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感情と切り離す

昨日泣きながら母から電話が二度。メールは以前から何度か。
正気と呆けを繰り返す父の言動に限界を感じつつも、「まだまだ大丈夫。施設に預けるのは可哀想。夜中にお母さんを探すから。ずっとボケたままで分からないならまだいいけど、正気の時に可哀想」と

片付けようと押し入れから出した布団やカーペットの上に、寝惚け眼で立ち小便

目を離した隙に外に出てタバコ
躓いて転倒し、筋力も落ちているから血だらけ
食べても、すぐにご飯は?と

私と話す時の父は正気だ。だから、ピンと来ない。父は私の前では父でいたいのだろうか
でも、私にだけは昔から胸の内を話してくれていた。父娘というより、相棒のような。

昨日、母には話した。施設を前向きに検討しようと。すぐに駆けつけられる距離にいない私には、母に頑張れなんて言えないし、そこは頑張るとこではない。
感情と現実を切り離して考えようと。家で看たい、限界ではまだない、こんなことで、もっと大変な人はたくさんいるetc…
限界になってからでは、手遅れなんだよ、と。誰得なの?その考えは、と。それは自己満足に過ぎないんだよ、と。キツイかもな、と思ったけど、理解してもらうためには、仕方ない。

自分一人で!まだまだ頑張れていない
!根性、根性!

この面倒くさくて自分を追い込みながら、認められない思考は、母譲りだな。
私もどんなにしんどいか。

だからこそ、強くキツく言わなきゃ分からない。

大切で大好きで、幸せだった時間を苦しみの記憶で終わらすのは酷だ。

なぜ人は、美しい時にサッと幕を閉じれないのか

生きながらえることが、良いことなのか

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