私がサッカーのコアサポーターを辞めた理由について
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私がサッカーのコアサポーターを辞めた理由について

レンブラント

プロレスファンになる前の私は、サッカーチームのゴール裏にいた。

始まりは2012年8月、某常磐線沿線の黄色いチームの試合を見に行った時の事だった。

「もし宜しければ、ゴール裏で一緒に応援してみませんか?」

大学生だった私と同じくらいの年齢に見えた男性から声をかけられて、私は【コアサポーター】になった。


以来、ホームゲームを中心に、前後半合わせて90分、コンクリートで打設されたゴール裏スタンドを休みなく飛び跳ね、チームにあらん限りの声援を送り続ける事が週末のルーティンになっていた。


私の大学生活の半分近くは、間違いなく、サッカーの応援と共にあった。


コアサポーターからの離脱


コアサポーターになった翌年の2013年には、チームの年間シートを購入したこともあり、年間30試合以上、現地でチームを応援し続けた。

ホームだけでなく、横浜や千葉、埼玉などの関東圏アウェーにも出向くなど、確実にサッカーにのめり込んでいった私。

でも、その生活や熱量は長く続かなかった。


2014年6月、私は就職活動を理由に、コアサポーターの活動から遠ざかる。

就職活動でコアサポーターの活動に参加できなくなった事が根本の原因ではない。
"就職活動を盾にしないと、この活動からは抜け出せない"と判断したからだ。


その頃の私は、コアサポーターの存在を忌々しいものとして認識するようになっていた。

離脱した理由は諸々あるけれど、根本はもう、コアサポーターの【熱量の押し付け】に耐えられなかった事に尽きる。


・『コアサポーターなんだから、全試合、現地で応援するのは当たり前』というトップの風潮

(今振り返ると、個別のチームよりもサッカーそのものが好きだったから、苦しかったのだ)


・仕事でもないのに、異様に長い拘束時間
(19時開始のナイトゲームでも、「席取りした仲間を労う」という体で、朝8時から集合…)


・仲間集めで力を増すやり方や、時として暴力も辞さない手法から漂う、カルト団体感
(「応援にやる気がないだろう」という理由から、年少者に手を出して"指導"する教職者もいた)


・【俺達が一般サポーターの応援を主導している】という、傲慢にも似たエゴ

(これがあるから応援が生まれる、という側面も否定は出来ませんが…)


ある程度時間が確保できる学生時代でさえ、この環境で過ごす事に限界を感じていた。
「これ以上ここにいると、私はサッカーそのものを嫌いになってしまう」というマインド。


私のいたコアサポーターグループは一つの会社で、そこに各リーダーが【部署】を構える形でメンバーを纏めている。
幸いな事に私のいた【部署】の人達や、誘ってくれた方は、上記のような事は一切しない、非常に素敵な方ばかりだった。

それでも私は、離脱の道に舵を切った。


まとめ


「お前には雰囲気合わんかったやろ。良いんじゃないかな?」

コアサポーターを辞めることを父に相談した際、かけられた言葉だ。
あの当時の、父の言葉と笑顔には救われるものがあった。


今でも、私がコアサポーターを離脱した決断は正しかったと思っている。

おかげでサッカーは嫌いにならなくて済んだし、今現在プロレスにハマっている事を思えば、これも必要だったのだ、きっと。

私が好きなプロレスでは、上記のような事を直接指図する人なんて、コアサポに比べて非常に少ないから、居心地もいい。


例え、初心者ウェルカムな雰囲気を醸し出すコミュニティがあったとしても、一見さんお断りムードを押し隠す虚構でしかないのなら、そんなものに意味も必要もないと思っている。

私はその事を、コアサポーターの存在を通じて嫌というほど思い知らされた。
そういう意味では、コアサポーターに入ったこと自体を誤りだったとは決して思わない。

サッカーに限らず、私自身、応援の仕方とかムーヴメントをコアファン主導で推す流れに今一つ乗れないのは、約2年のコアサポーター生活で【複数のファンが応援やムーヴメントを仕切りだす】動きに嫌悪感を抱いたからだ。

ファンから応援方法を提示する行為そのものを否定はしないけれど、そこに個人のエゴが少しでも入ってしまうと、一気に熱は冷めちゃうかな、と。


そんなことを言いつつ、観客がエルボーやキックに拍手を当てる行為に批判的な私も、他人様の事は言えませんけれど…。

自戒…。

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レンブラント
プロレス観戦と、音楽と、酒が好きな変態です。