「お金をふやしたい」人はXXXを見つめ、「資産をふやしたい」人はYYYを見つめる。 ー アクティブファンドを眺めてみた 号外版 #8
定期購読マガジン「アクティブファンドを眺めてみた」は私が関心を持ったアクティブファンド(株式を主たる投資対象)について調べたこと、感じたことを月に3回以上発信します。毎月3本のファンドを比べて読みたいという方は「マガジン購読」がお得です。ぜひご検討ください。
号外版 第8回です。
(第7回は こちら ですが、その「つづき」というわけでもありません。)
資産運用の目的はただ一つ。お金をふやすことだ。
この考え方、みなさんはどう思われますか。
私は2003年から投資信託を買い始めました。以来、毎月、コツコツと追加で買い増し続けています。始めた際に考えていたこと、端的に言えば、
お金をふやしたい
それだけでした。資産運用、投資に取り組み始める理由ってこれですよね、当然。
でも、時間を経て、考え方が(随分と)変わってきました。
ふやしたいのは「お金」なのか?ということです。
証券会社にログインすると、こんな表が出て来ますね。
みなさんは、どこに注目されますか?
多くの方は、一番右の列じゃないかな、と想像します。
「時価評価額」「評価損益」。
自分の保有しているあの株式、あのファンド、一体今いくらなの?なんぼ儲かってんのん(損してんのん)?って。
というわけで、この数字を「お金」と理解されている人も多いと思います。
でも、です。ここに載っている株式や投資信託は「お金」ではありません。八百屋できゅうり一本さえ買うことができません。きゅうりの代金として、「XXXファンド」40口分で、AAA社の株式0.4株で、というわけにはいきません。一旦、現金化しないと、きゅうりは買えません。
この表が示していることで最も大切なのは、「XXXファンド」の受益権を179,773口、AAA社の株式を200株、保有している、ということです。あくまで「保有数量」の列の数字です(「平均取得価額」も動かせない事実です)。
右端の列に載っている金額は、そのファンド、株式が今、換金したらいくらになるかという「評価」であって、お金そのものではないのです。実際に換金したら、数日後に「お金」になるのですが、その時、手許にやってくるのは、ここに載っている数字と異なっているのが普通です。
そんなこと分かっているよ、当然でしょ、と躊躇いもなく答えられる人、実は少ないんじゃないか、と想像しています。この右端の数字が「お金」だと認識しているからこそ、「評価」損が大きくなっていると、「お金が減っている!」と不安になって逃げ出したくなったり、「評価」益が膨らんでいると、もうそろそろこの数字も減る?「お金が減っちゃうかもしれない!」と考えて、利益確定したくなったりするのだと思います。株価が乱高下すると、こうした取引をする人が増えるのがその証拠だと考えています。
繰り返しますが、右端の金額は、あくまで今の「評価」、市場が付けた評価に過ぎません。見つめるべきは「XXXファンド」の中身であり、AAA社の会社の価値のはずなのです。つまり・・・
それって本当に「資産」なの?
ということを考えるべきではないか、ということです。
「資産」とは、を考えるきっかけとなったのが、鳥井弘文さんのブログの記事でした。
記事の中で、鳥井さんはこんな指摘をされています。
本当の資産とは、「時代が変わっても価値を保持し続けられるもの」だと僕は思います。
鳥井さんの定義からさらにハードルを上げちゃうと、
時代が変わっても、環境が変わっても、それを察知、知恵を絞って反応し、独自の価値を社会に提供し続けることができる、しっかりとその価値が評価されうるもの
「資産」ってこういうもんやん!、こんな「資産」をより多く持ちたいな、ふやしたいな、と考えるようになりました。「お金」そのものはどんなにたくさんあったところで、価値は生み出しません。長く続いたデフレ下では相対的に価値が高まっていた面も否めませんが、それは結果論に過ぎないと私は思います。デフレ下で、その環境に反応して独自の価値を提供してきた会社は沢山あったわけで、それらの会社の株式、「資産」を持っていた人は、「お金」を抱えていた人よりも、ずっと豊かになっているのです。「お金(現金)」も会計上は「資産」ですが。
鳥井さんの記事を何度も読んでみて感じたのです、
「お金をふやしたい」と「資産をふやしたい」というのは、実は似て非なるものではないか、と。
ただ、その2つは一人の考え、意識の中に共存することも可能ではないか、とも思うのです。
こういう具合に。
林伸次さんのこの記事、それから、林さんが常々おっしゃっている「グラデーション」にインスパイアされました。一人の人間の頭、意識の中には「お金をふやしたい!」と「資産をふやしたい!」の両方が共存していて、その割合は人によりけり、グラデーションである、と。
この記事の「やりたい人が多すぎる問題」を考えた際、「お金をふやしたい!」に意識が支配されていると、レッド・オーシャンに突っ込んでいくのではないか、と。「資産をふやしたい!」の方にウエイトがある人はブルー・オーシャンを探そうとする、といった具合に。
少し乱暴なレッテルになってしまいますが、
「お金をふやしたい!」というのは「労働者の思想」(あるいはP/L脳)、
「資産をふやしたい!」というのが「投資家の思想」(B/S脳と言えるかも)
と呼べるかもしれない、と考えています。
鳥井さんの記事では、こんな指摘もされています。
そうしないといつまで経っても「アルバイト」から抜け出すことはできないから。
「アルバイト」=「労働者の思想」につながっているように感じます。
そして、こう続けられています。
だからこそ、自分の「投資哲学」をしっかりと持ちたい。
自分の「投資哲学」
単なる「投資哲学」ではなく、”自分の” というのがすごく大事だと思います。
「投資家の思想」につながっているのを感じます。
この先はさらに私の偏見っぽいものが増幅されていくのでご了承ください笑
以降はごめんなさい、有料パートとなります。
ここから先は
この記事が参加している募集
サポート頂いた際は、TableforKidsへの寄付に使わせていただきます。 https://note.com/renny/n/n944cba12dcf5