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ひとりっこの呪いがとける日

先日、4歳の娘と参加した結婚式で、2歳の女の子とそのお母さんに出会った。へアセットの段階で娘は、その子にぬいぐるみを貸し、世話を焼き、その子も嬉しそうにしていた。披露宴の間、テーブルの下でおままごとをして、その子は娘と一緒にいたくてたまらない様子だった。

会話の中で、自宅が他県であることに、お母さんの表情から、ほんのちょっとの落胆が見え、「兄弟がいればと思うけど…もううちは…ひとりっこ確定だから…」と、どこか遠くを見る瞳に、あぁ…と、解けない呪いに心がぎゅっとなった。ひとりっこだってダメじゃない。だけど、こどもが自分より下の子に優しくしているのを見た時や、逆にちょっと上の子に優しくしてもらい幸せそうにしているのを見た時に、私たちは思うのだ。きょうだいがいればな…と、なぜか申し訳なくなり、心を蝕む呪いのようで、たまらないのだ。

私は3つ下の弟がいる。まあ、なかなかお騒がせな弟なのだが、父が亡くなった時に、弟かいて本当に良かったと思った。この世界で、「父がいなくなった」という気持ちを同じ立場で共有できるのは彼だけなのだ。家族で遊びに行った時に、私は弟がいたから遊園地もアスレチックも旅行も、「見て!行ってみよう!」と言う相手がいたのだ、そして、娘にはいないのだ。私は改めて、娘に申し訳ないと落ち込んだ。

弟には娘と6歳離れた息子がいる。彼もひとりっこであり、彼は昔から、一緒に遊ぶ兄弟が欲しいと言っていた。つきまとう3歳の娘と1日一緒に遊んで疲れはてた甥っ子が夜、布団の中で私に聞いてきたのだ。「おねえちゃん(甥っ子は私をそう呼ぶ)はさぁ、お父さん(私にとっての弟)が生まれた時に嫌な気持ちになったことある?」と。弟に添い寝してもらいながらの直球な質問にちょっと笑ってしまいながらも、「小さかったから覚えてないなぁ」と返すと、甥っ子は呟いたのだ。「ひとりっこもいいかもしれん」と。私は布団の中で笑いを噛み殺しながら、なるほど、ひとりっこもいいかもしれんと目が覚める思いだった。そう、きょうだいがいる方がいいのではなく、ひとりっこもいいかもしれんのだ。

今日、スーパーのカートを押していると、娘がきょうだいを見て「きょうだいはいいなぁ」と呟いた。どきっとして、「きょうだいが欲しい?」と聞くと、「うーん、でも、オモチャとかさ、抱っことかさ、娘はママが大好きだからさ」と熱烈ぶちゅーとされて、涙が出そうだった。

そう、きょうだいがいるといいし、ひとりっこだっていいかもしれんのだ。どっちもいいのよな。ひとりっこの呪いは完全にとけることはなく、これからも何かある度に、「いればな」と思うのだろう。でも、その度にあの世界の謎を解いたかのような口調で甥っ子が言った言葉を思い出すのだ。

ひとりっこもいいかもしれん

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