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あなたの好みはどこから?

こんにちは。
エスペラントは人工言語として知られていますが、大きくみれば言語そのものが人工的であると思っている松木蓮です。

(4289文字 / 約8分半で読めます)

さて、今日は「あなたの好みはどこから?」ということについてです。
#ベンザブロック的な感じです

ベンザブロック

(今日は複雑な話をベンザブロックとともにお届けします)

人にはそれぞれ趣味嗜好があって、それぞれの文化として生活を豊かにしています。音楽でいえば、クラシックを好むのかポップスなのかレゲエなのかは人それぞれ違うように好みは多様です。

しかしながら、各人の持つ文化には優劣が生まれている(お金持ちとクラシックはなんだか親和性が高く優れているように感じるみたいな)のでは、どのようにして個人の文化は生まれるのか、そんな疑問を掘り下げて体系化したのがフランスの社会学者ピエール・ブルデュー(1930〜2002)です。

プルフィール:
20世紀を代表する社会学者として著名な方で、彼の『資本に関する理論(社会資本、文化資本、経済資本)』はのちの社会学に大きな影響を与えたとされています。フランスの片田舎で生まれ育つも、抜群に勉強ができ、パリの名門校へ進学。田舎から上パリしてきて、周りの人(上流階級)との趣味嗜好の違いに驚く。青年期にアルジェリア独立戦争を目の当たりにする。終戦後、彼はアルジェリアに留まり、フィールドワークを重ね彼らの生活や文化を深く研究する。生涯を通して、様々な社会科学理論(ハビトゥス理論など)を唱え、後世に受け継がれる。

とまぁ、現代風にいうと社会学のインフルエンサーです。社会学を専攻する人ならおそらく必ず勉強する人だそうです。

ここからは、めちゃくちゃに噛み砕いて、煩雑な文化資本について説明します。
#ベンザブロックとともに


▼資本とは?

資本と聞けば真っ先に「資本主義」が頭に浮かぶと思います。資本主義を簡単に説明すると、「お金持ってるもの勝ち」のゲームです。つまり、資本は基本的に事業を行うためのお金であるということですね。

で、彼がいうにはこの「資本」という枠組みは金銭的な意味合いを無視しながら3つに分けられると言います。それぞれ、

・社会資本(信用、ネットワーク、人脈、コミュニティー)
・文化資本(趣味嗜好)
・経済資本

です。このうち、文化資本が今日のテーマです。結論、(彼が曰く)「あなたの好みはどこから?」に対する回答は、「身体から」「客体から」「制度から」のどこかです。

ブルデュー曰く、「『文化資本』とはひと口で言えば、経済資本のように数字的に定量化することはできないが、金銭・財力と同じように、社会生活に置いて一種の資本として機能することができる種々の文化的要素のことである(『差異と欲望』p.25)」 だそうです。

どれも経済的な直接的価値はないのですが、生きる上の文化価値が高いものです。多分、難しいと思うのでここから丁寧になります。僕は英語で読んでいたのですが、難しすぎて何言ってるかわかりませんでした。日本語で解説している人の説明でようやく理解できました(↓)。



(↓寸劇から始まります)

▼身体化された文化資本

:「あのぉ、僕結構アートが好きでデュシャンの『泉』に感銘を受けたんですね。で、学校の便器がそっくりだったのでどうしても欲しくなってこっそり家に持って帰ってのですがぁぁ、、親からは『泉』か!良いなぁと言われたのですが先生からはこっぴどく叱られまして、、これってどういう違いなんですか?」
綾瀬はるか:「それなら、『身体化された文化資本』」
:「へ?」

まず一つ目は「身体化された文化資本」です。英文では、embodied cultural capitalと書かれています。身体化とは?となると思うのですが、これは「思考」や「直感」「教養」などを意味します(ハビトゥス)。体の中に組み込まれているものです。なので、見かけ上はその人が身体化された文化資本を持っているかわからないんです。

(→「身体化された文化資本は基本的に不可視であるから、それを家屋や土地や金銭のように顕在的な形で私有したり、ましてや法律によって保護したりすることは、本来的に不可能である。だからこそ逆に、それらは人々の知らないところで無制限に蓄積され、贈与税なしに伝達され、相続税なしに継承されうるのだ。」『差異と欲望』p.45)

先ほどの芸術の話で言うと、「デュシャンはこれまでの絵画みたいに一から作るというよりは、日常のコンセプトにすでにアートが存在しているっていう考え方で、これが結構好きなんだよねぇ」みたいなことです。これって教養ってやつですよね。

印象派なのか抽象派なのかを語れること自体はお金になり得ませんが、教養として身につけておくと良かったりするものです。

それで、この文化資本は生まれながらにして持ち合わせていることがあって(innate property)、アーティストの子供がアーティストになりやすいのはこのためだとされています。この辺はなんとなく頷いてもらえるかと思います。

それから、帰国子女なんかはこうした感覚的なこと(振る舞い、言動)で帰国時に大きな悩みになると思います。

芸術への理解、音楽に対する造詣、思考と言った内在化されたものを「身体化された文化資本」と呼びます。もちろん、この文化資本は先天性がある反面、自分で身に付けることができます(acquired property)。


▼客体化された文化資本

:「私、読書が好きすぎて、読書するためだけに早起きして満員電車を避けて、通勤しているんです。それで、大学の友達が家にきた時のことがモヤモヤしてて、、家に大きい本棚があって、哲学書が多いんですね。オススメはショーペンハウアーなのですが、そうやって説明すると、引かれちゃって、、これってなんでなんですか?」
綾瀬はるか:「それなら、『客体化された文化資本』」
:「ぬ?」

続いて、「客体化された文化資本」です。英語では、objectified cultural capitalを指します。一つ目の「身体化」に対して「客体化」、つまり物質的な資本を指します。今の女性のように、本がある種その人の文化であり、どんな本を選んでいるかでその人の人となりがなんとなくわかることが多いです。こうした物理的な文化資本を指すわけです。

同じ本であっても、肝心なのがどんな本なのかであって、漫画が山積みになっているのと、分厚い哲学書が多いのと、はたまたビジネス書がズラリと並んでいるのとでは大きく違いますよね。

家に絵画が沢山飾ってあったり、楽器が沢山置いてあったり、みたいなのも同じで、何がどれだけあるかがポイントになります。

なので、単にモノを持っていれば良いということにはなりません。”何を選ぶか”でその人の趣味・文化が変わるのです。

ここは、一つ目の「身体化された文化資本」と密接に関わっていて、内在化された思考や審美眼がないと、何が良い作品なのか、どの哲学者が有名なのかというのはわかりません。

なので場合によっては、「身体化された文化資本」が可視化されたものが「客体化された文化資本」ということになります。


▼制度化された文化資本

:「オレは高卒で、そのまま工場に就職して誰よりも努力して頑張って今は本社勤務になったんだけど、3年前に入ってきた有名大学卒業のやつばっかり優遇されるんだ。業績はオレの方が良いのになんでなんスカ?」
綾瀬はるか:「それなら、『制度化された文化資本』」
:「あん?」

最後は、「制度化された文化資本」です。英語では、Institutionalized cultural capitalです。制度として一般に認知されているもの(学歴、資格)を指します。

ブルデューはフランスの方ですが、この制度化された文化資本へのこだわりは日本でも強いのかなと思います。僕自身、大学に入るまでそうで、恥ずかしながら高学歴こそ全て、と本気で思っていた時期がありました(高校3年性が絶頂期)。(ある程度ものさしになり得るとは思います)

教育機関という確立された位置にいて、それでいて社会通念として(是非はともかく)まかり通ってる。学歴フィルターのようなこうした制度化された文化資本による格差は確かに存在すると思います。

ちなみに、僕は大学に入ってから「学歴なんてクソ食らえ」と思うようになりました。学歴でなく自分自身を評価して欲しいと思い、資格・検定の勉強をいくつか始めたのですが、今思えば、結局資格・検定も制度化された文化資本であることに今気づきました。

よく言えば、判断しやすい指標なのかもしれません。何かの資格を持っているとその分野ですでに幾らかの知識があることの証明になるので。ただし、それと実学ではまた違ってくることは確かでどれだけ場数を踏んだかが大切になると思います。

もっと言えば、資格や検定、学歴といった(論理的に根拠がない)制度を至上なものとして前提条件にするのはこれもまた暴力であると思います。


▼文化資本が生む格差と階層

今回は、文化資本について触りの部分だけ切り取ってベンザブロックとともにお届けしました。ブルデューの考えに沿ってまとめると、今あなたの趣味嗜好はあなた自身が選んでいるわけではなく、内在化された価値観や環境によって(恣意的かどうかに関係なく)選ばされている、ということです。

クラシックなのか、ヒップホップなのか、
印象派なのか、ポップアートなのか、

そうした好み(文化)には本来、格差は生じないはずです。「先進国↔︎途上国」という構図が批判されることはたびたびありますが、何をもって「先進」なのかは優劣の付けられるものなのか?というのは今一度問いただした方が良さそうです。

こうした見えざる格差は「文化貴族」と呼ばれる文化資本を多く保有している一部階層が社会を牛耳っているからこその結果物なわけですが、人の遺産としての「文化」は平等かつ公正に扱われるべきものだと思います。

最後に、このブルデューの理論は絶対化できるものでもありません。そもそもリサーチ対象がフランスであったので、山を越え海を越えた日本の文脈にどこまで転用できるかは未知数です。

おまけに、量的研究による統計データでしかないというのもポイントです。それでも少しは日常の中で意識できることでもあるのかなと思います。

もし周りの人と(趣味嗜好などで)違いを感じるなら、それはいずれかの文化資本に由来することかもしれませんね。僕は結構心当たりあります。

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