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『Westmead公立病院入院回顧録 ⑦』

開胸手術が決まった。

「こんなことになるとは思いもしなかった」

普段簡単に口にする人がいるが、この言葉は果たしてそんなに簡単に使っていいものなのだろうか。

そんなに予想しないことがしょっちゅう起きるわけがないではないか。物事には因果関係というものがあるのだから、結果はその原因に起因する。勉強不足なら試験に落ちる可能性を予測できるし、飲み過ぎれば二日酔いになるかもしれない。しかし予想できないことがしょっちゅう起きているのだとすれば、それは本人の予想がとんでもなく下手糞か、何にも考えてないからだろう。ぼーっと生きているから予想しないことばかりになってしまうのだ(←明らかに言いすぎ)。

「こんなことになるとは思いもしなかった」

それは近所に豆腐を買いに行くくらいの気持ちで出かけてきたのに、そのまま自分の心臓を空気中に晒すことになった、まさにこんな状況のときにこそ使うべきだろう。そんなの滅多にあることではない(あってたまるか)。

さて翌、火曜日になるといろんな人が俺を病室に訪ねてきた。

チームの偉い人っぽいちょっと年配のドクターも一団?を引き連れて来たし、別のドクターが別のときに手術の説明に来た。術後のケアの説明にも女性のドクターがやって来た。この周囲のざわつき具合で、同じ心臓をテーマにしていてもカテーテルでの手術のときより随分大掛かりな手術になるんだなあ、とは容易に想像ができた。そのくらいのざわつきだった。

そんななかではあるが、自分自身としては身体にメスを入れるということに関して今一つピンときてはいなかった。自分自身に起こっていることなのに、どういうわけかなんだか一歩引いたところで他人事のようにそれを見ているような感覚だった。世間でいう「バカ」なのかもしれないし「間抜け」なのかもしれないし「とんま」なのかもしれなかったが、手術でそれらを先に治してもらうことはできそうになかった。

父の兄の次男、まあ俺の従兄弟に当たるわけだが、彼が小学生だった頃に九大の大学病院(←たぶん)で心臓の手術をしていた。細かいことは忘れたが、彼の胸にくっきりと刻まれた一直線の手術痕のことはよく覚えている。「あれが俺にも入るってことだよな…」ととは思ったが、なんとなくマジックで胸にびーっと線を引く、くらいのイメージが俺の抱いていたものだった。

時間は比較的ゆっくりと流れているように思えた。

相変わらず病室から出ることなく、ベッドとトイレの行き来だけ。外の情報は窓から見える景色だけだった(←大袈裟)。

いつやるか分からない大きな手術をどうやって待つのが正しいのか俺には全然わからなかった。この病院に来てからと言うものあれもこれもが生まれて初めてのことで、本当に何が正解が分からないことだらけである。親からも習わなかった(言うことを聞いてなかったかもしれない)し、学校で先生に教わったわけでもない(言うことを聞いていなかったかもしれない)。ただただ大人しく時間を潰していくだけである。

差し入れもいただいた。

病院食はどうしても味気ないだろうと、特に精のつくものをわざわざいただいてとても有難かった。写真に撮る前に我慢できずに食べちゃったものもあって申し訳ない。贅沢を言うものではないことは承知しているが、やはり毎日毎日毎日毎日病院食だと楽しみもないし元気も出ない気がする。

シャワーを浴びろと毎日言われるのにはちょっと驚いた。もちろん毎日シャワーを浴びるのは俺としては嬉しいことだが、病人が毎日シャワーを浴びているというイメージが無かったのでびっくりしたのだ。とすれば、毎日洗濯物が出るということである。

毎日着替えるが、その病院着は毎朝支給され、タオルも毎日2枚ずつそれと一緒に支給されるため、洗濯の必要はない。洗濯が必要なのはパンツと靴下だ。

幸い(←大袈裟)パンツを洗うことに関しては手に覚えがあった。小学生のころの担任の先生が「日記をつけること」と「パンツを自分で洗うこと」を日課にせよ、と命を下して(←大袈裟すぎるかもしれない)いたことがあって、5,6年生のどの時期かには毎晩入浴したときに風呂で自分でパンツを洗っていたことがあった。だからシャワーのあとにちょこちょこっと洗濯することに、全然抵抗はなかった。むしろ、その小学生のころのことをちょっと思い出したりして懐かしい感じもしたものだった。

関係ないが、左手の甲にぶっ刺してあった針をやっと抜いてもらったのだが、ハリがこんなに長くてぞっとした。金属アレルギーとかじゃないからいいけど、こんなのが身体に突き刺さりっぱなしってのは恐ろしくていやだな。

『Westmead公立病院入院回顧録 ⑦』


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