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「優等生」でない田中碧が欧州行きを果たした理由を、高校時代から考える


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「ずっと代表に入ってきたわけでもないですし、自分はすごい選手でもないので。1年目で出て、代表に入って…という感じでもないので。そこはゆっくり自分らしくやりたいなと思いますね。」
( 田中碧/2017年2月13日 麻生にて)


川崎Fにとって意味のある移籍



田中碧の欧州移籍は、とても大きな意味を持つ。

育成組織で育てた選手がトップチーム昇格とデビューを果たし、時を重ねて中心選手となった。そして日の丸を背負うまでに成長し、活躍が認められて海を渡る。

川崎Fにとって、これを成し遂げた初の選手が田中だからだ。

アカデミー育ちで海外へ行った選手といえば板倉滉と三好康児が挙げられるが、誤解を恐れずに言うと、彼らは川崎Fのトップチームで主力となり活躍したシーズンはない。2人揃って1年目は試合にほとんど絡めず、2年目で特徴をピッチで体現し頭角を現した。

ただ、勝負の3年目に前年度を上回る活躍ができず、気づけば4年目を迎えたのである。このシーズン、三好は札幌へ、板倉は仙台へ行きレギュラーとして1シーズンを戦い、その後2人とも川崎Fへは戻らず欧州へ渡った。

繰り返すが、育成組織出身の選手が“クラブの中心選手となって“  ”ヨーロッパへ行く” 初のケースが今回なのである。

個人的にも感慨深いのと同時に、驚きでもある。

なぜなら、田中碧が海外へ行くどころか、J1の優勝チームの主力となることなど微塵も想像していなかったからだ。

デビュー前、高校時代の田中碧の評価は決して高いものではなかった。個人的にも「大学へ行ったほうが良いんじゃないか」と思っていた。見事に予想は外れたことになる。

ただその一方、彼がここまで来れた理由も、何となく分かる。

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