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誕生日おめでとう

先日息子が3歳になった。
3年前の今頃、私は絶望を抱えながら1人病室で泣いていた。
きっと私が思い詰めてると察した夫が、退院まで毎日面会に来てくれたあの優しさはずっと忘れない。

息子は新生児一過性多呼吸で、産まれた直後にNICUに運ばれていった。
産声はあげたものの、その直後にゲホゲホしだし、あっという間に顔が紫色になった。あの時の恐怖は今でもよく覚えている。
産まれてすぐ、2秒だけ私の胸元におかれた息子はそのあと1ヶ月弱NICUだった。
つまり、新生児期はほとんど一緒に過ごしていない。

酸素濃度の都合で保育器に手を入れて触れることもできず、私は決まった時間に搾乳をしてそれを助産師さんに渡すだけ。
午後に30分ほど面会できる時間があったけど、ガラス越しに見るだけ。
我が子は管まみれで、顔がよく見えなかった。
どっちに似ているのか、どんな顔なのか、はっきりわからなかった。

私だけ先に退院し、毎日病院に冷凍母乳を届けた。
思ったより裂けた股は激痛だし、ガチガチの胸は痛くてたまらないし、あちこちガタガタで歩くのもやっとだったけど、毎日ちゃんと母乳を届けた。
私にできることが、それしかなかったから。

私が悪いわけではないこと、たまたま起こってしまったこと、後遺症はないと説明されても、自分を責めるしかなかった。
元々体力がなくて、微弱陣痛になってしまったからか?産むまでにかなり時間をかけてしまったせいか?産前医者の指示は守ったけど服薬をしていたせいか?
息子を産む前は『そういえば退院する頃は24時間テレビの頃か』なんて思っていた。
私はその年、自室で1人24時間テレビを垂れ流して呆然としていた。惨めだった。

毎日病院に母乳を届け、少しだけ保育器越しに息子を見せてもらうたびに、死ぬほど願った。
元気になって早く帰ってきて欲しい、この先どうか元気に暮らして欲しい、それ以上は望まないから、早く私の腕の中に返して欲しい。
病院の授乳室で丁度同時期に出産をしたであろう人が四苦八苦しながら子どもを抱いておっぱいをあげてる姿を見るだけで猛烈に悲しく、恨めしくなって、そんな自分が惨めで嫌で、泣きながら家に帰った。

『◯日に退院できそうです』
という、医者の言葉が2度、3度かわり、息子の退院が伸びるたびに、やり場のない怒りと悲しみで心が壊れそうになった。まだ数値が安定しない、昨日までよかったけどやっぱりだめ、と言われるたびにいちいち落胆して、わーわー泣いた。

そんな息子も3歳を迎えることができた。
あれ以来特に大きな風邪をひくこともほぼなく、元気に過ごしている。
発達に関しては今までの記載通りASDグレーゾーン疑いということで、言語面に関して特に遅く、食に対しての興味も乏しい。
でも、3年前…2年前、去年の息子と比べたら、とても成長しているし、出来ることだってたくさん増えた。
とても甘えん坊でちょっと困ることもあるけれど、いつもニコニコしながら私の後ろをついてくる姿はとても可愛いものだ。

他の家の誰かとか、一般的な定型発達児と比べると『あっ…』と複雑な気持ちになることもあるんだけど、以前よりできることが増えたこと、スローペースでも彼なりに成長していることを思えば大進歩である。

私は息子の良きサポーター、いつでも安心して帰ってこれる居場所になれますように。

3歳の誕生日おめでとう、君は君のままで、のびのび自由に、楽しく生きてほしい。

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