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『Westmead公立病院入院回顧録 ③』

朝6時半の電車でに乗って、行けと言われた病院のERに向かう。

西シドニー大学がある駅の病院である。

持たされた書類とメディケアのカードを受付に出す。受付に居た昔お姉さんだった人はお世辞にも愛想がいいとは言えなかったが、俺のことを怒鳴ったり殴ったりすることなく(普通はしない)手続きをしてくれた。

待合室にはいかにも具合が悪そうな、この世の終わりのような顔をした人ばかり、付き添いの人と一緒に20人ばかりが散在していた。これからフルマラソンを走りそうな元気モリモリの人は一人も居なかった。

「せっかく早く出て来たのにこんなに待っている人がいるのか…」とちょっと残念に思っていると、椅子に座って5分もしないうちに名前が呼ばれ、導かれるままにドアをくぐる。「あんなに泥みたいな顔色をした人たちをごぼう抜き…」と、付き添いの人もなく自分で歩けるくらいは十分に元気だった俺は心苦しさを感じる。

簡単な問診とコロナ検査、血液検査、コードペタペタ検査などをこなし、再び受付で待つように言われる。分かる英語しか分からないからあやふやなところはすべて適当に答えたのだが、検査して数字で出ているのだから、診る人がそれを見たら分かるはずだと高を括る。

「これで終わりかな。」

何をしにこの病院に行けと言われたのか本当のところよく分かっていなかった俺は、周囲をごぼう抜きで早く終わったことに罪悪感と満足感の入り混じった感情を抱きつつ、静かに椅子に腰かけた。散在する具合が悪そうな人たちの具合に回復の様子は見えず、状況はより悪くなっているようだった。付き添っている人の表情もとても渋くて暗かった。いかにも病院、という雰囲気だった。

と、さっき入った部屋とは違う壁面のドアが開き、車椅子を押した背のめっちゃ高いお兄さんが登場した。それをよくある病院の風景だと思いながら眺めていると俺の名前が呼ばれるではないか。

イエス、と応えて立ち上がると、お兄さんはそれに乗れという。「歩かせられないから」

俺は人差し指で自分の鼻を指した後に、それを車椅子に移動させる。歩かせられない?俺?

お兄さんは俺のしぐさの意味が分かったかどうかは分からない(欧米人は自分のことを指すときは鼻ではなく胸を指す)が頷いてとにかく座れと言う。言われるがまま幅広のシートに座り、そのまま生まれて初めて車椅子に乗せられてベッドまで運ばれる。そこで「歩いていいのはトイレまで。それ以上は歩くな。」と念を押される。

そしてあれよあれよという間(というと大袈裟すぎるが)病院着に着替えさせられ、入れ替わり立ち代わり(というと大袈裟すぎるが)色んな立場の人がその役目を果たすべく俺のところにやってきては去っていった。

どうやらそのままカテーテルでの手術待ち、ということらしかった。まさかこんなことになろうとは夢にも思っていなかった俺はとても困惑するが、それが最善なら流れに乗るしかないし、もちろん文句もない。

右となりのベッドは酔っぱらいだった。お巡りさん的な人が事情聴取をしているようだった。別に聴き耳を立てていた訳ではない

がやることもないので耳に入ってくる。

彼は定職についておらず路上で何かを売ることを生業としているらしく、メディケアも持っていない。自分の誕生日の祝いを路上でしていて酔って怪我をしたというような話だったが、メディケアを持っていないので病院のお金をどうやって支払うかと問い詰められていたようだった。彼は俺のベッドの向こうを通って左にあるトイレに行くのだが、その姿は見事に薄汚く、路上の酔っぱらいという言葉がそのまま当てはまる。

あっちの方のスペースに恐らく救急車で担ぎ込まれてきた患者だろうと思われる女性は、担架からベッドに移される時に物凄く大騒ぎして、Fの言葉を乱発していた。どこかがどうにかなっていてとても痛いんだろうとは想像ができたのだが、周りの人をあんなに罵ることもなかろうに、と心配になるほど大騒ぎしていた。

1人のお爺さんはもうボケてしまっているのかどうなのか、ずっとひとり言を言いながら部屋の中の通路?を時計と反対周りにグルグルグルグル歩いて回っていた。それはとてもとてもゆっくりだったが止まることはなかった。そしてそれを止める人も特にはいなかった。

気はもちよう、と言うが、不思議なもので、病院着を着てコードをペタペタ体中に貼られ、管を繋がれてベッドに横たわっていると、俺も何だかとっても病人になった気になってしまった。自分で歩いて病院まで来た数時間前も決して健康人と思っていたわけではないが、すっかり病院特有の雰囲気に呑み込まれてしまったようだった。

手術は「運が良ければ昼過ぎに…」という話だったが、急患の関係でそれは実現しなかった。4時半を回ったところで手術は翌日ということが決まり、専用のベッド運び職人?さんによってベッドごとゴロゴロと個室に移動させられる。

そして生まれたとき(←記憶にない)以来となる、病院お泊りとなったのである。

『Westmead公立病院入院回顧録 ③』

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