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中古の相棒

 昼過ぎ。予定より少し遅くはなってしまったけど、事務所へと到着した。
 主要鉄道路線の駅から徒歩十分程度のところにある、築年数古めの雑居ビル中層階。ここが今日から俺の新しい仕事場だ。机などはまだ手配していないため、ガランとした空間が広がる。しばらく人の出入りがなかったのか、細かい埃が窓から入る日差しに照らされて宙に浮かぶのが見える。
 少し室内の空気を入れ替えておくかと思い、アルミサッシの窓を開けたところで配送業者のトラックが視界に入ってきた。雑居ビルの前で停止したのを確認して、俺は左腕につけていたスマートウォッチをチラリと見る。
 時間通りの納品だった。


 配送業者のスタッフが慎重に運んできたのは、大きな大きな木製の輸送箱だった。木製と言っても表面は強化塗料がしっかりと施されているため、ちょっとやそっとの外的衝撃で壊れるということはないのだが。そしてその上からこれでもかというくらいに、コワレモノ注意の赤いステッカーが所狭しと貼られているのだった。
 そんな異様な見た目の箱が、事務所のど真ん中に鎮座している。
 スタッフが引き揚げていくのを見届けた俺は、事務所のドアを静かに閉めた。あらかじめ持参していた紙袋を手にして、俺は箱のそばでしゃがみ込んだ。箱の表面に設置されている小さなタッチパネルに向かって自身のスマートウォッチを近づけると、ピピピという小さな電子音が響く。
 カシャン、という音と共にタッチパネルは解錠完了という文字を点滅させた。
 とりあえず、上蓋を開けてみる。中には繭型の白い緩衝材が所狭しと詰められており、ある程度取り除かなければならなかった。掻き出した緩衝材が静電気の影響で手や服にくっつくのがもどかしい。内部固定用のパーツなども適宜取り払いつつ黙々と手を動かしていくと、それは見えてきた。
 軽く膝を抱え込んで横になる、目を閉じた人の頭部。やや色白で、短い黒髪の男性だ。でも厳密に、これは造り物であってヒトではない。
 第一印象は、思ったよりも若いという感じだろうか。人によっては未成年と見紛うかもしれないなと、俺はぼんやり思った。
 緩衝材を更に取り除いていくと、首から肩にかけた部分も見えてきた。一旦ここで足元に溜まった緩衝材やら固定パーツやらを一箇所にかき集め、そばに置いていた紙袋の中へ手をがさっと突っ込む。
 それから、小さな箱を一つ取り出した。手のひらに収まるサイズの箱を開けると、中にはこれまた小さな正方形のディスクが入っていた。金属製で人差し指の先に乗るくらいのサイズ。小さいそれを慎重に取り出してから、輸送箱の方へと改めて向き直る。
 確か耳の後ろに認識用センサーが取り付けられてるんだっけか。そんなことを考えながら、輸送箱の中で横たわるそれにディスクを近づける。
 センサーが認識したのか、ピーという短い電子音が一度だけ鳴り、ほんの少しだけ彼の瞼が震えた。
 閉じられていた瞼が、ゆっくりと開いていく。その様子を、俺は瞬きもせずに見守っていた。


 一ヶ月ほど前の話になる。
 前職を辞めた後、個人で新しく事業を立ち上げようと決めた俺は、仕事を手伝ってくれる相棒を探すことにした。そうして、いくつかの業者へ相談がてら連絡を取ることにしたのだ。
「……ああ、うちでは中古のアンドロイドも取り扱ってますけど」
 電話口にてやや疲れたような口調で話すその男性は、俺が三社目に選んだ業者だった。聞くと、以前はアンドロイドの大手製造メーカーに勤めていたのだという。メーカーでは開発事業部で数十年ほど勤めたそうだが、色々あって退職。後、新造及び中古アンドロイドを取り扱う個人事業を始め細々と続けているそうだ。
 最初こそ気怠げな態度だったその男性だったが、こちら側の細かい要望を出していくと希望に近いタイプをいくつか見繕って紹介してくれた。最近は男性モデルが何かと人気で売れ行きがよく、中古でもそこそこ良い値段で取引されることも少なくないのだそうだ。
 その中で彼が最後に紹介してくれたモデルは、等級Dクラスの中古男性アンドロイド。このクラスは市場でいわゆる、キズモノ、いわくつきと言われるものだった。
「周り回ってうちに来たんだけどね、このモデル。ちょっと気になって使用履歴を遡って調べてみたら、とある世界的な犯罪組織に一時期使われてたらしくて。アンドロイドの経歴って言ったらおかしいかもしれないけど、製造元だけじゃなくそういう過去の従事歴を気にする人って結構いるものなんだよ。その内容によっては買い手から避けられたりもするし」
 オプションなども加味した詳しい見積を出してもらい、俺は検討することにした。対象は三・四体の中古男性アンドロイド。
 これだ、と思う一体をその中から俺は選んで手続きを踏んだ。それが、約一週間前のことだった。


「おはよう、でいいのかな」
 目を開けた彼に向かって、俺は話しかける。
「……」
「あ、もしかして最初に言語設定しなきゃか」
 アンドロイドの初期設定作業はやることが多いと聞いていたけど、意思疎通のための使用言語が確定しないと元も子もない。俺は慌てて、紙袋から設定作業の内容が書かれたマニュアルの用紙を取り出した。
「えーっと、言語設定は……」
「日本語、で良いですか?」
「えっ?」
 突然の呼びかけに俺が驚いて手元から視線を上げると、彼はゆっくりと起き上がったところだった。低めではあるものの、凛としたよく通る声音だった。
「対象者の音声を自動で認識しました。現在は日本語が使用されていますが、そのまま第一言語として登録しますか?」
「あ、はい……」
「オプションで第二言語も登録できます」
「うーん、それはとりあえずパスで」
「了解です」
 頷いて、彼はそこで微笑んだ。話す口調は機械的な堅苦しさがなく、ヒトと遜色ない抑揚加減とスムーズさだった。
「工場出荷時の初期値に設定されているので、名前が登録されていません。今登録しますか?」
「名前……」
「スキップして後で決めてもいいですし、ランダム生成で設定することもできます」
「じゃあ、そうだな」
 俺は少しだけ考えて、こう言った。
「名前はマコ、にしようか」
「マコ、ですね。分かりました」
「俺の名前は、シューイチって言う。よろしく頼むよ。ああ、そういえば」
 俺は、そばにあった紙袋を片手で手繰り寄せる。
「これ。取り急ぎ、用意しといたから」
 マコに向かって手渡すと、彼は少し不思議そうな面持ちで紙袋の中を覗き込んだ。
「サイズが合ってるかどうかちょっと不安なんだけど、着てみてくれないか。それから、今後のこととか仕事の説明をする」
 俺が言うと、マコはちらと自分の体を見て目をぱちぱちさせた。
「あ、……服、着てなかったんですね、僕」
 ぽかんとしたマコの呟きを耳にしつつ、俺は窓を閉めるためにその場から立ち上がった。


 話し方も、歩く姿も、所作も、表情も、ヒトと比べて特にこれといった違和感などはない。服を着終えたマコを見て、そんなことを俺は思っていた。今のところ、動作も特に問題はなさそうだ。
 俺が昨日古着屋で適当に見繕ったパーカーやジーンズなどのサイズはマコの体型にやや大きめだったらしく、袖や裾が多少ダボついている。一方でスニーカーのサイズはぴったりだった。
「そういえば、充電は大丈夫なのか」
 ふと思い立って俺が尋ねると、マコはちょうど輸送箱の片隅から白い充電ケーブルを取り出したところだった。
「今は二十パーセント弱くらいの残量なんですけど、念のため充電がしたいです」
「電源はこっちにあるから、使ってくれ」
 俺は、やや薄汚れた壁に取り付けられているコンセントを指した。
 うなじ辺りにある接続口へ充電ケーブルを繋げたマコを座らせて、俺も隣に座った。
「早速だけど、俺から話をさせてもらう」
 俺が言うと、マコは静かに頷いた。
「端的に言って、俺の仕事は調査業だ。この事業自体を立ち上げたばっかりだから、まだ宣伝すらしてないし依頼も来てないんだけど」
 マコの方を見ながら俺は続ける。
「ここが事務所。基本的にはここで仕事をすることになる。状況によっては外出もあるから、それに付き添ってもらう機会も出てくると思う。あとは、この事務所へ相談や依頼に来るクライアントへの対応とかも発生する、かな」
「調査、というのはどういった物や分野が対象なんですか?」
「アンドロイドだよ。アンドロイド専門の調査業だ」
 俺は、静かに続ける。
「少し前の話になるけど……俺は元々警察にいた人間なんだ。捜査課の中で、アンドロイドを専門に取り扱う部署に在籍してた。新造や中古に関わらずアンドロイドに絡んだ事件は常にどこかで起きていて、その捜査のために俺は昼夜問わず色々な場所を飛び回ってた」
 マコは表情を変えることなく、まっすぐな眼差しでこちらの話す内容に聞き入っている。
「国内外の関連機関と連携して、捜査をいくつも行ってきたんだ。アンドロイドを違法に取引する犯罪は世間が思っているよりも多く発生しているし、それらを引き起こすのはなにも組織単位だけじゃなく個人で動くいわゆる単独犯パターンもある。最近は組織的犯行の事件が報道でたびたび派手に取り上げられるけど、実際のところはそれだけじゃあない」
 俺はそこで、視線を少しだけ外した。
「それで……個人が所有するアンドロイドが突然、姿を消す。最近、こういう事件が多いんだ」
「もしかして、一般で言うところの誘拐みたいなものですか。あるいは盗難とか」
「うーん、そうだなあ。誘拐というか、窃盗というか」
 マコの言葉を受けて、俺は応じながら何度か頷く。
「大規模メーカーによる大量生産が可能になったことでアンドロイドの単体価格もだいぶ下がったし、その結果個人での購入が容易になった。最近では、個人が廉価アンドロイドを所有することは珍しいことではなくなったしな」
 現に、俺もそうやってマコを迎えたわけだし。アンドロイドの需要増しに伴って、個人向けのローンや万が一の際の保険、購入時の税制優遇なんかも広く整備される世の中になった。
「必要とする人間の元にアンドロイドが行き渡る一方で、そのアンドロイドたちを陰からつけ狙う悪い奴らがいる。奴らの動機はさまざまだが、犯罪であることに違いはない」
 がらんとした事務所内を見渡しながら、俺は言う。遠くから緊急車両のサイレンが響いてくるのが聞こえた。
「で、姿を突然消したアンドロイドたちを探すための調査業を俺はこれから始めようとしてるってわけだ。警察といった公権力による捜査はもちろん日々行われているが、残念ながらそれでも常に全ての事件をカバー出来てるわけじゃない。地域によってはよりヘヴィな案件が立て続けに殺到して、表現は悪いが捜査を実質後回しにされてしまっている人達も相当数いる。何らかの理由があって被害届の提出を躊躇っている人たちも更に含めれば、実際にはかなりの被害数があるんじゃないかと思ってる」
「でも、シューイチさんはもう警察官ではないんですよね」
「その通り。これからは一民間人の立場だ。でも、そういう立場だからこそ見えてくる状況や事情っていうのもあると思うし、俺は何よりも困っている人達へ寄り添って力になりたい。……まあ、あとは」
 言って、俺はそこで言葉を少し区切った。思わず、ふっと軽い苦笑いが漏れる。
「俺はどうにも集団ってやつに馴染めなかったから、こっちの方がむしろ性に合ってるんだ。一匹狼タイプってやつだな。一応、馴染もうと努力はしたんだけど」
「そうなんですか」
 マコはそう言うと、視線をわずかに外して瞬きを一回した。
「そういう仕事をこれから始めるにあたって、相棒になってくれるお前を迎えたんだよ。今後、仕事を少しずつ任せていくことになるけど、どうかよろしく頼む」
 俺は、そう言いながら自分の右手を差し出した。
「はい。シューイチさんのお役に立てるように、僕も精一杯努めます」
 マコは微笑んで、俺の右手を握り返してくれた。過去、アンドロイドの人工皮膚に直接触れるのは職業柄何度も行ってきたことではあるけど、無駄にきめが細かく、少しひんやりとした感触には内心慣れない自分自身がいるのもまた事実。
 姿形はヒトそのもので、はっきりとした自我や個性も有しているけど、身体的組成や構造などは決定的にヒトと違う。アンドロイドとはそういう存在だ。


「それで、今日から調査業のお仕事は始めるんですか?」
 突然のマコからの問いに、俺は思わず面食らって何度か瞬きをしてしまった。
「いや、早速熱心に取り組んでくれるその姿勢はありがたいんだが……見ての通り、この事務所なんにも物がなくて寂しいだろ? 机とか椅子とか、応接用のソファとかさ。だから、まずはこの事務所の中に必要なものを買い揃えないといけないんだ」
「確かに。備品は必要ですね」
「マコの充電次第だけど、この後早速外に出てあれこれ探してみようかと思う。どうだ?」
「いいですね! あ、充電はもう完了してますから僕は動けますよ」
「ならよかった」
「高速充電が売りというのもありますから、僕のモデルは」
 言って、マコは片手で充電コードを外す。その際、マコのうなじがちらりと見えた。毛先に少し隠れている接続口周辺にあった、黒っぽいシミのようなもの。俺はそれに目を引かれた。
 約一ヶ月前に業者から、等級Dクラスとだけ聞いた時点でまさかという予感は抱いていたけど、ああやっぱりそうなんだなと俺はここで合点が行った。捜査官と事件被害者という立場で、俺とマコは過去に顔を合わせていたのだ、と。両手に汗が少しだけじわりと滲むのが分かる。
 俺が捜査課に配属されて初めて事件捜査に参加した時、現場で発見された高性能アンドロイドがマコだった。でも今とは少し違う容姿で、今とは違う名前と識別ロットと人格プログラムだったのだが。
 マコはその時、反応も返事も出来ない状態の被害者という立場だった。体のあちこちが汚れたり傷ついたりしていて、特に接続口近くは過電流のせいか焼け焦げた跡が生々しく付いていたのを今でもはっきりと思い出すことができる。今俺が目にした跡とほぼ一致するのだった。
 そして、その跡はどうやら本体修復作業でも完全にカバーが出来なかったのだと思われる。
 これも運命の巡り合わせってやつなんだろうか。俺の見えないところで、知らないところで不思議な力が作用でもしてるんだろうか。あるいは、誰かの意図が絡んだ差金か。そんな考えを俺は頭の中で巡らせてしまう。
「シューイチさん、じゃあ行きましょうか」
「あ、ああ。そうだな」
 先に立ち上がったマコから呼びかけられ、手を差し出された。マコのまっすぐな視線にほんの一瞬だけ逡巡するも、俺はその手を取る。
 名前も識別ロットも人格プログラムも全く違う存在として俺の目の前にいるマコに、被害者だった当時の記憶は無い。規定上は記憶メモリから記憶が完全削除されているため、無いはずだ。つまり俺からマコへ昔の話をしたところで、記憶の無い彼にはきっと関係の無い話である。
 昔のことはひとまず置いた上で、マコという独立した一体のアンドロイドと向き合わなくてはならない。俺はマコの手を握りながらも内心、自身へそう言い聞かせるだけで精一杯なのだった。

(了)

著者あとがき:
こちらの短編は「仮)ヒト型たちの足跡」というシリーズの一環で書いた作品となります。頭の中にある世界観やアイディアを整理する目的で書いた読み切り短編です。

今から遠くはない未来を舞台に、ヒトとアンドロイドたちのふれあいやそこから起きる葛藤などを描いたSF(少しふしぎな)作品集を今後書いて本にしたいと考えています。時間はかかるかもしれませんが、地道に取り組んでいきたいと思います。

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