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【歴史トリビア】🍄キノコが好き過ぎた2人の作曲家🍄

皆さん、こんにちは! 在米25年目、ニューヨークはハーレム在住の指揮者、伊藤玲阿奈(れおな)です。

今回は、2人のクラシック作曲家とキノコにまつわる面白いエピソードをご紹介しましょう。ちょっとした息抜きにお読みください。

その1 🍄ヨハン・ショーベルトとキノコ🍄

まずはヨハン・ショーベルト(生年不詳~1767)です。ドイツに生まれ、後半生はフランスのパリで活躍した作曲家。

皆さん、間違えてはなりません。学校でも授業で聴かされる『魔王』を作った「歌曲王」シューベルト(1797~1828)とは別人で、時代も違います。この話の主人公は、ショーベルトです。

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ヨハン・ショーベルト

この人、今ではマイナーもいいところで、作品が演奏されることはほとんどありませんが、パリ滞在中の少年モーツァルトが彼と接しており、かなりの影響を与えました。音楽学者によっては、ショーベルトの作品が幼少期のモーツァルトにとって詩的でロマンティックな音楽を書くヒントになったことを指摘しています。

実際、モーツァルトが11歳で作曲した『ピアノ協奏曲第2番の第2楽章は、ショーベルトのクラヴィーア・ソナタを編曲したものです(ただし第1番もそうですが、最初期のピアノ協奏曲は他の作曲家の作品を手本にしながら編曲して作られました)。

大人になっても、モーツァルトは弟子の教育用にショーベルトのソナタを使っていたほどですから、それくらい当時は優秀な作曲家として評価されていたのでしょう。

ぼくは、ある女弟子のためにショーベルトのソナタ集を買いに、ちょうど音楽の店に行っていたのです。
(モーツァルトがパリから父親へ宛てた手紙より。1778年5月29日付)

こんな隠れたマイナー作曲家のショーベルト、実はキノコにまつわる強烈なエピソードを残しているのです。

それが起こったのは、1767年8月のこと。

ショーベルトは家族を引き連れて、パリ中心部から北東に5キロほど離れたル・プレ=サン=ジェルヴェにキノコ狩りへと出かけました。医者をしていた友人も一緒でした。

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在りし日のル・プレ=サン=ジェルヴェの大通り

無事に終わったあと、ル・プレ=サン=ジェルヴェにあるレストランに行って、採ったキノコを料理してくれるようシェフに頼みました。しかしそのシェフは「毒があるから」と断ったそうです。

普通そこで諦めるだろうと思うのですが、彼は違いました。パリにある自宅への帰り道、ブローニュの森(現パリ16区)にあったレストランのシェフにも同じことを頼んで、やはり同じ理由で断られています。

彼はヴェルサイユ宮殿に仕える音楽家ですし、かなりの美食家であったらしく、食べることにかけても相当なこだわりがあったよう。もしかしたら、そのキノコは彼にそこまで執着させるほどの美味しそうな見た目をしていたんでしょうか。

ただ、ショーベルトの自信にも根拠があって、一緒にキノコ狩りを楽しんだ医者の友人が「これは食べられる!」と断言していたのです。たしかに、医者から言われたら自信が湧きます。

いずれにしても、シェフなぞ当てにならんと怒ったショーベルトは、自宅に戻るやそのキノコをスープにして全員で食べたのでした。

その結果どうなったか。

もう皆さんも薄々お気付きですね。ショーベルトの子供のうち1人を除いて、彼とその家族、そして医者の友人ふくめて全員、そのキノコの毒にあたって亡くなってしまいました

ショーベルトは生年が分かっていないのですが、まだ20代か30代だったかもしれないとのことです。なんともあっけない最期というか、経験豊富な現場シェフの意見を聞いていれば・・・、という気がしますね。

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毒キノコの一種、シャグマアミガサタケ。これだけグロテスクな見た目なら、ショーベルトも諦めたかも!?

その2 🍄ジョン・ケージとキノコ🍄

続いては、アメリカ前衛音楽でもっとも有名といっていい作曲家ジョン・ケージ(1912~1992)。

4分33秒間まったく演奏も何もしない『4分33秒』など、影響を受けた東洋哲学のもと、それまでの西洋の音楽常識を打ち壊してしまう作品を作り続けました(私の著書『「宇宙の音楽」を聴く』(光文社新書)の第5章コラムで分かりやすい解説をしてありますので、ぜひご一読を!)。

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ジョン・ケージ

こんな大作曲家のケージ、音楽史に大きな足跡を残しながら、同時にキノコ研究家としてプロ並みといっても差し支えないレベルの人でした。

というのも、キノコのクイズ大会に出場して賞金をもらうなんて序の口、なんと1962年にはニューヨーク菌類学会を友人と一緒に創設しているのですから。また、幸いにもショーベルトのような結末には至りませんでしたが、毒キノコを食べて死にかけたこともあったそう。つまり、ケージは筋金入りのキノコ好きなのです。

それにしても、なぜ彼はそこまでキノコが好きなのか? 

ホントかウソか私には分かりませんが、辞書で「music(音楽)」のひとつ手前が「mushroom(マッシュルーム、つまりキノコ)」だったというのが理由とか。なにか人を喰ったような答えですね。

しかしながら、ケージが実際にやっていたことは本格的で、著書を読んでも、ユニークでふざけているような印象とは裏腹に、おそろしいほどの教養の持ち主であることが分かります。

その一端を覗いてみましょう。キノコ研究に関することなら、次のような感じです。

私が主催した[NY菌類学会で冬季に行われる]月例講演会はキノコの性に関するものでした。キノコの性を研究するために一種類のキノコ――ヒトヨダケ――を大量に栽培しているコネチカット州の専門家を招待したんです。

彼は講演で、キノコの性は人間の性とそれほど違わないが、人間の性のほうが研究しやすいことを教えてくれました。たった一種類のキノコに約80タイプのメスと約180タイプのオスが存在しており、いくつかの組み合わせでは繁殖が可能だが、他の組み合わせでは不可能だということでした。たとえば、メスの42番はオスの111番とかけあわせても決して増えないのですが、他のいくつかの番号のオスなら繁殖する、といった具合に。

(ジョン・ケージ著『小鳥たちのために』青山マミ訳 青土社 p. 237~238 一部を読みやすいよう書き改めた)

月例講演会ですから、毎月このような菌類の専門的な活動にも精を出していたということです。「🍄クラシック界のキノコ王🍄」――そんなタイトルを彼に進呈したくなりますね。

そんなケージが生涯をかけて集めた膨大なキノコのコレクションは死後に寄贈され、現在カリフォルニア大学サンタクルーズ校のマックヘンリー図書館に保管されています。

皆さん、ふたりのクラシック作曲家とキノコにまつわるエピソード、いかがだったでしょうか?

Ⓒ伊藤玲阿奈2022 本稿の無断転載や引用はお断りいたします

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執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者・文筆家。ジョージ・ワシントン大学国際関係学部を卒業後、指揮者になることを決意。ジュリアード音楽院・マネス音楽院の夜間課程にて学び、アーロン・コープランド音楽院(オーケストラ指揮科)修士課程卒業。ニューヨークを拠点に、カーネギーホールや国連協会後援による国際平和コンサートなど各地で活動。2014年「アメリカ賞」(プロオーケストラ指揮部門)受賞。武蔵野学院大学大学院客員准教授。2020年11月、光文社新書より初の著作『「宇宙の音楽」を聴く』を上梓。

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