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物語というヒューマニズム

パリジャンはお洒落だとよく言いますが、実はそこまでファッションに気を遣ってなくて、世界で一番外見に気を遣っているのは日本人か韓国人なんじゃないかと思っている松木蓮です。
#多民族であればあるほどデフォルトで他の人と違うので
#わざわざファッションで差をつける必要がなくなる
#日本は単民族国家なので同質化しやすくなるので
#外見くらいでしか差別化できない

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物語の重要性について考えています。物語とはストーリー(あるいはナラティブ)と置き換えられて、時間軸とともに流れるモノやコトの波だと僕は理解しています。この物語というのは極めて人間的だと思っていて、ここ数年で非人間社会からの逸脱を願う物語のヒューマニズムの産声を聞く機会が増えた気がしています。

物語を波だと定義したわけですが、具体的にどんな物語が僕たちの身の回りにあるかと言えば、部活動なんかがわかりやすいかもしれません。

田舎の弱小校が甲子園を目指して一致団結を図る。が、部員間の熱量の違いがあり、メンバーも揃わない。それでも幼い頃から甲子園出場を夢見る1人の部員が立ち上がり、それに少しずつ感化されていく部員たち。そんな中、隣町のヤンチャな高校といざこざがあり、警察が仲介した乱闘騒ぎが起き、一時停部の危機に。騒動が収まったのも束の間、毎夜毎夜地獄の練習のツケがテストに回ってくる。赤点を量産する部活として知られ、学年主任より公式戦への出場自粛を提言される。部長をはじめ、その他部員、さらには顧問までもが頭を下げ、なんとか出場停止を逃れる、、、、
#ルーキーズを彷彿させるストーリー

ベタな部活動の物語ですが、どこか馴染み深い印象を感じる人が多いのではないかと思います。きっとこの野球部はギリギリで、エース投手は肩を壊しながらも無事甲子園出場を決め、晴れ舞台の日には彼らの成長をずっと陰で温かく見守っていた顧問が涙するシーンを時に挟みつつ、炎天下の中汗と涙を流し、球場を駆け回ることでしょう。

部活動は多くの人が通る道なので、親和性と親近感を作りやすいです。それから映画にもストーリーの連続です。
#感情曲線

歴史物の映画が史実に沿わないこともたびたびありますが、これは人を感動させるために人為的に行っていることなので、至極当たり前のことです。なので、これに対して「あそこの描写は実際とは違う!」とマウントを取りたがる歴史オタクの指摘は物語という文脈にそぐわないんですね。

これは作られたストーリー(ノンフィクションの場合もありますが)ですが、現実世界にも物語で溢れかえっています。今日の成人式なんかはその典型だと思います。

ハタチという1つの大きな節目を経て、子供から大人へ移行する通過儀礼ではありますが、それまでの20年間の中で、まだまだ至らないところが多いにしろなんだか感慨深く感じるものです。親御さん目線ですが、思春期に反抗し続けた時期もあったけど、そんな時も今では過去の思い出となり可憐な着物、この日のために新調したスーツに身を包む姿に胸を打たれるのかもしれません。

成人目線でも、小学校ぶり、中学校ぶりに再会した当時のクラスメイトの変わり果てた姿をみて、「あの時は引っ込み思案だったのに、5年間で何があったんだろう、、」と勝手に彼/彼女の物語を想像します。

この時期によく見かける受験勉強のCMも、物語があるからこそ自然と涙腺が熱くなりますよね。応援したくなります。勉強の合間に聴く音楽にもらい泣きしてしまうのは、きっとその歌詞に乗せられたストーリーが自分の分身として写り、それと対比させるからだと思います。

つまるところ、人間には物語が必要なんですね。物語の有無が人間かそれ以外かの線引きをしていると言ってもさほど語弊がないんじゃないかと僕は思っています。

昨日見た映画も、10年前に読んだ詩も唄も、物語が乗せられています。時の流れという一本の線上に、感情という起伏を乗せることで、人間らしさが生まれる。勝手にそこに自分の過去と現在とを照らし合わせて、感動することもあります。

さて、ここで僕たちは考えなければならないことがあります。

人間の本質は物語の中で生きることである、とするならば昨今の社会はその真逆へと向かっていっているということです。言い換えれば、脱人間化が歓迎される社会がもうそこまで来ているということです。

その代表例がDXなどにみるデジタル化と言えるでしょう。機械化を否定しているわけではありませんが、機械を導入することによって僕たちが抱える損失も同時に考えた方が良いと思うんですね。

あと20年もすれば、文通をテーマにした恋物語は若年層の支持は得られないでしょうし( #なんでLINEで連絡しないの ?とか思われそう)、行き過ぎたARやVRは旅行の価値を削ぎ落とす可能性すらあります。

ロボットの利点としてよく挙げられることに、「正確さ」や「オートメーション」などがあると思います。確かに、無人運転なんかは、同じルートを同じタイミングで走れば良いわけですから、正確さはピカイチです。電気を流しさえすればボタン1つで勝手に24時間365日動いてくれるので、人間が介在する隙間は限りなくなくなります。

一方で、物語という点からすると人があるところ(時々動物間の出来事に感動することもあるけど)に物語が生まれるので、機械化が推進されればされるほど、無機質な社会に近付くことを意味します。

物語がこの世からなくなることはないでしょうが、それらの多くは”作られた”という枕詞が付き物で、純度100%の天然の物語は生まれにくくなります。

効率思考は物語思考の対極にあります。何もかも手間を省いて、便利にしてしまっては味のしない社会がまもなく出来上がります。少しばかりの(時には大きな)壁にぶち当たった時に、「さぁ、君ならこの壁をどう乗り越える?」というお話をみんな見たいのです。一筋縄で完結する波を見せられても、そこに感情が動きません。

デジタルとアナログのバランスの均衡を取るのは非常に難しいですが、『物語』は人間の根源として、残しておくべき中心核だと思うのです。ミライの行き過ぎた機械化の軌道修正とヒューマニズムへの回帰が課題となるように思います。



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