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書く事は過去と未来に想いを馳せること

よく親孝行をしなくては。と耳にする。
親が生きているうちにたくさん親孝行しなくてはとか。わたしもそう思っていた。だから父がわたしが24歳の時に亡くなった時に愕然としてしまった。何も親孝行できていなかったのに。と。

父が亡くなって数年後、第一子が産まれた。
子供がまだ2歳の時、何かいけないことをしたので、夫が叱った。そうしたら顔をクシャクシャにして泣き始めた。その顔があまりにも可愛いくて、夫もわたしも参ってしまった。夫は可愛すぎて怒れない〜と優しく子供を抱きしめた。あの時の愛しさは今でも忘れられない。

その後2人目が生まれて上の子3歳、下の子1歳の時に子供達を保育園に預けて復職した。
保育園は家から歩いて15分くらいかかるところで坂道もある。2人を乗せて自転車に乗ることが怖かったので、毎日下の子はベビーカーに載せて上の子は歩かせた。ある日保育園の帰り道、急な坂をベビーカーを押して歩いていたわたしは疲れすぎて動けなくなって止まってしまった。そしたら上の子が、「ママ、お家に帰ったらごはん食べて、お風呂入って、一緒にねんねしようね〜」と優しく声をかけてくれた。なんて愛おしいんだろう。わたしは「うん、そうだね。あと少し頑張ろうね」と言ってまた歩き始めた。

小さな子供達にどれだけ助けられたか、他にもたくさん思い出がある。仕事で辛い時も、可愛い子供達がいてくれたから耐えられた。むしろ、こんなに幸せ過ぎるから辛いことがあっても仕方ないとさえ思えた。子供は3歳までに一生分の親孝行を終えると言うけれどその通りだと思う。
どんなに幸せな時間を与えてくれていたか。
今では思春期になって憎まれ口をたたくようになってもやっぱり愛おしい。親はきっとみんな同じように感じているのではないかと思う。

そこでふと、思った。父にもきっと親孝行ができていたのではないか。子供好きな父はいつもわたし達姉妹を可愛がってくれた。わたし達を撮った数々の写真からそれが滲み出ている。
自分が親になって初めてその事に気づいた時、心が少し軽くなった。なーんだ、ちゃんと親孝行出来ていたんだ。だから後悔し過ぎることはないんだ。きっと父も天国で頷いてくれているに違いない。

こうやって文章にすると改めて自分や親の気持ちを知ることができる。書くことは話すことと一緒だとつくづく感じる。文章にしなければ気づけなかった思いもたくさんあるはずだ。
だからこれからも書き続けていきたい。
人を知るために。自分を知るために。
過去や未来、様々なことに思いを馳せることができるように。

#エッセイ部門

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