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青木保氏の『多文化世界』1

以下は、私が読み始めた青木 保氏の『多文化世界』の序章を読んで、思ったことをまとめたものです。メモしてたものをそのままコピーしてるので、常態にはなっていますが、私の考えも記載してあるのでぜひ読んでみてください。


・同時多発テロが露呈させたもの
 当時世界はグローバル化という形で画一化していく、あるいは一様になっていくと思われていた。一方で、オサマ=ビンラディン率いたイスラム教徒達のように、グローバル化そのものを抑圧として考え、その抑圧に対して反発を強く感じ、自爆テロも辞さないような世界も存在する。これだけ見ると、イスラム教徒達はなんて非道なんだと思うかもしれないが、もしかしたら彼らの考えがわからないでもないかもしれない。
 筆者はこの事件で、グローバル化を進める、現代の科学技術の粋をこらしたような文明の社会と、そういった技術の恩恵が行き届いていないアフガニスタンやパキスタンなどの社会との格差を垣間見た。恩恵の外にあり、自分達の価値を守ろうとする文化の世界が、グローバル化を推し進める世界(アメリカ)に対し抵抗した結果テロという事件となって現れた。

・思ったこと 
 グローバル化は必ずしも、すべての国家・国にとって良いものとは限らない。中にはグローバル化してしまうことで、自分達の価値が抑圧されてしまうかもしれないと考える国家だって存在する。
 同時多発テロ時代アメリカが目指していた「グローバル化」とは現代の「グローバル」とは意味が違った。色んな人間が異なる地域に住み異なる文化を持ち、それぞれ違った価値の世界に生きていることを無視して、世界を一つのシステムにしてしまえば便利だろうという考え方だった。私はこれを「何を言っているんだ」と頭ごなしに否定した。私は、すべての国と国家が国際社会化すれば何となくいろんな人にとって良いことだろうと思っていた。しかしすべての国家が一様に単に国際社会化するということは、アメリカの目指した「グローバル化」、すなわち世界が単純に同じシステムを取るようになることと同じことのように思えた。世界が画一化・一様化するということは同時に、独自の文化を消滅させてしまうようなことだ。これは私が一番危惧することであるにも関わらず。私は頭ごなしに否定したアメリカの考えと結局同じことを言っていたのかもしれない。
 オサマ=ビンラディン率いるイスラム教徒がしたことは許されることではない。しかし一方で彼らは彼らなりの考え・価値観・文化を持っていた。アメリカが、世界の同一システム化を図ったのは確かに文化の抑圧と言え、それに抵抗したかったというイスラム教徒達の言い分も今となっては大いに理解できる。信仰の内容がどうであれ、彼らはそれを自分達の信念として生きているため、他者がどうこう指摘していいものでは本来ないはずだ。文化として成立している以上認めなければならない。
 もう一度「グローバル化」や「国際社会化」といったことばは何を意味するのか。そこから考え直さなければならないのかもしれない。だからこそあえて「国際社会化」を目指すではなく、「多文化共生」を私は目指す。


文が長くなってしまって申し訳ありません。しかし、なるほどそういう見方も出来るのかと思われたのではないでしょうか。必ずしも国際社会化することが、すべての国にとって良いこととは限らないのです。国際社会化することは一見とても良い事のように感じますが、方法を誤ると凄惨なテロを起こしうるほどの力を持っているのですね。

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