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藁の家~私が写真アカウントについて思う事~

はじめに

「写真というものは、使い方によって人を幸せにも不幸せすることも出来ます。」

2023年1月、人生で初めて受けたカメラのワークショップで、講師の方が最後に話していた言葉だ。
確か、こんな内容だったと記憶している。


その後に続いた講師の言葉も「だから、幸せになる方向に使ってほしい」というものだった。

この言葉を今でも良く覚えているのは、個人的に当時から写真について考えさせられる件が起きていたからだ。



つい先日、女子プロレス団体のワールド女子プロレス・ディアナより、このようなリリースがなされた。

会場やオンライン試合観戦をしている観客の一部に、選手の体の特定部位を強調する写真撮影、画像編集等を行い、これらの画像をSNSや、ブログ、WEBページ等、多くの人の目に触れる場所に投稿している人物がいることを確認しています。また、これらの投稿に対し、選手に対する卑猥な内容のコメントやリプライを投稿する人物がいることも確認しています。これらに追随する形で、選手の社会的な評価を低下させるコメント等を投稿する人物がいることも確認しています。
(中略)
弊社からの依頼を受諾頂けず、悪質で執拗なハラスメント行為、名誉毀損の継続を確認した場合は民事裁判並びに刑事告訴、告発を起こすことも視野にいれて本活動を開始いたします。


選手の局部をアップして写真を撮る観客に対する警告。

本件の当該人物は、アカウントと身分を変えながら2022年末頃よりこういう事を常態的に行ってきた。
(個人的に、最早霊的に生まれ変わらない限り直らないと思っている)

前述したワークショップの言葉が私の脳裏に残っていたのは、当時から彼がこの事で暴れていたからに他ならない。


今回の件をハラスメントという観点で指摘する意見は既に出ているし、何より、今回のリリースを実施したディアナのスタッフが他団体を上手く巻き込みながら対策に乗り出しているのだという。この点は立派というより他ない。


今回の件で、私が感じたのは、そうした性的被害の部分だけではない。
いわば、アマチュアカメラマンの立ち位置そのものについて、本件で改めて考えさせられたのである。


【アマ以上・プロ未満】であっても、吹いて飛ぶような"藁の家"

近年はSNSの台頭・発達により、誰でも気軽に発信できる時代になっている。

それにより、プロカメラマンではないけれどSNSを用いて技術指導をする事例も見かけたり、選手のグッズやポートレート、コラムに写真が使われたり、単なるアマチュアカメラマンという範疇を超えて影響を与えるファンも現れた。
ごく一部ではあるが、リングサイドカメラマンをプロではなくファンから募る企画や興行もある。

いわば、ファンの立場ながら、プロに近い立ち位置が取れるようになったアマチュアカメラマンが現れたのである。


それでも、前述したような事案が起きてしまえばどうなるか?
例えプロに近い立ち位置にいたり、実績があったりしても、プロでないアマチュアカメラマンの立ち位置は途端に揺らぎ、ひどく弱い場所に置かれてしまう。

極端な話、プロカメラマンならば、そういう事が起きても【仕事】として会場でも撮れるだろうけれど、アマチュアの場合はそうはいかない。
「会場で写真撮影禁止」と言われれば、真っ先に影響を受けるのはファンを含めたアマチュアになるからだ。


結局のところ、アマチュアカメラマンの存在や影響が大きくなろうとも、ファンである以上、立場は弱いと痛感させられる。

でも、「ファンなんて立場が強くなくて良い」と私は思う。
どんなに良い機材をそろえたところで、"会場で撮らせてもらっている"立場から抜け出すことは出来ないのだから。

実際、一眼レフやミラーレスで撮っている人と撮らない人では、今回の事案に対する感想はかなり変わってくる印象がある。

前者の場合、撮影禁止になった時に少なからず影響が出るし、何より写真を撮りたい以上、禁止にされる事には抵抗感があるだろう。実際、今の私もそうだ。
ただ、後者のように一眼レフなどに拘って撮っていない人からすれば、禁止にされたところで特段影響もないし、何より問題が起きているなら「(原因になっている)写真の一律撮影禁止で良いんじゃない?」と言われても当然な事案である。
私も数年前まではミラーレス等で写真を撮らなかったので、この気持ちも何となく分かる。


誤解を恐れずに言えば、SNSを通じてキレイな写真を上げる事に比重を置いている人ほど、撮影禁止を受け入れる選択肢よりも、「どうにかして撮影が続けられるように動けないか」と継続を模索する選択肢になりがちな印象がある。
これを、カメラ肯定派と否定派の分断と称する意見も見かけたけれど、そもそも双方の価値観やスタンス自体が大きく異なっている以上相容れないだろう。


つまるところ、「会場で撮影できるのは、団体側の好意なんじゃないか」と思う。
最近では解禁されつつあるようだが、音楽ライブ等は撮影禁止だったりするので、それを踏まえると、会場でほぼ常時写真が撮れる事自体が奇跡に近いのではないだろうか?

振る舞い一つで立場を危うくするのも、好転させるのも、一眼レフやミラーレスで撮るアマチュアカメラマン次第だ。
今回の件で「望遠レンズ付きのカメラを構えた状態で左右に身体を振られると困る」、「カメラを構えている人の肘が当たってきて嫌な思いをした」というような、隣にいたアマチュアカメラマンに嫌悪感を示すファンの意見も見られた。
本件に限らず、こうした事に気を付けなければ自らの楽しみを危うくする事についても、改めて考える必要がある。


過去のプロスポーツの事例から、「撮影禁止にしたことで、SNS発信が観られなくなった」なんて意見も見かけた。
だが、それを考えたり発したりするのはあくまでも団体だろう。それらをファンの立場で意見したところで、今は火に油を注ぐような詭弁だと取られかねない。それくらいの事が今起きているのである。


アマチュアカメラマンのようなファンの延長線上にいる立場なんて、極端な話、プロみたいな振る舞いで威張ってみても、「写真を発信してる」という自負を持っていても、勝手にオンライン講習してみても、吹けばすぐに飛んでしまう藁の家のようなものだ。

その立場を見誤ると、末路は悲惨なものになるのではないだろうか?


まとめ

SNS投稿は選手とファンの皆さんと喜びを共有するものと考えましょう。
独りよがりな承認欲求を満たすためのものではありません。


上記の一文は、冒頭の件を受けてディアナが策定したガイドラインの最後に記されたものである。


本件に限らず、承認欲求が前に来てしまうと、立場は大きく歪なものになる。
それが前に来てしまうから、「選手に【いいね】を強要する」、「誰かに技術を教えたがる」ような勘違いを引き起こすのではないだろうか、と私は感じている。


前述したように、アマチュアカメラマンは、あくまでも撮らせてもらっている立場である。
極端な話、その立場を勘違いした先に待っているのは、今の【撮り鉄】と呼ばれるような人達だったり、ゴール裏を仕切るサッカーのコアサポーターだったり、鼻つまみ者にされてしまう末路ではないか?


以上が、今回の事案で私自身感じた・考えさせられた内容になります…。


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