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「自分なりの哲学、基準、価値観が必要」で「その内容や決断次第で未来が変わる」、そんなめっちゃ大事な行動とは?

さらには、最近少しずつ「投資」にも興味関心を持ち始めました。

鳥井弘文さんのブログにこの一文を見つけて、めちゃくちゃ嬉しく思いました。

この記事で、こんなことも書かれていました。

しかし、投資行動というのは、法則に従った哲学の実践にほかならないのだと気づきました。
そんな中で、自身の確固たる投資哲学を完成させ、それを実践していくことこそ、投資行動そのものなのだなあと気づいたのです。

鳥井さんの言われる「投資」は、お金に限った話ではないと私は思っています。

「投資」と聞くと、多くの人は、いの一番にお金を連想し、それに続いて「もうかった、損した」のようなことを思い浮かべるのではないでしょうか。また、反射的にネガティブな(例えば、胡散臭い、あるいは、虚ろ、とか、身近な人に「ロクなもんじゃない、えらい目にあった」と刷り込まれた、上手く行かなかったトラウマがあって「2度と近寄るもんか」とか)イメージで捉える人も少なくないように想像します。ネガティブとまではいかずとも、お金持ちのもので自分には関係がない、難しそうだから近寄らない、いずれそのうちね(結局そのまま通り過ぎていく)、という捉え方をしている人は、かなりいるんじゃないかなあ。

「投資」という言葉はどうにもイメージが悪い?ということの表れの一つが、「貯蓄から資産形成へ」という言葉です。

「貯蓄から資産形成へ」は、以前、「貯蓄から投資へ」でした。しかし、

投資と投機。両者の違いは本来、このように明確に分かれるはずなのですが、リスクを負って値上がり益を取ることばかりがフォーカスされ、「投資も投機も一緒くた」という状況になっているのが現状です。
これでは、いくら「貯蓄から投資へ」というスローガンで旗を振ったとしても、資金が貯蓄から投資に向かわないのは当然でしょう。

投資という言葉には手垢が付いている、ということで、「投資」は「資産形成」と言い換えられたのです。この言い換えを知った3,4年前は「なるほどね」と感じました。でも、今現在は、この言い換えに対して大きな疑問を持っています。

「資産形成」というのは、状態というか、結果というか、そういう語感が強い、ってことです。「xx」という行動を選択したから「資産形成」できた、「xx」というう行動で「資産形成」を目指す、という具合に。この「xx」に入る言葉は?

「投資」でしょう。投資は行動、アクションだと思います。他方、貯蓄も行動、アクションです。「投資」が誤解されていても、色んな捉え方がされるとしても、「貯蓄から投資へ」って言い続けるべきだ、と今は考えています。

「投資」と聞いて「お金」を連想する、その考え方に私も囚われていました。

このエッセーのまろさんに倣って、私も本棚の奥から英英辞典を取り出してみました。investを調べてみました。

invest ; to put (money) to a particular use e.g. by buying shares in a business in order to make a profit

一つの発見は money に括弧が付いていることです。これは必ずしもお金でないということでしょう。日本語も「投金」ではなく「投資」です。「資」なんですよ。

お金以外にも「資」は沢山あります。時間だってそうですし、気持ちや想いといった「志」も「資」と見ることができるでしょう。そして、その「資」をput 、「投」する。自分の身から離して別のところに割り当てる、振り向ける。貯蓄は自分の手元にとっておく、という行動ですが、投資は自分の手から離して誰かに、何かに委ねる行動です。お金に限らず自分の手持ちの資本、資源を誰かに、何かに、委ねる。こうなってくると、もはや、お金持ちのもので自分には関係がない、難しそうだから近寄らない、いずれそのうちね(結局そのまま通り過ぎていく)、という訳にはいかないし、痛い目にあったので2度と近寄らない、胡散臭いなんてことは言ってられないはずです。自分の時間をどう扱うか、割り当てるか、それを判断、決断するのも「投資」になるわけですから。その割り当ての基準、どう優先順位を付けるか、それを「哲学」と呼ぶべきかもしれません。

自分自身にとって、何が大事なのか、どんなことを大切に、自分の資源を割り振りたいか、それを考えること、自分なりの基準、哲学を持つことが「投資」で一番大事なことなのかもしれません。

「投資」という言葉を目にすると、「どんな商品を買えばいいのか」「いつ買うのが良いのだろうか」「売り時はいつ?」「NISAとiDeCo、どっちが有利」などのHow-to に関心がどうしても行ってしまいます。「投資」の入口ではそれで仕方の無いことかもしれません。でも、自分なりの考え方が定まっていないHow-to頼みの実践は、継続するのが非常に難しいことだろう、と想像します。自分の資本であるお金が、どこに置かれているのか、そして、その場所は自分の哲学や価値観に合った場所であるのか、そこを確かめること、関心を持って見つめる、見守ること、それが「投資」には必須だと私は思います。

ちなみに、investの語源は、

語源はin(中)とvestire(服を着る)に由来します。原義はラテン語のinvestire(服を着せる)です。お金が株や債権などに姿を変えることが人間が服を着る様子に似ていることから、投資するという意味に派生しました。
https://eng-etymo.com/archives/940

自分の身を離すのではなく、服の中に入れるんですね。お金は別の場所に置く、手放し、その交換で得た株券を服の中にしまう、ってことなのでしょう。つまり、investした後に、私たちが服の中にしまうのは、「お金」ではなく「株券」等のお金では無いものなんです。

こちらの記事でも書きましたが、私は

#投資信託  に恩返ししたい!

 と思っています。強く思っています。

投資信託のおかげで資産形成はボチボチ上手く進んでいますし、色んな出会いや発見を体験することが出来ました。

この想いは日々募っていますが、「投資」のイメージを何とかして変えないと恩返しは出来ない、そう考えています。

なもので、「投資」という言葉に真正面から向き合い続けよう、そう思っています。冒頭にご紹介した鳥井さんのブログの記事を拝見して、その思いがさらに強くなりました。

・・・

「投資」と聞いて、いの一番に

めちゃくちゃ大事なこと

自分なりの哲学、基準、価値観を持ちたい

投資の内容、決断次第で未来が変わるから、真剣に取り組みたい

・・・

こんな風に連想する人が一人でも多くなるように。

そうなれば、恩返しが叶う、、、そう妄想しています。



とはいえ、How-to を否定するわけではありません。

行動を起こす際には、きちんと確認して、納得することが肝要です。

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