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見送る側が感じる特有のさみしさ

別れの季節でもあり出会いの季節でもある春がやってきますね。転勤族にとっても、春は大移動の季節です。

引っ越しはまさに別れと出会いの元凶で、親しくなった人とのお別れは寂しく悲しい。

引っ越しして行く側とそれを見送る側のどちらにも寂しさがあるのだけれど、その性質って両者でけっこう違うなと感じてきました。

ここ数年、友達を見送ることが多かったわたしがその違いを掘り下げていきます。

この春に友達が引っ越していってしまう方の気持ちの整理をつけるお手伝いができるといいな。

特に、子どもが友達と別れてしまう場合にどう寄り添ったらいいのかな、と考えている親御さんのお役にたてますように。

※同じ内容を音声でもお楽しみいただけます。


日常が変わるか、変わらないか

引っ越していく側は日常がガラッと変わります。

だから、新しい生活に対する不安があったり、期待する部分もあったりといろんな感情が混ざっている。

いざ新しい生活が始まってしまえば、それに慣れるのに必死な毎日。その忙しさに、寂しさがまぎれてしまうところがありますね。

寂しさを長く感じているというよりも、ふとした時に寂しい気持ちや孤独感がぎゅっとおそってくる感じ。
濃縮された寂しさを、暮らしの中でスポット的に感じています。

それに対して見送る側は、今までの日常が変わらずに続いていくんです。

いつもと同じ景色で、いつもと同じ生活が続いていくので、そこにお友達の存在がないというのがすごく目立つんですよ。

いつもはこの道を一緒に学校に行ってたのになぁとか、この日はいつも一緒に遊んでたのになとか。

事あるごとに友達の不在を感じています。
日常生活にぽっかり穴が開いた感じかな。

引っ越しをしていった側と比べると、寂しさを感じる場面が多いと思うんです。

寂しさをどう埋めていくのか

寂しさをどう埋めるか、これは時間が解決するとしか言いようがないです。

できることといえば、寂しさとどう向き合っていくかってことかな。

大人同士だったら、今はスマホがあるからLINEを送り合ったり、通話をしたり、顔を見ながらお話をするっていうことが簡単にできます。

子どもの場合、幼稚園児~小学校低学年ならお手紙のやり取りはよくさせますね。
子どものお友達の親御さんとも仲がよければ、 LINE でメッセージを送りあったり、写真や動画などでのやり取りもできる。

ただね。
引っ越しで離れても友情を続けていく方法はたくさんあるんだけど、それでも日常生活の中にいないっていう寂しさを埋めるのはなかなか難しいなと感じています。

もちろん友情は続けていけるんだけど、日常的に一緒に時を過ごすことはできないんだもの。

そこのところが、けっこう胸に響くものがあるなと思っています。


だから子どもの友達が引っ越しをして行ってしまった場合、連絡を取りあって友情を続ける方法があるよと教えてあげるほかに、空いてしまった穴を何か別の方法で楽しく過ごそうと導いてあげるのも必要だと思う。

寂しさに注目しすぎないで済むように。

そうこうしているうちに、だんだんと寂しさが薄れていきます。

日常は続いていきつつも、また新たに仲良しのお友達ができたり、別の生活リズムができてきたりとかして、だんだんと。

別れのタイミングも大事

卒園や卒業のタイミングなど、自分も新しい生活が始まるっていうような場面でのお別れであればそんなに心配しなくても大丈夫かな。

自分も新しい生活に慣れていかなくちゃって、気が紛れるから。
寂しさがやわらぐというか、気持ちがそこだけに向かないようになるから。

そうではない場合、例えば同じように幼稚園に行き続けるとか小学校に行き続ける中でのお別れだと、生活に劇的な変化がないのでお友達の不在が目立ちます。

寂しい気持ちが大きく目立ってしまう。

そういう状況で感じる友達の不在って大人でもけっこう堪えるものなので、子どもの場合は気にかけてフォローしてあげたいですね。

別れは悲しいけれど新たな友情の形を育めるよと励ましつつ、他に目を向けられるものを一緒に探しつつ、時間が解決するのを見守ってあげられるといいなと思っています。


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