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07.自分って何者か?⑤

こんにちは。
12月も中旬に差し掛かり、世の中が忙しなくなってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

自分って何者かシリーズ、中学校編の後半に入ります。
前半は『ラグビーへの取り組み』でした。

後半は『進路決定』に入っていきたいと思います。

幼少期に培った『並大抵ならぬ興味関心』のおかげか、
勉強は嫌いな方ではなく、テストではそこそこの点数を取れるようになっていました。
今はなくなったのかもしれませんが、当時の大阪府では“学区制”を取っており、私が住んでいた東大阪市は第2か第3学区だったと思います。
上述の通り、そこそこの点数を取れるレベルでしたので、学区内では上から2番目か3番目を目指すくらいの学力でした。

一方でラグビーについてもそこそこのレベルで出来ていましたので、大変ありがたいことに、大阪府内の全国大会常連校からはひとしきりオファーをいただきました。
然し、折角のお声がけでしたので大変心苦しかったのを記憶していますが、全て丁重にお断りさせていただきました。

なぜか?

僕の当時の考え方として、一流ラグビー選手になれるのはほんの一握り、しかも長くても40歳ごろまでには引退することになるという点から、長い人生を考えると『勉強をおざなりにする』という概念はありませんでした。
従って、自身の人生の優先順位としては確実に『ラグビー<勉強』であったため、強豪校に行くという選択肢はありませんでした。

そういう風に書いてしまうと、『なんだ、ラグビー強豪校は勉強しないみたいじゃないか!』と言われてしまいそうですので、釈明させていただくと、あくまで中学3年生時点の僕の“イメージ”になります。
決して一概に全ての学校がそうだというわけではありませんのであしからず。

こうして地元公立高校に勉強で進学することしか考えていなかった僕ですが、両親から話が来ました。
『広島県の尾道高校ってところの監督とお話ししたよ』と。

ちなみにですが…基本的に他のスカウトの方からは僕のところへ直接話が来ていましたが、尾道高校だけは、学生本人よりも先に親へ相談という順番でした。→後から聞くと、この順番も親としては大変刺さる順番だったとのことです。

そうして面談当日、尾道高校監督が来校されまして、ある教室で面談を行いました。
地域の行事参加や、ラグビーの全国大会における実績、そしてなによりも『文武両道の徹底』を行っている学校だと強くプレゼンいただきました。

上述の通り、地元公立へ勉強でいくんだと自分に言い聞かせていた僕ですが、やはり全国レベルでラグビーもやってみたいという本心が心の奥にあったのは事実です。
ましてや花園中学校のラグビー部ですから、全国大会の“HANAZONO”なんて何度も見に行っており、全国レベルで活躍する高校ラガーマンのお兄さんたちがカッコよく見えていました。

心の奥のラグビーへの欲と、勉強したいという欲、どちらにもに訴えかけられた気がして、強い感銘を受けたのを覚えています。
『一度帰って親と相談します』と言ったものの、自分の中ではこのタイミングでほとんど結論づいていました。

『尾道高校行ってみたい』と。

こうして僕の尾道高校進学が決まりました。
中学3年生の自分を寮生活というステージに放り込む決意、そして経済的支援をしてくれた両親には感謝しかありません。

一方で、僕自身も親元を離れて寮生活に飛び込むというのはなかなかの覚悟が伴いました。
入寮するため、尾道に向けて出発する日は車で涙したのを覚えています。
まだ中学3年生ですから。

こうして、『文武両道』、ラグビーと勉強を追いかける僕の高校生活がスタートすることとなります。
正直、僕のこれまでの人生で最も濃かったのが高校の3年間だと思いますので、時間をかけてゆっくり書いていこうと思います。

今回もご覧いただきありがとうございました。
次回もお楽しみにしていただけますと幸いです!

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