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1発殴られる前に3発殴る。

やられる前にやらないといけない。
そうしないと最後までやられる。


日本で培われたマインド。

どうしてこんなことになってしまったのかというと、おそらく「誰も助けてくれない」田舎にいたからだと思う。

例を挙げよう。

・「てがな」(校庭に草取りをするときに、地面を掘るための子供用の鎌のようなもの)を振り回す子を、自分たちで押さえつけるorその子から逃げる必要があった。
・教室から飛び出して帰ってこない子を、どこまででも(もちろん校外でも)探しに行かないと授業が受けれなかった。ちなみに先生はその子を見つけるまで畑を耕していた。
・毒ヘビに噛まれても、救急車はすぐに来てくれないから自己防衛する必要があった。
・幼馴染がプールで足がつったときに、おもしろが半分で沈められてしまった@中学校。(小学校で一緒だった子が見つけて助けてくれた。)
・電波が入らないから、外の情報を仕入れるときは新聞を読む。Wi-Fiなんか意味がないので、Wi-Fiのことを知らない人のほうが多い。

などなど。
強い者が勝って、弱い者は負ける。若干毎日が命がけ。

負けると THE END だから、「え~ん(泣)」なんて言ってぶたれてるところじゃない。1回叩かれてしまったら、後で叩きかえしたとしても、とにかく”叩けそうな奴”認識される。そして事ある毎にちょっかい出されて相手と揉める。

でも、叩かれる前にこっちから叩くと”油断できない奴”認定されるから、叩く・叩かない論争に巻き込まれることなくて済む。多めに不意打ちで3倍叩いておくとほぼ確実。

で、そんな環境から抜け出すために役立ったのは「偏差値」。昨今聞く「本当の学力」とかじゃなくて「偏差値」。大学受験に合格するための知識とか問題を解く処理能力。

下宿しないといけない距離がある大学に行くだけで、そういう人間から離れられたから。そしてオプションで就職もしやすくなった。

受験に合格さえすればいい。偏差値があれば何とかなったから、『勉強で何とかなる(傾向のある)社会に生まれて良かった』と思ったんです。

同時に、『人生の初めから「勉強ができれば何とかなる」という概念の世界で、お受験にうつつを抜かせる環境にいる子って、なんて甘い生き方をしてなんて恵まれた人なんだろう』と、羨ましさと恨み込みで思ったよ…。

だって(極端な言い方かもしれないけど)「毎日若干命がけ」のつらさを知らずに人生送っていけるじゃん。自分で考えなくても、周りの人が「勉強すれば人生がイージーモード」って教えてくれるじゃん?

今となっては「その子もその子なりに大変なことがあるかもしれない。」と考えるようになったけど。自分の知ってることが世界の全てではないので。
いいなーーって。

友人から「スラム育ちかよ」とのコメントを頂きました。

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