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リモラン小説 今日キミに、話したいことがあるんだ

2020.6.2

今日は嫌な気分だ。

何が嫌ってこの満員電車だ。ソーシャルディスタンスとは何なのか。


今日は自粛生活あけて出勤2日目。昨日こそ気にならなかったが、いつも使う帰りの埼京線の混みようは、久々の出勤で疲れた体には殊更大きなストレスだった。

以前はそんなこと考えなかった。いや考えてはいたのだろうが、今日ほど気にはならなかった。毎日毎日溢れんばかりの人がひしめくこのホームから満員電車に乗り続けるうちに、知らず体が適応してしまっていたようだ。

ところがコロナ禍で俺の会社もリモートワークを取り入れ、毎日通勤する必要がなくなった。会社のVPNに接続する必要があるので、PCを立ち上げる時間は変わらなかった。それでも片道40分かかる通勤時間の分だけ睡眠時間も増えた。この数週間でリモートワークにも慣れ、自室で毎日作業していた俺は、新卒の時に感じていた「満員電車への嫌悪感」を今更ながら思い出してしまった。


嫌な気分を引きずったまま駅を出、やっと家にたどり着く。

余談だが今の自宅の立地は気に入っている。渋谷から快速で40分という距離感は近すぎず遠すぎず、都会の喧騒とも適度に離れて住みやすい。

家に入ると余計に疲れと嫌な気分が増したように感じる。日中閉め切られていた部屋特有の、むわっとした室内の空気もそれに拍車をかける。

ジャケットを脱ぎ、窓を開ける。涼やかな風が俺を通り過ぎ、室内に入ってくる。ベランダに出た俺は、そのままタバコに火をつけて深く息を吸い込んだ。

ふぅ。

幾度となく吸っているタバコも、今日はどこか苦々しい。まあ嫌な気分の時はそんなもんだろう。

よくない。

このままだと嫌な気分のまま眠りにつき、嫌な気分のまま目覚めることになる。そしてベッドの上であの満員電車を想像し、最悪な一日の始まりとなってしまう。

「シャワー浴びるか。」

誰もいない部屋で誰にでもない言葉をつぶやき、熱いシャワーを浴びることにする。洗面所にある溜まった洗濯ものが目に入る。そういえば最近洗濯してなかったな、と思う。

とりあえず全自動洗濯機に来ていたシャツと溜まっていた衣類を放り込み、スイッチを入れた後で風呂場に入る。浴槽につかる機会が減っていることに気が付くが、まあいいかと蛇口をひねって熱い湯を浴びる。身体を洗い終わるころには幾分気持ちもスッキリしたような気がする。

熱いシャワーの後はビールと相場が決まっている。冷蔵庫から缶ビールを取り出してプルタブを引き空ける。プシュ。いつ聞いても子気味いい音だ。シャワーで乾いた喉にビールを流し込む。一瞬痛みともとれる爽快感が喉を通ると、すぐに心地よさに変わっていく。ビールは何よりひとくち目が一番うまい。


さて。

どうしようか。あいにく今日は火曜日。水曜日のダウンタウンも、アメトーークもまだ録画できていない。とはいえ、ガイアの夜明けの気分でもない。

スマホを手に取る。だいぶ薄らいではいたが、いや薄らいでいたからこそ、帰宅時の満員電車に感じた嫌な気分を、だれかと共有しておきたかった。

かといってこんな時間に電話するのもなあ。それもこんな話題で。

電話帳を開いたあたりで気が咎める。くだらないと言えばくだらない。Twitterにでも書くか。電話帳をタスクキルしてTwitterを開く。

ふと見覚えのないアカウントの呟きが目に入る。

「今日キミに/話したいことがあるんだ」

いったいどいういう意味だろう?

プロフィールを見てみる。どうやらオンラインキャバクラのアカウントのようだ。そうか、話したいことを聞いてくれるキャストが居ますよ、とそういうことか。

オンラインキャバクラ自体は聞き覚えがあった。自粛期間中に流行っていると、誰かのツイートで見たことがあった。

元来俺は夜の街に積極的に繰り出す方ではない。月に1度あるかないかの取引先との接待や、別の会社に勤める友達と飲むときなどに、たまに行く程度だ。というのも住んでる場所が都会の繁華街から離れているため、帰りのタクシー料金が高額になること必至なのだ。また性格的なものだろうか、夜の街特有のあのギラギラした感じがどうも好きになれないということもあった。

前回オンラインキャバクラというものを知ったときはそんなに惹かれなかったが、今日の気分にはピッタリなのかもしれない。よくよく見るとオンラインキャバクラではなくオンラインラウンジというらしい。これまた聞いたことあるラウンジという言葉だが、縁なく今まで足を運んだことはない。なにやら麻布界隈にある素人風のキャバクラという認識があるのみだ。

ますますいいじゃないか。素人風なら夜の街が苦手な自分でも楽しめるかもしれない。

ホームページを見る。言われてみればどこかキャバクラ嬢とは違った女性の画像が並んでいる。値段も手ごろだ。公式LINEを追加し、恐る恐るLINEしてみる。返答は早く、誘導される。

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されるがままクレジットカードで購入を済ます。ほどなくURLが送られてくる。なるほど、こういう仕組みか。


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勢いで始めてみたものの、気が付けばもう女性と話す直前まで来ている。このURLを押せば画面の向こうに「誰か」が現れ、今日の嫌な気分を吹き飛ばす会話が繰り広げられるのかもしれない。

開けた窓から吹き込む風が、ビールで火照った頬を撫でる。シャワー上がりの火照りとは違う、言うならば内から感じられる火照りに今日の風は気持ちがいい。

早いもので1時間、しっかり話し込んでしまった。はじめこそ今日の嫌な気持ちを共有してもらおう、と意気込んではみたが、画面越しの彼女と話すうちにそんなことはどうでもよくなってしまっていた。とりとめのない会話が画面越しに応酬する、テレビ会議で使い慣れたzoomにこうした利用法もあったのかと、いまだ新鮮な驚きを感じ続けている。

気が付けば濡れた髪も湿った程度になっていた。ベランダに出てタバコに火をつける。1時間前とは違うタバコの味を楽しんでいる自分が居る。

これで大丈夫だ。

ソファーに座り直し、3本目の缶にわずかに残ったビールを飲み干す。明日もきっといい日になる。そんな予感がする。

いつの間にか横になっていた。ああ髪乾かさないと、と思うより先に瞼は閉じられ、涼やかな風と穏やかな眠りが俺を迎え入れてくれる。

洗面所の全自動洗濯機の中では、乾いたタオルとシャツが取り出されるの静かに待っている。



※この小説はフィクションです。

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