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ベストポジションで

戦争がはじまった。SNSのタイムラインがロシアとウクライナと戦争という3つの言葉で埋め尽くされている。

ただでさえコロナで人はぼろぼろに傷ついているというのに、なんで今また戦争を、と思う。政治が〜とか、国際関係が〜という論理的な理由を考えるまでもなく、戦争をはじめたリーダーはもう、通常の思考ができないほどくるっているとしか思えない。

こういう一大事のときには、同じ世界に住んでいるとは思えないほど穏やかな生活ができている自分に罪悪感をいだきがちだ。私は東日本大震災のときもそうだったし、コロナウイルスの流行直後もそうだった。そして、こういうときSNS上で、何か自分なりのスタンスを表明しなければいけない、というつよい焦燥感に駆られる。オフラインでの見られかたよりも、SNS上での見られかたが物を言う現代ではしばしば、社会問題に関して何も表明しない人=「何も考えていない人・のんき」というレッテルを貼られるからだ。

コロナウイルスの流行がはじまってすぐ、私もちょうどそんな焦りに駆られていた。未知のウイルスに対する政治の愚策や、Black Lives matterなどの倫理観をともなう話題に関して「何か言わなければ」「世論に賛成しなければ」という謎の焦燥感を持っていた。無知は許されないと思い、ひたすらにSNSで情報についていこうとした。専門家の話にも耳を傾けた。自分の心の中で色んなことを考え、反省し、声をあげようとした。

結果どうなったか。
情報の摂取過多により、精神のバランスを派手に崩した。

情報を見れば見るほど不安になり、自分の無力さに絶望し、毎日理由のわからない涙が流れるようになった。
2020年はほんとうに何リットル泣いたかわからない。空を見ても泣き、明るいJPOPを聴いても泣き、SNS上で苦しんでいる人たちの声を見かけるたびに泣いた。花を見ても泣いた。まるで大切な人を亡くしたかのように、毎日ことあるごとにわんわん泣いた。

自分のケアを全て放り出して周りの環境や他者にすべての感情を注いだ結果、ついに身体が不調を訴えてきた。コロナではない原因不明の熱、風邪、肌荒れ、体のひどい凝り、寝違え、昼夜逆転の生活。精神バランスがおかしくなり、人生ではじめてカウンセリングに通った。

そこで思い知った。
社会でどんなことが起きようと、どんなに悲惨なものが目に入ろうと、遠くのものばかりを見つめて足元をおざなりにしてはだめだ。どんなに他者に感情移入をして意識はそちらへ向かおうとも、自分の体は今ここにあって、元気に心臓は動いてくれている。そんな自分の体を、まず今ここを、守らないといけない。

すこし飛躍したことを言うと、結局、自分は遠いところで他者と繋がっているのだと思う。国や地域や年齢に関わらず、みんなでみんなのコンディションを共有している。だからどこかがおかしくなったら、どこかのバランスも崩れてしまうし、どこかの調和が取れていれば、その反対側もバランスを保ち続けることができる。要はバランスだ。

だから、せめて自分だけは元気でいることがそれだけで遠い誰かの調和をもたらすことにつながる。本気で私はそう思っている。自分がご機嫌で、健康で、他者を思いやる余裕を持って毎日生きることができれば、それをみて元気をもらえる人、陰と陽の配分が変わる人が必ずいる。
自分だけでもバランスを崩さないことが、めぐりめぐって誰かのためになり、世界の平安につながる。というか、むしろそれしかできないんじゃないかと思う。あくまでも自分のバランスをキープできる範囲で他者に共感し、他者を助け、他者と生きていく。

何が言いたいかというと、世界でどんなことが起きようとも、その感情的な大波に身を持っていかれないよう、落ち着いて生きていきます私は、ということだ。そう思えるのは平和ぼけだ、偽善的だと言われても仕方あるまい。(こういう状況ではどんなアクションでも当事者でない限りは偽善的と言えば偽善的だ)でもコンスタントに続けられる暴力に頼らない抵抗の手段が、私はこれしか思いつかない。
自分のバランスを保ちながら他者に共感し、アクションをおこすこと。私にとって、それは一定の距離を必要とすることだ。情報に近づきすぎない、感情を入れすぎない、想像しすぎない。

自分の手綱は常に自分が持っておく。どれほど波に揺られようと、もう二度と波には飲まれたくない。心の軸は常に真っ直ぐ保って、毎日を一生懸命に生きる。もちろん、SNSには表明しなくとも、戦争には反対する。抗議する。怒っている。悲しんでいる。心を痛め、人間の愚かさをうらんでいる。

何事も、自分が壊れない距離まで離れ、そこから落ち着いて対処していくことはもっと許されていいような気がする。何も言わないことが即座に何も考えていないことを意味しているわけではない。むしろこの現状に何も感じない人などいないはずだ。外から見える大きなアクションや発言をしていない人だって、それぞれがそれぞれの方法で受け入れ、立ち向かおうとしている。

こうやってあれやこれやと説明している私だって、立派な偽善者だし、言い訳がましいけど。

これを読んでくださったあなたも、どうかご自身のバランスを崩さず穏やかに過ごせますように。あらゆる物事とのベストポジションは、人によってちがっていいと私は思っています。

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