私の中で『三月の水』という曲だ。

『三月の水』という曲を知ったのは、躁うつ病を抱える坂口恭平がカバーしていたのがきっかけだった。
有名なボサノヴァなので私もメロディは耳にしたことがあったが、まさかこの作曲家がうつ病を抱えていて、その回復までの途中にこの曲を書いているとは知らなかった。この2011年の10月に放送された菊地成孔の解説で、和訳の朗読とともにわかりやすく説明されている。


「今からお聞きいただく曲は、その復興が完成する7年前、絶望と混乱と疲労の淵にあって、今まさに復興に着手したばかりという瞬間の希望と痛みに満ちてます。
クラウスオガーマンの歌と歌の間に流れるストリングスはもう本当にすばらしいです。暗雲がたちこめる、なんて言うんですかね、リアルで巨大な灰色の空がそれはそのままで、どこまでも色彩的で美しいといったことを半ば絵画的に表現しているかのようです。そして何よりすばらしいのは歌詞です。
どん底でも人はしっかりしていればそれを掴めるということを、この曲は教えてくれます。」

その後、訳詞の朗読につづく。
詩の内容は、一見意味のわからない外の世界の単語がひたすらに続いていくように聞こえる。でも私にはこれが、だんだんと何か光のような明るい場所に向かって歩いていくような気がするのだ。じわじわと、本人の中でシラフのまま沸き立っていく明るいものがわかる。それこそがまさに菊地氏の言葉でいうところの「復興に着手したばかり」の状態なのだと思う。

躁うつを抱える坂口恭平がなぜこれを自分で訳してカバーしたのか、これではっきりとわかった。坂口恭平もまた、この曲と一緒に何かトンネルを抜ける感覚を感じていたのだと思う。



菊地氏の朗読する和訳の最後はこうして締めくくられる。

そして、川岸が語る
三月の水
絶望の終わり
心のよろこび
心のよろこび
心のよろこび

この足
この地面
枝 石ころ
これは予感
これは希望


人によって和訳の内容もバラバラだが、私はたまたま聴いた一見意味のわからない単語の無秩序な並びの中に、憂鬱といっしょに漂う光のような希望が見える気がした。この和訳が好きだ。

「これは予感、これは希望」

今や示唆的な曲名になってしまった三月の水。これからも私はこの季節がくるたびにこれきいて、共鳴しながら、初夏になって季節が塗り替えられるのを待つのだと思う。
三月の憂鬱を、私はたぶん忘れることはできない。

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