愛を知る者と愛に気づく者


「僕、幸せってなんなのか今の今まで知りませんでした」

と、祖母の葬儀での祖父の挨拶。
未だにこんな叙情的な別れの言葉を私は知らない。
とても不器用で、とても美しいと思った。

更にこう続けた。
「文句を言い合いながらも人生最後の瞬間まで僕の妻でいてくれた事、一緒に過ごした時間全てが今思えば幸せだっんだと今更ながらに気付きました」

その一年後には後に続くように祖父も天国へと旅立った。

祖母は愛を知る人だった。
おそらく祖母が彼女じゃなかったら、
私の生まれ育った環境で愛される事も人を愛する事の感覚をインストールする事は出来なかっただろう。

一方祖父は愛に気づく事が出来た人だ。
そして祖父が彼じゃなかったら、
当たり前の日常が当たり前じゃなく繰り返されていく普遍が幸せだと言う事に気付けずにいただろう。


以前の投稿でも書いたように、
私は多感な時期に両親ではなく祖父母に育てて貰った過去がある。
当時の私は両親との間の溝を埋められず、幼いながらに愛情とはなんなんだろうと考える様な子供だった。

もちろん祖父母は私を愛してくれたし、
沢山甘える事が出来た。
それでもそれを幸せだと気付き、知らず知らずに人を愛するとはどんな事なのかを知ったのは祖母が死の間際に残した最後の手紙がきっかけだった。

それは病室の引き出しにしまってあったものを葬儀の後に叔父から手渡された。

そこに記されていた言葉の一編一編が私には優しくて心地よい痛みを残した。

"今まで大変だったね。きっとこれからも大変だと思う。でもお前は今までもこれからも必ず越えられる。"

"ばあちゃんは、お前が笑って生きててくれたらそれでいい"

"お前はとっても強い子だけど、我慢し過ぎる癖は直しなさい。時々は甘えて、いつか大事な人が出来たら甘えさせてやれる男になりなさい。"

"恩は着せるな、己で着なさい。"

こんなのさ、ズルいよね。

最後の最後まで私は"親孝行"な男ではなかったから、最期の約束だけは守りたかった。

"泣かない"って。

「ばあちゃんが死んだ時、お前だけは笑って見送ってくれ」

だから泣かなかった。
でもその手紙を読んだ時だけはひたすら泣いた。

そして一生をかけて、例えそうなれなくても手紙に書かれていたような男になろうと心に決めた。

祖父が言っていた様に、失う前に今ある幸せに気づく事ができる人でいたいと思った。

あれからいくつかの季節が巡って、
沢山の出会いと別れがあった。
その中で様々な経験をし、色々な感情を知った。
未だに上手く生きれている自信はないけど、
少しはあの頃なりたいと願った自分に近づいている気がしている。


私にもようやくこの先の人生を賭け、今までの全てを糧に愛したいと思える人が出来た。
まだ長いと言える時間を過ごしたわけではないが、ここに来るまですれ違いもあった様に思う。
だけど今こうして側で一緒に未来を見れる事が私には幸せなのだ。
どんな事をしても守りたいと思える人と出会えた事が、嬉しくてたまらないのだ。

だから私は祖父母が残してくれた言葉をまた心に刻み、生きて行こうと思う。


今回の記事に関しては私の言葉ではなく、祖父母が残した最期の言葉がこれを読んでいる誰かの背中を押してくれる事を切に願っている。

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