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『Westmead公立病院入院回顧録 ⑩』

正直ICUでの3日のことはあんまり詳しく覚えていない。

とにかく何やらかにやらが痛くて身体も自由に動かせなかっただけだったように思う。

食欲もなかったのにナンバー2のことだけしつこく聞かれた。排便刑事による排便捜査である。そりゃ俺だって期待に応えたいと思う気持ちはなくはないが、鶏じゃないんだからそんなに毎朝はいどうぞと産めはしない。鶏が毎日卵を産むかどうかは知らないから、ナースの人も俺ではなく鶏の方に直接聞いてほしい。

そしてシャワーを浴びることは強いられた。無理やりと思えるほどだった。こんなときにシャワーがそんなに必要なのか?と思わないではなかった。そんなの身体を濡れタオルで拭くだけでいいじゃん、と顔にしっかり書いたつもりだったが、漢字と平仮名は読めなかったようだ。まさか俺の字が下手糞過ぎて読めなかったということはあるまい。よみかきそろばんはしっかりやって欲しいものである。

寝返りを打つのも、身体を起こすのも、ベッドからおりて歩を進めるのもきついし、体中そこかしこが痛くてとてもシャワーを浴びるようなそんな気分じゃ1ミリもないのだが、研修中だか新人だかのナースの人には患者の身体を洗う経験を積ませねばならないのだろうと、下手糞の若いドクターに採血されるときと同じように思った。これだけのことを無料でやってもらっているのだから、こちらからも提供できるものは提供するのがフェアだろう。そのへんの理屈は理解できる。ただ俺の身体で釣り合うかどうかについては申し訳ない気持ちでいっぱいだが、それを今更言われてもどうすることもできない。

そういえばICUでは一度もパンツも靴下も履くことはなかった。パンツを履かないことに疑問を抱くこともなかった。お隣さんやお向かいさんの状態を確かめに病院着をめくりに行ったわけではないが、おそらく履いてはいないはずである。部屋の主である患者が履いていないのだからそこで働くナースの人たちも履いているわけはない、と推察するのが筋だろう。つまりICU=ノーパン説が成り立ちそうである。学会で発表したら殴られることは間違いない。

話が脱線するかもしれないが、パンツを履かない生活にすんなりと入りたいなら大きな手術をしてみたらどうだろうか。文明社会の多くの普通の人はパンツを履かない日常生活にとても抵抗があるはずである。もちろんノーパン主義者の人も中にはいるだろう。しかしそれはあまり大っぴらにできるものではない。社会的なステータスは獲得していないのだ。

だからパンツを履かない生活にある種の憧れを抱きながら両親にも友人にも相談することができずに悶々とした毎日を長年過ごしてきた人は、思いつめて夜行列車で北の国へ旅だったり、屋上から飛び降りてみたりせず、思い切ってなんでもいいから首から下の大手術に挑戦してみるといいだろう。

手術は大きければ何でもいい。この際、改造人間になってもいいかもしれない。あとで世界平和にも貢献できたりするかしれないし、子供たちの人気者になってふりかけやソーセージのパッケージになったりベルトがバカ売れしたりする可能性もなくはない。

まあそんなことはいいとして、大手術の後は意外なほどすんなりと病院着のみで違和感を感じない自分が誕生していることに気づくだろう。ただ、病院着さえ身に着けたくないんだよ、という人もいるかもしれない。個人の趣味があらゆる方面に多岐に渡っているということは理解しているので、そんな人がいても全くおかしくはない。社会のルールの範囲内でそれができるところを探すしかないだろう。頑張って欲しい。頑張る人は必ず応援されるはずだ。(たぶん)

今回おまえはいったい何の話をしているんだよ、とあきれ返ってしまうほど殆ど何も内容がない。どうでもいいをとっくに通り過ぎている話ばかりである。それほどICUにいたときのことを覚えていないのだということが、今回伝えたかったことなのである。

信じるか信じないかはあなた次第である。

『Westmead公立病院入院回顧録 ⑩』

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