「ポエムかよ」って言わないで、おねがい
おねがいだから、自分の心の泉からふと湧いてでてきた言葉を、「ポエムかよ」って言わないでほしい。自嘲しないでほしい。
そして私自身にも言い聞かせる。
「たとえその場のノリに合わせるためであっても、口にするな。」
*
ポエムはフランス語で「詩」。
伝えようとしている意味はおなじはずなのに、「詩かよ、」というツッコミと「ポエムかよ、」というツッコミは、秘めているニュアンスがまるで違う。
後者の「ポエムかよ、」はたいてい、純粋に湧き出た言葉をバカにした煽りとして使われる。ちょっと熱いコメントをした人や、ひとりでに詩的なつぶやきをした人に対する水を刺す言葉として重用されているのだ。
こういう「ポエムかよ」の煽りの背景にあるのはきっと、詩や自我、主観に対す強烈な羞恥心と自制心、として言葉の貧困だと思う。
「ポエムかよ」と言ってしまう人がわるいのではなく、風潮として詩的な言葉を軽んじる傾向があることに、深い失望を感じる。
さいわいにも私の周りには「ポエムかよ」と言ってくる人はいないけれど、自分で自分に「あ...すみません、ついついポエムをかましちゃいました...😅!」と言って自虐する人ならたくさんいる。
なんてことするんだろう、と毎度思いながら聞いている。自分で自分の言葉を侮辱する言葉なんて、聞きたくなかった。せっかくあなたの言葉の世界に潜りこもうとしていたのに。
ただただ残念でならない。自分の言葉を素直に口にするのが、こんなにも難しい社会になっていることが。
これは完全に私の妄想だけど、もともと短歌や俳句を生み出し、当たり前のように詩を口ずさんでいた人たちのDNAが、現代になって急に変わるわけがないような気がするのだ。
ぱっと見では見分けのつかないほどの繊細な色の違いに名前をつけ、認識し、心の微妙な揺れから多彩な形容詞を編み出した日本。そこに生まれた私たちの心の内側の泉から湧き出てくる言葉は、ほんとうはもっともっと豊かなんでは?と思う。みんな、塞ぎとめようとしているだけで。
ちなみにこのポエムの煽りに関しては、詩人である最果タヒ氏もTwitterで言及している。
ひろゆき氏の「それってあなたの主観ですよね?」という煽り(ツッコミ?)も、正直似たようなものを感じる。
「あなたの個人的な意見は聞いてないです、求めているのはエビデンスに基づく客観的・理性的で中立的なコメントです」と言わんばかりの圧。コミュニケーションの遮断。一気に壁がおろされる感じ。
あなたの言う「常識」とか「社会のルール」って、誰かの主観がいっぱい集まって、長い年月を経てそうなったものなのになあ、と思う。
いずれにせよ、「自分のことば」はかなり、しいたげられている。
なんで。なんでなの。
運営的に色々スキャンダラスなnoteをきらいになれないのはまさに、「自分のことば」がしいたげられない安全な場所だと思うからだ。そして、まちがいなく、ここの住人の皆さんに救われているから。ここのおかげで生き延びているからなのだ。
自分のことばを隠し持って密かに息を潜めている生活の詩人たちが、noteにはたくさんいる。彼らは、今日も生きるための言葉を紡いでいる。たとえ誰にも読まれなくても。誰にも「いいね」されなくても。
3年間noteを続けてみて分かったことは、一部のビジネス系のいんちきユーザーをのぞき、ここは自分のことばを出すことへの大切さに気づいている人が集まる場所なのだということ。自由に、勇気を持って心の言葉をさらけ出すという、人間の根源的な必要性を真正面から認めてくれている人が集まっているからこそ、「ポエムかよ」という煽りが飛んでくることがない。
外の世界では「ポエム」と言われる言葉が、ここではきちんと「詩」になり「生きるための言葉」となる。どれほど正直に語ったとしても、誰からも石を投げつけられないだけの人権を得る。
そして、たまにちゃんと届く。どんなに赤裸々な文章でも、「いいね」を残してくれる人がいる。読んでくれる人がいる。
時々、ハッシュタグで検索してみることがある。
#詩と#エッセイはそれぞれ約27万件、#日記に至っては99万件もヒットする。
トップページに表示されるような、数百いいねのついた「伸びている」記事もあるけれど、反対に、全くいいねも付かずフォロワーもフォローもほとんどいない、ただただ自己満足のために投稿された文章も相当に存在する。むしろそっちの方が多いくらい。
そういう、「いつかあわよくば、誰か見てもらえますように」と願いながら自分の心情や生活を書き殴った生活の詩人の残党を見ると、私はなんだかとっても安心するのだ。遠く離れた場所の、顔も声も名前もわからない人に同志のような感覚を持ってしまう。
「よかった、主観や感想が蔑まれる時代に、あなたのような自分の言葉で書き殴る人がいてよかった。」と。
だから、noteの村人の方々には、自分の心の言葉を吐くことを、どうか、ためらわないでほしいと思っている。
それは私自身に対してもそう言い聞かせている。
自分の言葉の泉に、見てみなかったふりをしないでほしい。湧いて出てきた言葉を制御しないでほしい。お願いだから、それを「ポエムかよ、」と言わないでほしい。自虐もしないでほしい。
あなたの心の泉から湧いてでてくる言葉を、私は読みたいのだ。
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