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北の海賊ヴァイキング〜vol.12『ヴァイキングの新地開拓』〜

こんにちは、北欧情報メディアNorrの管理運営兼ライターをやっております、松木蓮です。普段はデンマークの大学院に籍を置きつつも、北欧に関する発信をしています。

今回の連載ブログは、「北の海賊ヴァイキング」と称して、書籍に基づいて彼らの歴史を紐解いていこうと思います。参考文献は「Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen」です。2019年の夏、ノルウェーの首都オスロにあるヴァイキング船博物館にて購入した一冊です。

今回は、前回に引き続いて、参考文献の第5章「Political Life」より、「アイスランドやグリーンランドへの入植」を中心にみていきます。

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アイスランド・ノルウェーを中心に生息する鳥パフィン 
Source: Unsplash

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前回の章では、ヴァイキング達が攻め入った侵略先について簡単にまとめました。それは、今でいうアイルランドやイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、スペイン、北アフリカと言った国・地域ですが、今回は視点を変えて彼らの新地開拓について焦点を当てていきます。

そこはズバリ、北欧5カ国に数えられるアイスランド、それからデンマーク領でありながら自治権も持つ世界最大の島グリーンランドなどです。地理的条件や気候的条件を鑑みると、わざわざ入植する必要があったのかいささか疑問です。この背景には何かありそうです。そして、アイスランド、グリーンランドの名前の由来とその歴史にも触れていきます。

(固有名詞などが多く出てきますがそこまで気にせずに、どのようにアイスランドやグリーンランドに入植したのかに注目していただければと思います)

それでは。


▼フェロー諸島と羊

最初はフェロー諸島について。フェロー諸島はノルウェーとアイスランドの中間に位置する18の島々の総称です。デンマークの自治領という関係性で、非日常的な雄大な自然を楽しめる場所です。この辺の概要についてはNorrの『ヨーロッパの秘境!デンマークの自治領フェロー諸島』をご覧ください。

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Faroe Island
Source: Unsplash

さて、フェロー諸島へ初めてスカンジナヴィアの人々が辿り着いたのは9世紀初頭だとされています。それよりも以前にはアイルランドの修道士が訪れたと言われています。

元々フェロー諸島へ入植したヴァイキング達は、スカンジナヴィア本土からではなく、間接的にブリテン島北部の島々(ヘブリディーズ諸島、シェットランド諸島、オークニー諸島)から移り住んだ人々です。以降、ノルウェー本土からも入植するようになりました。

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↑フェロー諸島への入植簡略図

現在にもその名残が見られるように、フェロー諸島は羊の放牧が盛んな場所です。現在も人口(5万人)よりも羊(7万頭)の数の方が多いと言われるほど。羊の放牧は元来アイルランドの修道士より伝来した産業で、羊毛やそれを使った衣類は輸出されていたであろうと言われています。

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フェロー諸島の羊
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フェロー諸島へのヴァイキングらの入植についてわかっていることはこれくらいで、生活必需品の多くは対外諸国(ノルウェーなど)との交易に頼っていたといいます。



▼アイスランドはなぜ氷の国?

アイスランドへの入植の史実は豊富で、ヨーロッパで唯一その社会の起源がはっきりとわかっている場所と言われるほどです。

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アイスランドの大自然
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フェロー諸島と同様、元々アイルランド人の修道士が訪れた形跡があるようです。ヴァイキングらによる入植のきっかけは9世紀終わり。860年代にヴァイキングらに発見されたと言われています。ここから入植までの流れを3段階に分けて見ていきます。

①ナッドド(Naddodd)による新地発見:

860年代にアイスランドを発見したのはナッドドという人物。元々フェロー諸島へ船を漕いでいたのですが、航路が乱れ、漂流したのちに辿り着いたのがアイスランド。もちろん、当時はアイスランドという名前は存在しません。

島を詮索して人間の生活の姿を探そうと山に登ったそうです。これと言ったものは見つからなかったのですが、島を後にする前に山の上に雪が降ってきたと言います。これを受けてナッドドは「Snowland(雪の国)」と名付けました。この時点ではまだ入植はしていません。

②スヴァヴァルソン(Svavarsson)が島であることを発見

続いて島にやってきたのが、スウェーデン人のガルザル・スヴァヴァルソン(Gardar Svavarsson)。彼はSnowlandの詮索のためにきたわけですが、船でぐるっと回った結果、島であることに気付きます(アイスランドの国土は北海道よりやや大きいです)。

それを知ったスヴァヴァルソンはGardarsholm(ガルザル島)と名付け、帰ってはそれを鼻高々に言いふらします。

③フローキ:ノルウェーからの試み

続いてやってきたのが、入植の立役者とも言えるフローキ(Floki Vilgerdarson)です。彼は家族や家畜と共にアイスランドまでやってきました。北西部のフィヨルドに住まいを決め、夏場は漁業や狩猟によって生活をしていました。が、干し草を育てるのを怠っていたゆえ、極寒の冬に家畜は死に絶えてしまい、計画していた入植の試みは失敗に終わりました。

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アイスランド
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伝承によると、彼は島を去る前に山へ登り、そこから氷で覆われるフィヨルドを見たと言います。厳しい気候への怒りとフラストレーションから、彼はその島を「Iceland(氷の国)」と呼びました。そしてノルウェー帰国後、アイスランドと悪評に乗せて伝えたのです。ここで、アイスランドと名付けられたということですね。

フローキは一時はアイスランドへの定住を諦めましたが、数年後にもう一度トライすることを決めます。

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 ●コラム:レイキャヴィクの逸話

レイキャビク(正しい発音はレイキャヴィーク=Reykjavík)はアイスランドの首都で、世界で一番北にある首都です。この名前の由来はヴァイキング時代にまで遡ります。

アイスランドへ入植したことを聞きつけたノルウェーの若い2人の男(Ingolf ArnasonとHjorleif Hrodmarsson)はアイスランドへ行くことを決めます。彼らは近くの力のある首長の2人の息子と争い、彼らを殺してしまったのです。第10章「法・罪・罰」でも扱ったように、彼らは罪としてその地から追放されることになりました。

彼らは家族と家畜と共にアイスランドへ向かいました。そして、伝承がいうには、アイスランド沖に近づいた時にノルウェーの家の柱を投げ捨てたそうです。これは柱が示す方向が将来に家を導くとされていたためです。

結果として、その柱はアイスランド南西部の湾岸にて見つかります。インゴールヴル(Ingolf)はそこで”白い煙”を見つけました。これは温泉から立ち込める湯気で、彼らは「煙が立った湾」と名付けました。これこそがレイキャヴィク(Reykjavík= Smoky bay)の由来です。ちなみに第0章でも扱ったように”vik”は「入り江、湾」を意味し、ヴァイキング(viking)は入り江(vik)にいる人々(ing)という意味です。

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レイキャヴィクの町の様子
Source: Unsplash



▼アイスランドのヴァイキング時代

インゴールヴルらによる入植は870年から始まり、一般にここからがアイスランドの歴史の始まりとして位置付けられています。

●入植時代(870〜930年)

この頃にアルシング(全会議会)が設立されます。この60年間に渡る入植期間でアイスランドの土地は全て開拓されました。歴史文献によると人口は1000人に上ると言われ、その多くはノルウェーからで、本土から直接というよりはブリテン島周辺の島々からやってきた人が大半でした。スウェーデン、デンマークからは若干名いたようです。

●サガの時代(930年〜1030年)

この時期に国家としてもちろん文化的に発展しました。入植者らは農場を作り、漁業と共に生活を支えていました。中には、ヴァイキングらの略奪に参加したり、諸外国と交易をしていた者もいました。



▼グリーンランドへゆくヴァイキング

グリーンランドといえば、北極圏に位置する世界で一番大きい島として有名です。デンマークの自治領という関係性であることまで知っている人も多いかもしれません。しかし、なぜあんなにも極寒の地にいて、「緑の地(グリーンランド)」と名前を付けたのかまでは知らない人が多いはず。ここにヴァイキングの思惑が隠れていたんです。

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グリーンランドの街並み
Source: Unsplash

■グリーンランドの名前の由来

初めてグリーンランドという地が発見されたのは930年より少し前のことだと言われます。発見者はグンビョルン(Gunnbjorn Ulfsson)という人で、ノルウェーからアイスランドに向かう途中で航路を見失い、漂流した先に見つけました(→そろそろお気づきかと思いますが、大体遭難して新天地発見していますね)。その後、スネェビョルン(Snaebjorn Holmsteinsson)という人物がグリーンランド東部にて一冬過ごしたそうです。

(※混乱を避けるためにですが、元々イヌイットたちが住んでいたので、ここでいう「初めて」とはスカンジナヴィア内に限ってのことです)

が、正式にグリーンランド開拓に着手したのはEirik Thorvaldsson(Erik the Red=赤毛のエイリークとして有名)でした。グリーンランドの開拓者としての名前だけが独り歩きしている彼ですが、実はこんな背景があったと言います。

元々ノルウェーに住んでいたエイリーク。しかし、彼は殺人を複数犯していて、追放されたためアイスランドへ向かいました。それでも懲りない彼はまたもや殺人にて3年間アイスランドを追放されることになったのです。

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彼は先ほどのグンビョルンの話を聞いていたので、それを探しに行こうと試みます。グリーンランドの西部にて入植可能な地を発見したのです。そして3年が経ってアイスランドに戻ると、グリーンランドのことを島民に伝えます。

ここで、エイリークはその地を「グリーンランド」と呼んだのです。もちろん、アイスランドに対比した名前で、島民にとって魅力的な地であると信じ込ませる必要性があったため、こう名付けたとされています。

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グリーンランドの街並み
Source: Unsplash

■グリーンランドへ渡った人々

これが功を奏し、985〜986年ごろに25隻の船でもってグリーンランドへ向かう人々が集いました。残念ながら辿り着けたのは14隻。

さて、ここでグリーンランドに向かった人々には共通点があったようです。

①アイスランドへの入植に出遅れた人
アイスランドの歴史についても触れましたが、入植時代(870年〜930年)に土地の開拓はすでに済んでいました。それ以降アイスランドに入植した者は思うように土地を獲得できなかったのです。

②エリックのような社会的地位を失った人
元々ノルウェーにいたエイリークが追放されたのは犯罪のためです。同様に犯罪などで社会的地位を失った人は一定数いました。彼らにとって未開の地グリーンランドは魅力的に見えたであろうことは容易に想像がつきますね。

■グリーンランドの設立と終焉

入植の結果、2つの地域に分かれました。一つは南西部で現在のカコルトク(Qaqortoq)周辺。もう一方は、北極圏付近に位置する現在のヌーク(Nuuk: グリーンランドの首都)周辺。全体で3000人ほどが入植しました。

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エイリークはカコルトクのエリアにて農場を建設し、続けて彼指導の下、法整備もしました。アイスランドのようにアルシング(議会)も作りました。

グリーンランドでの農業は牛、羊、山羊が中心で、また漁業や狩猟(トナカイ、熊、鳥)も生活を支える上で重要でした。穀物や鉄、木材の調達は島外に頼らざるを得ず、セイウチの象牙・イッカクの象牙、ホッキョクグマの生皮、鯨の骨、ハヤブサなどを交易品としていました。

このようしてグリーンランドでの社会が拡大していったかと思われますが、実際のところ北欧の人々によるグリーンランド建設は500年ほどで幕を閉じてしまいます。なぜ終焉を迎えたのかは謎に包まれています。かもすると、病気によって、あるいは気候変動、それからイヌイットらとの抗争から退却せざるを得なかったのかもしれません。

ちなみに現在グリーンランドに住む人々の顔はどこか日本人に馴染みがあります。これはイヌイットがモンゴロイド系の人々の子孫であるためです。

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グリーンランド
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▼北アメリカへの挑戦

世界史の知識では新大陸は1492年にコロンブスによって発見されたと学びますが、実はヴァイキング時代から彼らは見つけていたのです。

このような話があります。

”グリーンランドに住むアイスランドからの入植者の中に、Herjolfという人がいました。その息子のBjarniはノルウェーからアイスランドへ向かい、そのまま父に続いてグリーンランドへ行こうとしました。が、その道中で濃い霧と風に遭い、方向を見失います。何日もその状態が続いて、いざ霧が晴れたかと思うと、そこにはグリーンランドではない土地があったそうです。彼はグリーンランドへ向かうべく北東の方角へ舵を切り、無事グリーンランドに到着しました。”

グリーンランドを開拓した赤毛のエイリークの息子レイフ(Leif)はそれを聞きつけて、Bjarniが辿った道をそのまま逆方向に漕ぎました。そこで北アメリカを発見したのです。

まずHellulandを見つけ、次にMarkland、そしてVinlandとそれぞれに名前を付けていきます。

推測では、
Helluland= Baffin island(バフィン島・カナダ)
Markland= Labrador(ラブラドール・カナダ)
Vinland= Newfoundland(ニューファンドランド島)
だとされています。

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レイフ一行はそこで冬を越し、帰り際に大量の木材をグリーンランドに持ち帰りました。その後も、木材目当てで、特にGreenland-Vinland間での行き来が行われていたとされています。定住を試みた人々もいたようですが、原住民と反りが合わず、頓挫して戻ることに。



▼この章のまとめ

今回は、アイスランドとグリーンランドを中心にどのようにヴァイキング達が入植していたのかをまとめました。この章の覚えておきたい(見所)ところは、ズバリ、名称の由来です。

①フェロー諸島🇫🇴:
羊の放牧が盛んで、羊を意味するフェロー(Faroe)から。現在も人口(5万人)より羊(7万頭)の数の方が多い。

②アイスランド🇮🇸:
フローキが計画した入植は厳しい冬の気候によって頓挫し、帰り際、山に降った雪からIceland(氷の国)と命名。

③レイキャヴィク🇮🇸:
アイスランドへ入植を試みた家族が、その道中でノルウェーの実家自宅の柱に方向を委ねた。それに導かれた湾部で白い湯気を立たせた温泉が見つかり、そこからレイキャヴィーク(Reykjavík=Smoky bay)と命名。

④グリーンランド🇬🇱:
ノルウェーを追放され、逃れ先のアイスランドでも追放された赤毛のエイリーク。社会的地位、信用を失った彼はグリーンランドで再出発を図る。そのために入植者を増やそうと、あえてグリーンランド(緑の地)と呼んだ。


特にそこまで氷河がないアイスランドと、大部分が北極圏であるグリーンランドの名前があべこべなのは面白いですよね。ちょっとした雑学として知っておくと良いかもしれません。

次回は、ヴァイキング達の娯楽について見ていきます。

それでは!
Hejdå!!



参考文献:

Wolf, K. (2013). Viking Age: Everyday life during the extraordinary era of the norsemen. Sterling Publishing.



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