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『選手のSNS発信が"should"』という風潮の違和感について

『選手はSNSで積極的に発信しないといけない』

プロレスを好きでいると、こういう意見をTwitter等で耳にする事がある。
これは何も、プロレスに限った話でも無いだろう。


確かに、発信は重要だ。
団体や選手が発信しない事には、大会の会場や日程、当日のカードなんて中々分からない。

関心を持って自ら情報を調べる人なら別だろうが、私の場合、自分でDIGするより、Twitterのタイムラインとか、人の【いいね】や【リツイート】で情報を入れることの方が圧倒的に多い。
フォロワー様のツイートがキッカケで、私自身が気になった大会や団体、選手も数多く存在する。



その一方、選手のキャラクターや置かれた環境などによっては、SNSの発信自体が却ってマイナスに左右する事だって有り得る、とも私は感じている。


何でも「発信が全て」ではないという体感と、SNS発信こそが絶対的とされる風潮への、どこか拭えぬ違和感。


個人的に、発信は大事だと考えているし、その努力を放棄していいとは思わない。

けれど、発信はあくまでも手段の一つであり、全部のシチュエーションに適用できるとも考えていない。

特にSNSの場合は…。


①キャラクター

私はここ2〜3年で、プロレスリング・ノアの事が好きになり、団体を追うようになった。

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親会社がリデットエンターテインメント→サイバーエージェントグループに変遷した2020年前後より、団体公式を中心にSNSでの発信が積極的になったが、SNSをやらない選手も当然存在する。

ノアのJrヘビー戦線を牽引しているHAYATAや、そのパートナーでもある小川良成なんかは、その好例だろう。

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彼らはTwitterやInstagramといったSNSは使っていないし、公の場で話す機会は専門誌等のインタビューと、普段は寡黙なキャラクターだ。

でも、普段「(パートナーと)同じや」、「次はお前や」としか話さない、寡黙なHAYATAがSNSで雄弁になったらどうだろうか?

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寡黙でいて、どこか狂気すら孕むHAYATAのキャラクターは、【SNSをやらない】ミステリアスさが形を成していると、私は思うのだ。

新日本プロレスの内藤哲也だって、2015年夏の海外遠征→ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン結成を境に、Blogはめっきり更新しなくなったし、Twitterも写真しか上げなくなった。



でも、バックステージを中心に発言はしている為、自らSNSで語らない事がマイナスにはなってはいない。


プロレス関係から話は逸れるが、ロックバンド『凛として時雨』のドラマー・ピエール中野のインタビュー記事の中で、個人的に印象に残った言葉がある。


ピエール中野:
アーティストイメージを作るか作らないか、ですよね。それでいうと、最近はイメージを作っている人のほうが伸びている気がします。少し前までは素を出したほうが良かったんですけど、ギャップを見せるのはメディア露出とか、然るべきタイミングで出すほうが得策だと思いますね。


【ソーシャルメディアでの見え方】を意識すべきか否か悩むインタビュアーへの回答は、キャラクターと発信の関係性について芯を突いた内容ではないか、と私は思うのだ。



②グラブ、ラケット、コート、シチュエーション

【発信】というボールを投げたとて、それをキャッチしてくれるグラブや、打ち返してくれるラケットが無くては意味がない。

私はそれを、DDTプロレスリング時代の入江茂弘や奥田啓介を通じて痛感させられた。



個人的に、DDTは【常に発信へのアンテナを張っている団体】という印象が強い。

実際、創設者である高木三四郎が、新人選手に向けて名前を覚えてもらうよう、「1日5ツイート必ずつぶやけ。」とアドバイスする点からも、発信に注力する様子が窺える。


入江や奥田もDDT所属時代は、各選手同様に発信で一石を投じたものの、皮肉なことに、返ってくる反応はどれもイマイチなものばかりだった。



「DDTでそのような意見は求められていなかった」と言われてしまえば、それまでかもしれない。
ただ、投じられた一石を打ち返したのは、当時は吉村直巳や彰人など、ごく僅か。


発信に敏感で力を入れる風土であっても、掬われない・報われない発信は幾らだって存在する。

この現実を、私は入江や奥田を通じて痛感させられた。


選手の置かれたシチュエーション次第では、発信しないことが、却ってプラスに作用する事も有り得る。

プロレスリング・ノアの潮崎豪は、2021年3月の欠場発表~同年11月の復帰発表までの約8ヶ月半、自身のTwitterで沈黙を守り続けた。


同じく、2AWの真霜拳號も、約11ヶ月に及ぶ長期欠場中、Twitterでの発信は絶えた。


欠場中の近況が知れない事とか、「事前に告知されていれば予定を合わせられた」とか、デメリットも当然あるだろうけれど、この【沈黙】が、発表時の爆発的な盛り上がりの"溜め"に繋がってはいないか、と。

潮崎や真霜の復帰発表時に起きた、爆発的な盛り上がりに運良く生で立ち会うと、そんな事を考えてしまうのだ。

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良くも悪くも重要なトピックは、選手や公式から発信せずとも、見てる人間から自然と伝えたくなるものだから。


③発信の内容


2021年夏、全日本プロレスで印象に残ったTwitterのやり取りが、私の中で2つあった。

1つは、岩本煌史と本田竜輝。


もう1つは、大森北斗と2AWの吉田綾斗。


前者は【岩本に弟子入りを求める本田に対して、発信しない事を指摘する本田】、後者は【『王道トーナメント』で当たる両者の煽り合い】という構図。


発信しないことについて本田が岩本に指摘される一方で、私はどこか、このシチュエーションに違和感を拭えなかった。

「発信しても、その内容が拙ければ、発信しない方がマシではないか」と。


北斗は確かに発信していたけれど、吉田綾斗に向けた内容は【2AWで起きたばかりの不祥事】イジりだった。


個人的に、発信の巧さなら北斗は全日内でもピカイチだと思っているけれど、この時触れたのは『(相互参戦機会のある)得意先に向けてツイートしたらマズいでしょ』と思われる、タイムリーな内容。

不祥事イジり自体は、プロレスでも過去に見たことはあるけれど、それは事件から期間が空いたケース。



とかく発信が求められがちな時代において、カードを盛り上げる事は、動員増加や興味を惹く一要素になり得る。

しかし、そこで発する内容が【ノる・ノれない】の範疇を逸れて、不信を生み出してしまったら、寧ろ団体や選手にとって逆効果なのではないか、と私は思った。

2021年の全日を見ていて感じた、率直な感想…。



まとめ〜【発信】と【本分】の一致〜

これも「“発信”をすれば“本分”から外れる」という話でもないのですが、“発信”とプロサッカー選手としての“本分”とは、ときに違うベクトルを向けてしまうことがあるので注意が必要だと思います。
例えば、「ファンのことを考えると発信したいけど、チームのことを考えるといまこの言葉は外に向けない方がいい」という場面はシーズン中に多々あります。例えば、「本音を打ち明けた方がファンには喜ばれるけど、それでは自分の弱さが周囲に伝わってしまう」というジレンマもときにあるでしょう。そうしたとき、私はプロサッカー選手であるなら、まずは「チーム」「自分たち」、つまり、内側に目を向けてほしいなと思っています。

元プロサッカー選手である岩政大樹のインタビュー記事の一節だ。


インターネットが発達し、一般人でも発信できるようになった現代において、SNSで発信する行為は重要な意味を持つ。


ただ、発信するといっても、『発信すること』自体がゴールや最終目標になってしまうと意味がない。

私が冒頭に記した違和感の正体は、「【発信】と【本分】は違うベクトルを向けてしまう事がある」という岩政の指摘そのものなのだ。


ファンに拡散を呼び掛けたとて、団体がファンに寄りかかりきり・甘えきりで無策なら、結局は『常連と選手の褒めそやし合い』、『選手のエゴサーチの延長線』で留まって拡がらない。

2018年頃、私の追っていた団体でそういう事があったから、尚更その風潮に虚無を感じてしまうのだ。


SNSはあくまでも発信するツールの1つであって、収益源となるチケットや物販、有料配信サービス加入者の増加に繋げることが重要。

【いいね・リツイート】やフォロワー、インプレッションの数値は推し量れても、発信から実売に繋げる事が大切だし、最終的にチケットを売った方が強い。



そういう点で考えると、2021.12.26のDDTプロレスリング代々木競技場第二体育館に向けたプロモーション企画は、個人的に興味深いものがあった。


12.1に4チームに分かれて優勝を争う企画は、発信だけでなく、実売にもキッチリ繋げていた好例だ。

かく言う私もその一人。

正直、行く予定は無かったけれど、「面白そう」という理由でチケットを購入(笑)。

コロナ禍前なら、飲み屋で選手の方からチケット購入することもザラだったのを、ふと思い出す出来事でした。

2022年はこういうのが増えるといいな…!

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