ノスタルジック台湾 in 霧台鄉
実際には自分の記憶に無いのだが、なぜだか懐かしく感じる場面に出くわすことって無いですかね。たぶんあると思うんですよ。私の場合は、例えばこの写真のシーン。お婆ちゃんが孫を見つめる眼差し。
シャッターを押した時はそれほどでもなかったのですが、後から眺めてみるとなんだか懐かしい感じがしてきた。自分自身にはこれに相当する思い出は特にないのだが、、、
この時は民族文化を少しでも知りたいと思いながら近づいていった。こちらは休暇旅行中でも、おばあちゃん達は日常生活だからダメなんですがね。
状況はこんな感じでした。おばあちゃんが何かしらの作業をしていて、その横で孫が遊んでいる。おばあちゃんは乾燥した植物の葉を丸めて小さな輪っかを作っていた。その飾り物に使わない余った部分があって、それがまた孫娘が小さな指でつまむのに丁度よい大きさだった。バラけながらも丁寧に並べて遊んでいるという場面です。
ついつい声をかけてしまった。
私 :「何を作っているんですか?」
おばあちゃん :「◯◯◯」
答えてくれたが何と言ったのか聞き取れなかった。しかし聞き返すわけにも行かず、ふんふんと頷く。
私 :「この植物は、この地域でとれるものですか?」
おばあちゃん :「◯◯◯」
またしても、なんと言ったのか聞き取れなかった。さすがに次の質問はもうできないなあ、、、
沈黙がつづく
やっぱり気まずいなぁ、
そっと立ち去ろうか、、、
そうこうしているうちにこの女の子が、うねってならべた植物の破片を数え始めた。数え始めて途中で間違えて数え直す。3,4回目ぐらいで最後まで到達できた。30ぐらい数えた思うので、小さな子供にはそれなりに練習になったと思う。写真は数え終えた後、ちょっとバラけさせて、女の子がおばあちゃんなにか説明しているところ。おばあちゃんは孫の指先をじっと見つめて聞いている。
女の子が数え直してくれたおかげで、聞き慣れない言葉ではあるが1,2,3ぐらいまではなんとか記憶できた。
「イサ、ルサ、ドゥー(Itha, drusa, tulru) 」と真似して言ってみる。
すると先程まで無反応に近かったおばあちゃんがこっちを向いて、正しい発音、なんとお手本を示してくれた。
私は2,3回繰り返してやっと合格点をもらう。すかさず、得意になってサバウ(sabau)、つまり魯凱族の言葉で「ありがとう」と言ったつもりだった。
しかし、これにもおばあちゃんからダメ出しが入る。
「違う、この場面ではマラヌガ(maelanenga)と言う。サバウは不好意思(=すみません)の意味になってしまう。」
これも2,3回繰り返して発音の矯正をしてもらった。
私 : 先程の「イサ,ルサ,ドゥー」は、あなたたち民族の1,2,3ですよね。
家では族語で話すのですか?
「これは私の孫娘だよ。学校での母語教育は始まったばっかりだよ。」
予備知識も踏まえて解釈するとつまり、母語の継承はある世代で細ってしまっていて若い人たちへの母語教育はまた始まったばかりだという。ここまで細かいことは言わなかったが、近くにある博物館の職員も母語教育について同様のことを言っていた。確か、30代以上の人は族語を話せる人は少ないと言っていた。もちろん高齢者たちは話せる人が多いようだ。だから中間の世代は母語の話題にあまり反応しない。これは台湾で私が訪問したことのあるいくつかの原住民部落に共通している。経験的に感じることだ。
テーブルの横に古いソファーが置いてあって、おばあちゃんは私に座るように勧めてくれた。ソファーの上にはスマホが置いてあって、民族衣装を着た人たちの合唱が響いていた。ノスタルジックなメロディーだった。
これも孫娘への民族教育の一貫だったのだろうか。
私がおばあちゃんと話しているうちに女の子は置いてあった科学麺の袋を破ってモグモグと食べはじめた。
なんと、ひとつまみにぎって私の方に小さな指を差し出してくる。
おばあちゃんに言われたわけではない。私はひとカケラもこぼさないように両手で受けて、たった今習ったばかりの言葉で「マラヌガ、謝謝」と言いながら食べた。
少しあつかましく大袈裟な言い方をすれば、子供が母語と接する機会を1回作り、1回分だけ民族教育に参画した気分になった。
その後何回も何回も、小さな指で科学麺をつまんで私にさしだしてくれた。
「ありがとう」
これは日本語で自分の頭の中だけにとどめ口には出さなかった。
さらに何度も私に科学麺をつまんで渡してくれた。あまり長居すると、この子のおやつを私がたくさん食べてしまうことになる。お礼を言ってその場を離れた。私はこの隣の民宿に宿泊していた。同じ建物のすぐ隣、5メートルぐらい。
このようなやり取りがあったおばあちゃんと孫娘の画像を見返してみてノスタルジーを感じた。同様なシチュエーションと言うかそういう思い出は特に持っていないのだが懐かしく感じた。これは、家族、親族のありようの原風景というかそういった共通のものがあり、だから国境、生活環境、民族をこえて懐かしく感じるのだろうか。
それにしても、小さな子供からたくさんおやつをもらっちゃったなぁ。何かお返しができないかな。
時々思い出し気にかかっていた。
なんとか機会が訪れそうになってきた。
出来事は2023年の大晦日のことなんですが、2024年3月末の霧台鄉の哈尤渓(ハヨシ)ツアーに参加できそうになってきた。
年末年始に宿泊した民宿が哈尤渓という自然豊かな渓谷へのツアーをしきりに提案していた事を思い出した。今日、改めて民宿に問い合わせてみた。まだ確定していないが受付OKなら、また霧台鄉にいく理由ができる。
この時に何か日本的要素がある小物をお土産として持って行って渡せないだろうか。和風柄の小さな万華鏡を日本から取り寄せる手配をした。
いっときでも夢中になって眺めて遊んでくれれば、子供のときの記憶として残るかもしれない。そうだったら良いなと思いながら、渓流散策の準備にとりかかる。
これも台湾駐在生活の大切な思い出だなぁ。忘れてしまう前に書き留めておこう。
【日記 Discovery TAIWAN 2023/12/31のこと】
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