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「マイクロ・エディッティング」という思想

こんにちは。
アーキテクチャーフォトの後藤です。

今日はあまりまとまった話ではないのですが、自分の中で整理する為に色々と書いてみようと思いましてノートPCに向かっています。

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約20年前、ネット上には、建築のメディアはほぼ存在していませんでした。ネットの存在に可能性を感じた数少ない建築関係者が、自分のポートフォリオサイトを立ち上げたり、掲示板を設置し、内輪で議論をするなどが行われていた時代です。

当時、もちろんスマホも存在していませんでしたし、接続時間に応じて課金される仕組みでしたので(深夜のテレホーダイという仕組みは貴重だった!)、2018年現在のような常時接続が当たり前、という状態は想像ができませんでした。

そんな時代に、ネットに感激し、可能性を感じ、自身のウェブサイトを立ち上げ始めました。それは趣味的なもので、自己満足的なものでしかなく、いわゆる黒歴史といってもいいものでしたが、それはぼくにとってなくてはならない時間でした。

そして、約10年前、そのネットでの試行錯誤はアーキテクチャーフォトという名前を与えられ、建築ウェブメディアとして出発を始めます。このころを振り返ると、dezeenが始まったり、designboomは「カット&ペースト ブログ」と称し、その名の通り、ウェブ上の画像をコピペで収集し発信するという、スタイルで運営されていた時代でした。

恩師でもある、岡田先生のdezain.netは、日本国内での先進的事例でぼくも大いに影響を受けました。岡田先生のdezainは、時代に合わせてそのスタイルを変え続けることが僕にとって印象的ですが、僕にとっては、岡田先生が個人で運営していた、テキストリンクに、簡易的な説明が加えられているスタイルの時代が最も印象的に残っていて、それがまた最も良かったスタイルなのではないか、とも思ったりします。その後dezainは、より記事へのアクセスを短縮する方法などを模索し始めると共に、簡易的な説明文がカットされるなどの変化が見られます。

話がそれましたね。その10年前、建築系ウェブメディアが、現在ほど多くの人に参照されるとは、当事者であるぼくも思っていなかったし、周りの誰しもが思っていなかったと回顧されます。誰もそれをやろうとしていなかった。

弊著でも書きましたが、ぼくにとって出来ることは限られていました。地方に在住していて、設計事務所での仕事の空き時間にできること、場所の制約なくできること、学生時代建築を勉強していたこと、ネットに可能性を感じていたこと、それらの組み合わせでできることは、ネットを使ったメディアの設立しかなかったのです。

それくらい限られた選択肢の中での出発でした。

そして、建築家の世界には今も昔も王道として存在しているのは『新建築』誌です。設計をしていたぼくも、皆さんと同じで将来、設計した建築物が新建築に載ることを夢見ていました。

だから、ぼくは、建築ウェブメディアを立ち上げるという事には正直、つよい決断というか意思が必要でした。
ぼくは現在のようなネットの普及に関して想像が及んでいませんでしたが、ぼくがやろうとしている建築メディアの立ち上げというのは、少なからず、新建築誌と競合することになってしまうという意識がありました。(これは、新建築さんからすれば、鼻で笑ってしまう話なのかもしれませんが、新建築に載ることを夢見ていた僕からすれば、凄く大きなことでした。)これ(アーキテクチャーフォト)を立ち上げたら、恐らく、建築家として新建築誌に載ることは今後一切ないだろうと、当時考えていました。
別のジャンルで活動されている方にはわかりにくいかもしれませんが、それは、日本で建築を志す若者にとって大きな決断だったのです。

(余談として、弊著を刊行した時に、新建築住宅特集が、書評コーナーで取り上げてくれました。これはすごく嬉しかったです。と共に、新建築さんの懐の深さと、余裕を感じると共に、もっとぼくも頑張らなくてはいけないなあとも思いました。)

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そんな決断から始まったアーキテクチャーフォトも10年がたち、ネット上の世界を見てみると、ずいぶん建築系のメディアが増えているという事にも気が付きました。twitterを活用して建築情報を発信するアカウント、ソーシャルブックマークのようなスタイルで建築情報を発信するメディア、イベントに特化したメディア、、、。様々な建築メディアがあふれ出しています。

そういう状況を見ると状況がかわったなあと感慨深く思うととともに、いつの間にか、背中を追われている立場になったのかなとも思います。これまでの10年間ぼくは、常に紙媒体の背中を追うような気分でいたなあと回顧します。常に、ウェブで紙に負けない面白い情報を見つけようとか、紙より先に情報を発信したい、というような考えがそこにあったような気がします。

それがいつの間にか、背中を追われるような時代になった。そこには、もちろん焦りのようなものもありますが、様々なメディアの性質や特質を見ていると、自分がやりたいことや、強みが相対化されるというメリットもあるのだなあ、と最近思っていました。

その中で、ぼくの考え方は、どちらかというと王道的なのだなとも自覚しました。つまり、建築において作品を中心に扱いたいと考えていて、建築の良し悪しは多数決ではなく、誰かが意味を見出すという側面を、完ぺきではないにしろ信じている側面があることに気づかされました。(それは作品を中心に据えアーカイブしていくという視点では新建築的でもあり、王道のように思えます。)

アーキテクチャーフォトを運営していて、そのアクセス解析を一週間ごとにログをとっていると、話題を集めやすいトピックの傾向が見えてきます。やはり近年作品単体が話題を集めるというより、建築家・識者による有益な発言が注目されることがおおくなっているような気がします。(特にnoizの豊田さんの目の覚めるようなツイートは凄く注目を集めた記録が残っています。)
藤村さんをはじめ、教育に携わる建築家の多くが、学生が、建築家・建築作品に興味を持たなくなっている、という発言を見続けてきましたが、ぼくもアーキテクチャーフォトというメディアを通して同じことを感じてきています。

そんな時代の変化を感じつつも、ぼくは作品を見て、そこに込められた建築家の思想や意思を想像することが大好きですし、それが建築という分野に身を置くことの楽しみでもあると感じています。それがあるからこの活動をやっていけている。そう思うと、ぼくは、作品を見るという事の意味を、これから活躍するであろう若い建築関係者の皆さんに伝えていかなければいけないなあとも思うのです。もちろん、同時並行的に、若い方々が興味のあることも尊重し、それに合った情報もピックしていきたいと考えています。

今年、サイト開設約10年という節目の年に本を出版することができました。『建築家のためのウェブ発信講義』という書籍です。

弊サイトの読者の皆さんにも興味を持っていただき、発売約一週間で重版が掛かったりと色々な方に購入していただき、また本書に触発されて、ウェブ発信を始めたという方にも実際にお会いして、本を書いてよかったなと実感できる出来事が多々ありました。学芸出版の皆さんと、尽力してくださった編集の岩切さんには本当に感謝しています。ありがとうございます。

紙の本を書くという経験はとても面白くて、僕自身は編集者と名乗っているのですが、独学でしかもウェブをベースとして活動しているので、紙の編集者が行う仕事とはこのようなものなのか、ということを執筆過程で、作家の立場から経験することができました。文章の校正や資料の手配等、プロフェッショナルな仕事を感じると共に、僕自身編集者と名乗ることは間違ってはいないけど、同じ編集者ではないなあとも、正直感じました。

そして、ぼくが10年間の建築ウェブメディアで行ってきたことは、旧来ながらの編集という概念とは異なることなのではないか。という考えが生まれ、その考えがぼくの頭の中にずっと居座るようになりました。

サイトをご覧くださっているかたなら想像ができると思いますが、アーキテクチャーフォトの記事はかなり即物的、というかドライです。一見すると、ウェブ上にある情報をそのままリンクを張っているだけとみることもできるでしょう。そのように見えている方には、僕がやっていることは不労所得を得ているようにも見えるようです(笑)。

どう見られていてもいいのですが、客観的にそのようにみられるという事には学びはあると思ってて、つまり、「とくに何も手をかけていない」というように見えているのだなあと。

しかし、それは、こちらの意図している部分でもあるのです。メディアというのは、公平公正であることと同時に(完全にという事は難しいと思いますが目指す意思が大事)、公平公正にみえる、ことも大事だと思っています(事実と見え方は一致しないこともある)。

だからこそ、信頼を得られるし、閲覧してもらえるのだと思っています。

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先にも書きました、ウェブメディア飽和状態の時代に、ぼくが自身の活動をどう差別化できるか考えたのか書いてみたいと思います。またそれこそが、ぼくが建築メディアを10年続けていく中で得られた知見でもあり、手法でもあり、思想でもあると考えています。

大きく3つ、ぼくがアーキテクチャーフォトという建築系ウェブメディアで独自に行っているのではと思うポイントがあります。

①短いテキストの中の単語の順番とセレクトに注力し意図を込める。

これは、SNSが普及したことにより求められるようになった気がします。twitterでいえば、140文字という制限がありますし、アーキテクチャーフォトでは、SNSに記事のタイトルを配信する仕組みをとっていたので、写真が掲載されていない場合、単語の組み合わせからの想像で、その先を見てみたいと思ってもらう必要がありました。

②記事の本文で、細かいリンクを張り巡らせることで、ネットワークを構築する

リンク記事に関しては、本文で追加情報を補足することも多いのですが、関連するページや過去の関連情報をリンク形式で紐づけることを意図しています。というのは、ウェブ上にはそれ単体で閲覧するほどに十分な情報が公開されているわけではないからです。
しかし、その情報を核として、それにまつわるページをいくつか紐づけていくと、その記事に関する知識や知見が深められる小さなまとめサイトのようなものを作ることができるのではと思っています。

③文章はできるだけ、事実をそのままつたえるように下記、意図は最小限に表現する

これは、最初に書いた公平性とも関連してきますが、自分が伝えたいことというのは、大きく主張するよりも、最小限にしてさりげなく置いておくくらいの方が、長いスパンで見ていくと伝わりやすいのではないかと考えています。強い主義主張というのは、少数の人たちを熱狂する可能性はありますが、メディアというようなマス的な側面を持った発信を行っていく場合、反発をされることも想定されます。そうではなく、客観的な事実の横に、そっと置いておくことで、その意思もついでに伝わっていくくらいの方が、より深く浸透するのではないかと思っているのです。

という3つです。

ずっと、自身が行ってきた活動を客観化し、まとめたものが上の3つかなと、今思っています。
そして、この3つをさらに俯瞰して眺めてみると、共通点があることにも気づきました。

どれも、「最小限」で、「ささやか」であること、そして、だからこそ効果的であるとも思っています。そして、これらは昔からあった紙媒体の編集者が行っているような編集行為とは異なる、ネット普及以後に必要とされるようになった、編集行為であるとも思っています。

ぼくは、この概念に名前を付けられないかなと、ずっと考えていました。頭の片隅に置いておくようなイメージで日常を過ごしていると、自転車に乗っているときなどにふと閃きがあるものです。

そして、閃いたのが、タイトルにも書いた「マイクロ・エディティング」という言葉でした。凄く小さな編集行為。これが、ぼくが10年間建築メディアで行ってきたことなのではないか、と思っています。

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弊著『建築家のためのウェブ発信講義』でも、その考えにもとずいて、記事のタイトルのつけ方などについて記載しました。しかし、今考えると、その思想・手法についてもう少し詳細に説明ができるかもしれないとも今考えています。

誰もが、ウェブ発信ができるしなければいけない時代だという事を、先の書籍の中で強く訴えたつもりでいます。

その手法として「マイクロ・エディティング」という考え方が皆さんの発信の参考になるのではないか、と今思い始めています。

今後、このnoteにおいて、具体的な事例を交えつつ、「マイクロ・エディティング」という手法や思想をご紹介しつつ、自分の中でも整理していければと思っています。





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