自分の感受性くらい

装丁の美しい本が好きだ。

2冊目に紹介するのは、うっとりするほど素敵な装丁のこちら。

茨木のり子(詩)『おんなのことば』童話屋、1994年

この詩集は、童話屋の編集者、田中和雄氏たっての希望で編まれたようである。(詳しくは童話屋のHPをご覧になっていただきたい。)

童話屋の詩華集は文庫サイズの小さく美しいハードカバーで、一冊ずつ丁寧につくられている。『おんなのことば』は表紙もさることながら、折り返しの藤色や、ページごとにほどこされた色彩も美しい。

本書は表題作「おんなのことば」のほか、「自分の感受性くらい」「わたしが一番きれいだったとき」「汲む」といった代表作の数々が収録されている、なんとも豪華な詩集だ。

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて(「自分の感受性くらい」12頁)
わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった(「わたしが一番きれいだったとき」51頁)
<だいたいお母さんてものはさ しいん とちたとこがなくちゃいけないんだ> 名台詞を聴くものかな!(…)お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ(「みずうみ」36-7頁)

選び抜かれた言葉たちは、時に読み手に鋭く刃を向ける。彼女の力強い眼差しが、こちらまで見えてくるようだ。

茨木のり子の生き抜いた時代もまた、色濃く映し出されている。敗戦後の日本を生きなければならなかった人々の強さと苦しみを、否応なく感じる。

一方で、亡き夫の三浦安信氏に向けられた詩では、彼女の心のやわらかい部分もあらわれる。

早くわたしの心に橋を架けて 別の誰かにかけられないうちに わたし ためらわずにわたる あなたのところへ(「あほらしい唄」53頁)

前掲の詩とは対照的に、愛するただ一人へ向けられた詩であり、彼女のしずかで深い情熱を垣間見ることができる。

(ちなみに、この詩は同じ童話屋から出ている『わたくしたちの成就』にも収録されている。こちらは三浦安信氏への愛慕を綴った詩を集めた、茨木のり子の「相聞歌」集である。こちらも素晴らしかったので、気になる方はぜひご一読を。)

女性として、敗戦後の日本人として、そして一人の人間として、いったいどう生きるべきなのか。彼女は問いかけ続ける。

茨木のり子を隅々まで味わうには、ぴったりな1冊だ。

----------------------------------------

まさか、自分が詩集を読むようになるなんて、夢にも思わなかった。研究を細々と続けて、少なくとも気持ちはアカデミックな場所から離れずにいるつもりだった。

ところが、仕事でくたくたになり帰ってくると、学術書には手が伸びない。そのことにすごく罪悪感を持っていた時期もあったし、今も全くないといえば嘘になる。(とはいえ、以前より少しは読むようになった。)

かわりに、もっと自分の生活に寄り添うような、暮らすことや生きることに関する本をよく読むようになった。その一つが、茨木のり子の詩集だ。やはり、人は(物心問わず)なにかの必要に迫られて本を読むのだと改めて感じる。本は人の孤独と共にあるのかもしれない。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?